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アジェのパリ#04/漂着した天才たち

後代名を成した、モンパルナスに流れ着いた若者たちの名前を思いつくまま列挙しよう。

パブロ・ピカソ、サルバドール・ダリ、サミュエル・ベケット、ジョアン・ミロ、マルク・シャガール、モイーズ・キスリング、ニナ・ハムネット、アンリ=ピエール・ロシェ、マリー・ヴァシリエフ、マックス・ジャコブ、ディエゴ・リベラ、アルベルト・ジャコメッティ、コンスタンティン・ブランクーシ、マヌエル・オルティス・デ・ザラテ、ヘンリー・ミラー、アンドレ・ブルトン、オシップ・ザッキン、フェルナン・レジェ、シャイム・スーティン、アメデオ・モディリアーニ、マルセル・デュシャン、ジャン=ポール・サルトル、ギヨーム・アポリネール、ジュール・パスキン。

こうした海外から流れ着いた人々の中には藤田嗣治、高崎剛、岡本太郎などの日本人も居た。
「この前、モンパルナスに来たとき寄ったCafe de la Rotonde、憶えているだろ?」,
「真っ赤な店でしょ。古色蒼然とした店。モディリアーニの絵で有名なんだと、あなたが言ってた。」
「うん。あそこをタマリ場にしていた若い芸術家は、みんなこのへんの汚いアパートに折り重なるように棲んでいたんだ。だから逆にチャンスも有った。1人が有名になると、引き摺られるように周囲の芸術家も知られるようになったんだ。」
「すごいよね。」
「うん。それだけ能才が当時モンパルナスに集まっていたということさ。

たとえば・・後にモデルとしても画家としても有名になったニーナ・ハムネットは、1914年に英国からパリへやってきたんだけど、Cafe de la Rotondeでお茶しているとき、隣に座った青年が声をかけられたんだ。『僕、モディリアーニと言います。画家です。ユダヤ人です』ってね。モディリアーニ30才、ニーナ24才のときだ。」
「佐伯祐三夫婦もこの辺りに住んでいたんでしょ?」
「うん。もうすこし後だけどな。でも佐伯やその周辺にいた日本からの画学生は、そんな貧乏のどん底みたいな生活はしていない。小洒落たアトリエを借りたりホテル住まいをしてた。藤田嗣治や岡本太郎みたいなことはしなかった。洗濯船とピカソが言ったポロアパートには近づきもしなかった。あくまでパリの日本人社会で生きて、その後洋行帰りとして島国に戻って、功なり財なりを得たんだ。」
「なんか、随分厳しい言いかたね。」嫁さんが言った。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました