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城壁の外を散策する/サンテミリオン村歩き#21

https://www.youtube.com/watch?v=ipokFxqQbg4

アントル・ドゥー・ヴェールAntre Deux Verres(Rue de la Prte Sainte-Marie, 33330 Saint-Émilion)を出た後に王の塔La Tour du Royを左に見ながら歩いた。
「なるほどねぇ、王の塔ではなかったのね」
「ん、城壁に取り付けられた監視塔というのが事実だったようだ」
僕らはLa Tour du Royの横にある幾つも曲がった細い階段を登った。雨で滑る。注意しながら進むと、 クーバン通りRue du Couventに出る。
此処は村の外壁の外に有った道路だ。少し等を目指して歩くと村全体の景色が見える。ここから見る景色が一番きれいかもしれない。
「小さい村ね」
「いまは2300名くらい住んでいる。村の産業は観光業だな。隣接するサン-クリストフ-デ-バルドSaint-Christophe-des-Bardesは農家が中心なので396人が住んでいる。サン-テチエンヌ-ド-リスSaint-Étienne-de-Lisseは187名。サン-ティポリット Saint-Hippolyteが131名。サン-ローラン-デ-コンブSaint-Laurent-des-Combesが237名。サン-ペイ-ダルマン Saint-Pey-d'Armensは187名。少し離れたドルドーニュ川沿いのヴィニョネVignonetは492名。少し大きな町リブリヌにちかいサン-シュルピス-ド-ファレイランSaint-Sulpice-de-Faleyrensは1319名だ」
「農家以外の住民が多いのね」
「リブリヌは英領時代に作られた町だ。1269年だ。ドルドーニュ川左岸の生産物を運ぶための港湾都市で、英国はボルドーを介さずにここから英国へ生産物を送った」
「え?直接に?」
「ん。ボルドー市を通すと、市の関税がかかる。これを回避したんだよ。サンテミリオンのワインはこの恩恵を大いに受けた。アキテーヌ全体がフランスのものに戻った後も、リブリヌに与えられた特権はそのまま残ってね、これがサンテミリオンの独自性を守ったんだ」

城壁の外側西はクーヴァン通りRue du Couventが走っている。僕らはこれを北側へ歩いた。
「もうすこし西にデューヴ通りRue des Douvesがある。これが城壁外の道だが、クーヴァン通りは城壁に沿って有ったんだろうな」
クーヴァン通りRue du Couventは右に大きくRポルト・サンマルタン通りue de la Prte Saint-Martinに曲がりマルシェ通りに出るが、僕らはそのままクーヴァン通りRue du Couventと直進する細い路地に入った。長い登り道だった。
「テルトル・デ・ヴィアントRue du Tertre des Vaillantsという登り道だ。Tertreというのは頂上という意味な。村の一番高いところが此処なのかもしれない。抜けると1945年5月8日通りにぶつかる。村の外縁通りだ。あそこまで行くと車の通行に出会うな」
「1945年5月8日通りっていうの?」
「VE dayだ。ヨーロッパ戦勝記念日だ。ドイツが全面降伏した日だよ。ヒトラーが愛人エバ・ブラウンを道連れに自殺したのは4月30日だ。ドイツが全面降伏したのはその9日後だった。ボルドーはドイツ海軍の支配下に有ってUボートの発信基地だった。前に言ったろ?アキテーヌのレジスタンスはサンテミリオンの地下通路に拠点を隠していた」
「その暗い記憶を通りの名前として残したのね」
「20世紀になって始まって機械を駆使した戦争は、今までの戦争と違って無数の無辜の人々まで殺した。欧州は2000年間戦争戦争が絶え間なく続いた地域だったが、それまでの戦争と比べて計り知れないほどの傷を心にも身体にも与えたんだと思うよ。20世紀は無辜の人々を巻き込んだ大量殺戮の世紀だ」
「哀しい話ね。21世紀はその深い傷跡を活かせてるのかしら?」
「ん。たしかに大戦ともいうべきものは起きてないな。でも局地戦での面積当たりの死亡率は、産業革命前より遥かに多い」

パリが墜ちた後、フランス政府は1940年6月14日に暫定的に政府をボルドーへ移した。ボルドーをドイツ空軍が空爆したのは6月19日から20日の夜だ。フランス政府はひとたまりもなかった。6月22日にドイツが謳う独仏休戦協定を吞んでいる。ボルドーはこの時からドイツの占領地域になったんだ。7月1日にドイツ軍は入城しボルドーは彼らのものになった。

「フランス政府は?どうなったの?」
「7月1日からリヨンの西にあるヴィシーへ逃れた。フランス共和国は消失してフランス国と呼ばれるようになった」
「でも残ったのね?」
「ヴィシー政権Régime de Vichyというんだがな。事実上ナチスNationalsozialismusの傀儡政府だった。首相はペタン元帥、副首相はピエール・ラヴァルだった。彼らは何であろうとフランスが消滅しないことを一義に考えたんだろうな。徹底抗戦だったドゴール准将はロンドンへ逃亡したよ。ペタン/ピエール・ラバンはナチスに迎合する策を色々練ったんだよ。その豹変ぶりにヒトラーは、国防軍最高司令部長官カイテル元帥に『フランスが我がナチズムを信奉しているとは知らなかったな』と冷笑している。そのおかげもあってフランス政府は傀儡化しても消滅しなかったんだ。パリの紋章le blason de Parisを憶えているだろ?」
「揺蕩えても沈まずluctuat nec mergitur」
「ん。それだ。ボルドーの非ユダヤ系の資産家たちは、まさにナチスのお小姓坊主となった。逆らった人々はレジスタンスとして、サンテミリオンに潜んだんだ」
「ユダヤ系の資産家たちは?」
「殺されるか、逃亡した。ロートシルト家の厄災は有名だ」
「フランス政府を信じてボルドーへ残った奥様は殺されたのよね」
「ん・・」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました