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熊野結縁#11/熊野御幸

熊野が記紀に登場する三か所について、筆写する。
①日本書紀巻第一神代上
「一書曰 伊弉冉尊 生火神時 被灼而神退去矣。故葬於紀伊國熊野之有馬村焉」
➁日本書紀巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年六月乙未朔丁巳
「遂越狹野而到熊野神邑 且登天磐盾」
➂古事記・中巻・神武天皇段
「故神倭伊波禮毘古命從其地廻幸到熊野村之時 大熊髮出入卽失
爾神倭伊波禮毘古命倐忽爲遠延及御軍皆遠延而伏【遠延二字以音】
此時熊野之高倉下【此者人名】賷一横刀到於天神御子之伏地而獻之時
天神御子卽寤起詔長寢乎
故受取其横刀之時其熊野山之荒神自皆爲切仆爾其惑伏御軍悉寤起之」

紀・神代はイザナミと熊野の由来を語り、紀巻・神武天皇即位前紀は、神武天皇と熊野神倉神社との由来を語る。➂記・神武天皇段は、この時のことをより詳細に書いている。

以降の記録として、熊野御幸の記録を最初の部分だけ追うと
「日本紀略扶桑」に延喜七年(907)宇多法皇
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100223836/viewer/2
「栄花物語」寛和二年(986)花山法皇
https://www.archives.go.jp/.../rekishito.../contents/13.html
「粉河寺縁起」正暦二年(991)花山法皇
https://wanderkokuho.com/201-00083/
「中右記・扶桑略記・百練抄」寛治四年(1087)白河上皇
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949535
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991096
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100238405
と様々な古文書に登場する。
延喜七年、宇多法皇から弘安四年亀山上皇まで実に374年間にわたり百数十回回以上(上皇・法皇そして女院)の御幸が記録として残っている。ちなみに上皇・女院の外出は「御幸」といい天皇は「行幸」という。

典型的なコースは早朝京を出発。まず淀川を船で大阪府下に下る。それから陸路南に向かい田辺、中辺路をたどって熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の順に参るというものだったわうだ。往復の日数は20日から1ヶ月。一行の人数は最大で814人、最小の時で49人、平均300人前後にのぼったと云われている。上皇、法皇白ずくめの服装に杖という山伏に近い姿だったという。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました