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ソウル李氏朝鮮散歩#04/イザベラ・バードの見た朝鮮

どうかな?大丈夫かな?と、ヒヤヒヤしながらのソウル見物なんだけど、ためしに東大門へ連れて行ってみた。B級グルメには殆ど関心を示してくれないので、見事にスカでした(^o^;;
まあ、そんなもんかなと思っていたから、気にはしてなかった。それで東大門の裏通りを、さらに奥に入った小さな食堂が並んでる通りを歩いた。Google先生の指示通りに近くの地下鉄の駅へ行こうかと思っていたら、そんな通りに入り込んでしまった。
歩いているうちに突然、嫁さんが「あ!だめ」と早足になった。
ん?と思ったら、ハングルじゃなくて日本語で「犬の肉」と書いてある店の看板を見ちゃったらしい。
「こっちじゃ、まだまだ食べるからなぁ」と僕が言ったら。
「だめ。言わないで。考えたくないし、話題にもしたくない。」
と余計駆け足になった。
すいません。気配りができなかった。

そういや、イザベラ・バードの「朝鮮紀行」の中に、こんな一文が有った。1894年のソウルでの見聞だ。
He(dog) was the sole scavenger of Seoul, and a very inefficient one.
He is neither the friend nor companion of man.He is ignorant of Korean and every other spoken language.
His bark at night announces peril from thieves. He is almost wild. When young he is killed and eaten in spring.
「犬はソウル唯一の街路掃除夫であるが、働きはきわめて悪い。また人間の友達でもなければ、仲間でもない。朝鮮語をはじめ人間の話すあらゆる言語に取り合わない。夜間吠えるのは泥棒がいるからである。飼い犬といえばほとんど奴隷にひとしい。若い犬は春に屠殺され、食べられてしまう。」
イザベラ・バードは英国の金満家の夫人だった。彼女が残した日本紀行と朝鮮紀行は、リアルタイムのレポートだから、猛烈に面白い・
イザベラ・バードは朝鮮紀行(Korea and Her Neighbors)の中で、往時の朝鮮についてこんな印象を書いている。
For a great city and a capital its meanness is indescribable.
Etiquette forbids the erection of two-storied houses, consequently an estimated quarter of a million people are living on " the ground," chiefiy in labyrinthine alleys, many of them not wide enough for two loaded bulls to pass, indeed barely wide enough for one man to pass a loaded bull, and further narrowed by a series of vile holes or green, slimy ditches, which receive the solid and liquid refuse of the houses, their foul and fetid margins being the favorite resort of half-naked children, begrimed with dirt, and of big, mangy, blear-eyed dogs, which wallaw in the slime or blink in the sun.
「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。

路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。」

朝鮮統一王朝は1392年、高麗の武将・李成桂のクーデターによって成立した。彼は中国・明国の威を借りて高麗を滅ぼし、自らの王朝を建てた。それが李氏朝鮮王朝である。成立後、李氏朝鮮王朝は民国の冊封体制下に織り込まれた。
そのため、李氏朝鮮王朝はすべて中華を範とした。
高官は漢字を書き、中国語を話し、儒教を奉じ、自らの国を中国の属国の第一と称し、"小華"と謳った。この体制は1910年まで続いている。
その李氏朝鮮王朝体制下の朝鮮半島に凋落の陰りが出るのは、1700年代後半からである。朝鮮王朝の最大の収入源だった、中国・日本の中継貿易が急速に減ったのが最大要因だったと云われている。李氏朝鮮王朝政府の銀保有量は1742年の100万両から1782年には43万両にまで減少している。そのため貨幣そのものが機能しなくなり、市井は物々交換が取引の中心になった。米や麻・木綿などの商品が貨幣に代わり、その利子率は年間30~40%の高率になった。
また相次ぐ失政で、朝鮮経済を支えていたこうした換穀制も急速に失墜していった。
病気が蔓延し、米の価格などの物価は生産量が激減したことで暴騰し、産業の凋落で実質賃金は下落した。

こうした、末期・李氏朝鮮王朝の支配下に有った朝鮮について、ソウル大学のイ・ヨンフン教授たちが「数量経済史で見る朝鮮後期」 を描いている。同本は、その中でも1650~1910年の人口、賃金、地代、物価、利子率、経済成長率などの統計を抽出して分析した第一次年度の研究論文9編を集めたものだ。 一読に価する。
http://www.newdaily.co.kr/news/article.html?no=26559
イザベラ・バードは、その瞬間の韓国に出会ったわけだ。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました