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ワインと地中海番外・番外01/謎の「海の民ルウィ人」

エジプト/メソポタミアに続いて小アジアで大きく花開いたヒッタイト文明は、騎馬と鉄の文明でした。アナトリアからの先住民が大きな開墾地を持ち独自の文化を築いていました。鉄器を携え騎馬で装備した人々がこれを征服したのです。
ヒッタイト文明は、ミケーネ文明と同じように先ず原型が有って、それを我がモノとし、花開いた文明です。その経緯は、きわめて興味深い。周辺の国家とも戦いも、世界最古の和平条約を結んでいく過程も、その条文も、とても興味深いのですが、ここでは触れないでおきます。本稿のテーマである「ワイン」からあまりにも脱線してしまうので・・ただ。なぜ名前を出したかというと、彼らもまたミケーネ人を滅ぼした「海の民Luwinan」によって崩壊に追い込まれた民だからです。

「海の民ルウィ人」は、ミケーネ文明を破壊しヒッタイトを滅ぼし、地中海東海岸を荒らし回り、エジプト王国も侵略しています。彼らを侵攻を押し返したのは、エジプト王国だけでした。他の国は全て蹂躙し尽された。...
「海の民ルウィ人」は、拠点となる"地"を持たない連中だったようです。船で生活し、略奪だけを糧としていた。彼らが何者だか、実は殆んど判っていません。定住地も持たず、何を神としていたかも不明です。
それでも何処からやってきたのかは、ある程度判っています。ギリシャ半島の西側・アドリア海の奥からでした。その侵略は先ずバルカン半島西部から始まりした。突然船団を組んで襲い掛かり、上陸すると街を燃やし、無差別な殺戮と略奪をするというやり方でした。そして戦いに勝っても、その地を占領しようとはしない。略奪するだけです。蹂躙し尽すと。船に乗ってまた海へ帰ってしまいます。

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スイス・チューリッヒの研究家/エーベルハルト・ツァンガーによると、彼らはルウィ語を使用していたと云います。ルウィ語はアナトリア祖語のひとつですが、その実態はあまり良く判っていません。特有の象形文字も持っており、ヒッタイトやギリシャの一部に彼らの文字群を見るとのことです。このルウィ人の始祖を探し求め始めると、アドリア海どころか、もっと奥のイオニア海までが対象になってしまう。果たしてイタリア半島の東の根元に誰が住んでいたか?なぜそれほどの航海術を持っていたのか? 不思議なことだらけです。
僕は、アルプスを挟んだ向こう側。欧州大陸へ川筋を通って深く入り込み始めていたケルト人たちを、ルウィ人に繋げる誘惑に駆られてしまいます。彼らは北海を越えて、森深い欧州大陸に入り込んでいったバイキングたちです。もちろん、証拠は何もない。だけどその誘惑に駆られてしまう。
唐突に地中海に現れて、ヒッタイト/ミケーネ/ギリシャ/地中海東岸の年を滅ぼしてしまった勇猛で凶悪な「海の民」に、僕は北欧のバイキングの血の匂いを感じてしまうのです。

「海の民ルウィ人」は徹底的な破壊者でした。町を陥落させても、土地を奪って我が物とはしなかった。突然、竜巻のようにやって来て何もかも破壊し、略奪する。それが出来ない時は、雲散して居なくなってしまう。そして忘れたころにまた徒党を組んで攻めてくる。それを繰り返す。土地を持ち、町を作り、集約的に産業を組み上げている人々にとって、まったく殲滅戦を仕掛けることが出来ない厄災そのものな奴等だったわけです。
クレタ人から継承し、ミケーネ人が生み出そうとしていた原ギリシャ文明は、彼らによって一気に暗黒時代へ叩き落され、200年近い暗黒時代を迎えることになってしまいました。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました