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若き友への手紙#20/お金は「ひと様の信用」だという事。あなたの信用ではない。

お金は信用です。信用が形になったものです。
それ以上でもそれ以下でもない。
お金がくれるのは選択です。お金がないと何も選択できない。あれば何でも選択できる。
しかし、ここに慢心が混ざり込みます。
選択できることで慢心し、自分は他の人より偉い。優れていると勘違いしてしまいます。
そんな輩は、周囲に山のようにいる。

たしかにお金は「信用」でしかないのですが、実は、お金は人の心の動きに根深く食い込んで人を変えてしまうのです。人は簡単に「俺の金・俺の金」に墜ち込んでしまうのです。これはとても深い歪みです。俺の俺のが・・我執になる。我執は人を曲げる。

世の中には清く貧しく美しく生きる人もいます。
家族で月に一回、ららぽーとへ行ってファミレスで誤判するのが喜びという人もいる。
一方、邱永漢先生みたいにベントレーに乗っていて、着るものはリーバイスとユニクロという人もいる。
先生に付き合って毎晩六本木で飲み歩いたとき、帰り、夜中の二時ごろ溜池の交差点の近くにある24時間営業のパン屋に寄ってジャム塗りのコッペパンを二人で食べました。先生は「何食べてもこれが一番うめーよな」と仰ってた。「自分の金に負けるな」というのは先生の言葉です。先生はコンサルの相談に来た人かえると、これを言ってました「あいつはダメだな。自分の金に負けてる」と。
邱先生が仰ってたのは、我執は他人に透けて見えるということです。
そんな奴に付いていくのは、オノレに得があると思った奴だけなんです。得が無ければさっさと居なくなる。そんな奴らが積んだ城は、如何に大きくとも脆い。

お金は、ひと様から集めた「ひと様の信用」です。あなたが生来から持っている信用ではない。
オノレの信用は、別物です。そのあなたの"オノレの信用"に人は動くのです。

その「ひと様から集めた信用」について「擬我」という言葉を使う方がいますね。真我ではなく擬我に塗れてしまうことに安寧を求める者は多いです。しかし人は見ています。他人にはオノレの「我執に染まった擬我」は透けて見えてしまうのです。
だから、他の人になにかして"やった"。成長させて"やった"。
いい仕事につけて"やった"・・のなかへ、無意識に潜む「やってやった」は、いとも簡単に相手に透けて見えてしまうのです。
人はそのことに全く感謝しません。むしろ自分の気持ちが通らなかったことに怨みを抱きます。あるいは「ダメだ・この社長は」と諦観に走ります。

大抵の社長は、そうした社内の気風に気がつきません。全員が素知らぬ顔をしているからです。
あるとき気がついたとき・・社長は、こんなにして"やったのに"なぜ俺を恨むのか?俺を嫌うのか?になります。大抵は、自分の本質に「やってやった」という高慢に気がつかない人が多い。その高慢がどの歪みから湧き出たものかにも気がつかない。
兵諫の意味の重さは・・良く分かりますね。
兵諫は、社長がオノレの歪みに気づくための縁(よすが)です。

先ずは気づいてください。
お金は「ひと様の信用」です。あなたの信用ではない。
その「ひと様の信用」を駆使して、ひと様のために紡ぐのが事業です。
あなたは、あなたの信用を、独り合点ではなく正鵠に見つめてください。
その道を行けば、人は(土で出来た奴も)「利ではなく思いで・・」あなたに付いてきます。
いまそのことに気づくべきです。苦しんでも、いまはこびり付いている擬我を外すときです。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました