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マンハッタンの思い出#02

●マンハッタンの思い出#02/ホールドアップ
真冬の雪に埋もれるマンハッタンの話をしていて、真夜中のウエストエンドアベニューの風景を鮮々と思いだしてしまった。20代の半ば。居直るしかないほど貧乏だった頃のことである。
その頃、僕が皿洗いをしていた中国人の店は、帰りに売れ残りの食べ物を持って帰って良いことになっていた。僕は毎夜、残飯をプラスチックのドギーバックに詰めて、腹の中に入れて帰宅していた。40丁目から、アパートのあるアッパー・ウエストサイド94丁目まで54ブロック。4kmくらいの距離を毎晩歩いて通った。ドギーバッグは、ちょうど良い懐炉代わりになっていたのだ。
大雪の夜である。真夜中3時ごろだと思う。雪は止んでいた。
ウエストエンドアベニュー、72丁目を越えたあたりで、僕はピストルを持った男に路地へ連れ込まれてしまった。・・そんなことは良くある。そしてそんなことにぶつかったら、絶対に抵抗するな。抵抗すれば、アタマをぶち抜かれた死体になって翌朝発見されることになる。いやというほど、同じアパートに住んでいた日本人たちから聞かされていた。
たしかに、僕に銃を向けている壮齢の男は、緊張しきっていて銃口がブルブルと震えていた。
「OK.OK。何もしない、全部お前にあげる。落ち着いて、落ち着いて。」
そうスラスラと言えたのは、何度も”そう言え”と聞かされていたからだ。そして相手の目を見ながら、ゆっくりと有り金を差し出す。僕は教わった通りにした。そして残飯の入ったドギーバックも、雪の積もった道路に置いた。
男は僕がポケットから出した金を受け取ると、チッ!と舌打ちをした。
「これしかないのか?」男が言った。
「それが有り金全部だ」僕が言うと、男はもう一度チッ!と舌打ちをした。
殺されると思った。殺してからポケットを探るつもりだ・・と思った。
「靴脱げ」男が言った。僕は黙って靴を脱いだ。
「行っちまえ。」男が言った。
僕はそのまま、あとずさって路地から大通りへ出た。背中は見せない。目を合わせている者は撃てない。そう聞いていた。男の顔を見ながら、ゆっくりとゆっくりと大通りへ出た。そして駆けて逃げた。雪の積もったアムステルアベニューを全力で走った。靴下だけで。
しばらく走って・・ようやく「殺されなかった・・」と思った。そう思ったら腰が砕けて、フラフラと道路に四つンばいになってしまった。そして、しばらくそのまま、呆然とした。
深夜の。それも大雪のウエストエンドアベニューである。まったくの無人だ。誰に助けを縋ることも出来ない。通る車もまばらだ。手をあげてHELPと叫んでも止まってはくれない。ジャンキーだと思われるだけだ。とにかく帰ろう。帰るしかない。そう思って、ようやく立ち上がって歩き始めた。まだ20ブロック先だ。1km以上ある。僕は気力を振り絞って歩いた。
しかし、すぐに足が痛く痺れ始めた。靴下だけである。見ると、雪が付いてグジュグジュになっていた。僕は、通りに面した家の、玄関の階段に座って、着ているものを脱いだ。MA-1の下に、教会のバザールで買ったセーターを2枚重ねて着ていた。それを両脚に巻きつけた。「立てるかな・・」そう思った。上半身はTシャツの上にMA-1を着ているだけになってしまった。
そんな恰好でヨタヨタと、気力を振り絞って歩いているとき。
うちのアパートメント・ホテルに、あと数ブロックと言うところまで来たとき。
路地の奥からトランペットの音が聞こえた。
訥々とブルースケールを紡いでいた。曲にはなっていない。フレーズだけだった。
深夜4時過ぎである。大雪の夜である。
誰が吹いているのかは見えなかった。それでもトランペットの音は、ビルの谷間に木霊して、夢幻のブルーズになっていた。
僕は立ち尽くした。鳥肌が立った。足の痛みを忘れた。
ブルーズは人の魂を揺れ動かす。それがたとえ訥々としたフレーズであっても。
この時、身を以ってして、僕はそれを知った。ホロホロと泣いた。ジャズに出会って良かった・・心底思った。そして泣きじゃくりながら、僕は最後の2ブロックをヨタヨタと歩いた。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました