見出し画像

機械の花嫁への懸想#02

結局のところ僕のHALは動かなかった。僕の小遣いの大半を注込んでそれでも足りなくて、僕は小石川の叔父さんがやっていた製本所へアルバイトに行った。
小石川の叔父さんは、九人兄弟だった母の一番上の兄(当時母の兄弟は母を含めて4人しか存命じゃなかった)だった。彼は白石家の家業である印刷業を継いで美術印刷の製本屋として小さいながらも確固たる位置を占めていた。・・実は、東京へ出てきた白石家の裔で男子を齎したのは母だけだったため、僕は「特別な子」として、白石家・母の兄弟の間では扱われていた。その子が何かに夢中になって「小遣いが足りない」でいれば、みんなが僕の興味が何に向いているか関心を示してくれたのだ。

当時、弱電小僧だった僕が、小遣いが足りないと言い出せば、使う目的はラジオ製作に決まっていた。中学時代の僕の遊園地は秋葉原のガード下のパーツ屋だったからね。
・・ある時、ふらっと勝どきにオートバイで遊びに来た小石川の叔父さんが言った。「何作ってるんだ?FMラジオか?」そのころFM東海が始まって、電波小僧は全員FMに向いていたからね。
叔父は無類のメカ好きで製本所のそばに小さな工場を持っていて、此処で色々な拵えモノをしていた。僕がオートバイが好きで、機械もの弄り(AZOに勤めた理由)が好きなのは、この叔父さんの多大な影響を受けたからだと思う。
「んんん。計算機、作ってる。」
「計算機!まこ(僕のこと)、お前とんでもないものにぶつかったな」叔父さんが言った。
僕が雑誌で見たENIACのことを夢中になって話しながら、日電の植松さんから頂いた回路図を見せると、叔父さんはため息のように呟いた。・・いまでもはっきりと憶えている。
「そうかぁ。製本屋の倅が紙がなくなる世界に進むのかぁ」叔父さんは正鵠にENIACの向こう側にあるモノを見つめていたのだ。
もちろん、その時の僕には叔父さんのため息の意味は分からなかった。紙がなくなる世界を製本屋の倅がやる・・なぜ、計算機を作ることが紙を無くすのか?そのときは想像もつかなかった。
「よし、夏休みはウチへ手伝いに来い。お前が玩具を作るための小遣いを稼げ。」そう言ってくれた。
僕は大喜びした。
「今のお前が、本はどうやって出来てくのか、身を持って知ることは大事だ」叔父さんはそう言った。

その話を日電の植松さんにすると・・彼は大きく頷いた。
「叔父さんはすごい人だね。そぉか、ちゃんと見えているんだな。・・次が。よし!来週、少し遠出をしよう。平塚へ行こう。君に、みんなが進もうとしている"次"を見せてあげよう!」
「平塚?」
「ウチの汎用機を使ってる大学がある。俺が担当してる」
中学2年の夏休みだ。それが東海大だった。その瞬間、僕があの大学へ進むことは運命づけられた。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました