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寿命は自分で決めるものじゃない

こんにちは。
今回はこころに響いた
本のはなしです。

今回の本もまた
ふと立ち寄った書店に
何気なく置かれていました。

タイトルを観てギョッとして
おもわず読んでしまいました。

そこに綴られていたのは
特攻隊として味わった
苦い感情と戦慄と
生きるという覚悟でした。

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タイトルがまず衝撃的です。
「不死身の特攻兵 
ー軍神はなぜ上官に反抗したかー」
特攻隊は爆弾を積んだ飛行機に乗り、
体当たりしたパイロットたちのことのはず。

しかし上司からの命令に逆らい
「9回出撃し、9回生きて帰ってきた」
方がいたらしいのです。

その方当時21歳の
佐々木友次さんの壮絶な物語を
インタビューも交えて載せている本でした。

戦争のせの字も知らない
世界で見ても類を見ないほど安全で
平和な国である今の日本に住んでいる僕には
とても想像できない厳しい戦争の体験が
そこにはありました。

放っておけば忘れられていくのが
当然の戦争の体験や記憶を何気なく
ときに重々しく語ってくれる
佐々木さんの言葉がひとつひとつ
心に沈んでいく気がしました。

ーー友次さんは、それを聞いて怒ったりもしたんでしょう?
「いや一伍長がね、陸軍大佐をなじるとか横目でにらむとか、そんな仕草はできませんよ、当時」
ーー耐えるしかない?
「まあ寿命ですよ。寿命は自分で決めるもんじゃないですから」
引用)鴻上尚史『不死身の特攻兵』、講談社現代新書、2017、207貢。

どこかの文章で読んだことがあります。
アウシュビッツ強制収容所を生きて出た方の話や
ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」や
極限を生き残った人々の話で注目してしまうのが
「どう生き残ったのか」ということ。
でも実際に見えてくるのは
「生きたいから生きれる」わけでもなく
「死にたいから死ねる」わけでもないという
人生のブラックボックス。

「たまたま運が良くて生き残った」という
紙一重の積み重なりによる誤差、もしくは外れ値。
意思の強さや願望が作用する余地は
おどろくほど少ないという現実。

生き残った方はその事実に翻弄されながら
生きていたのだなと思います。

じぶんに抱えることができるとは思えない
運命を受け止めている佐々木さんの言葉が
心に響いてきます。

何度も何度も、友次さんの強さの秘密を聞きました。同じような質問を何回もしました。先祖も仏様も、じつは、僕はあまり信じられませんでした。念仏を唱えているわけでもなく、お守りを信心深く持っているわけでもない。
けれど、寿命という言葉は強く響きました。そう考えるしかない、というのは分かる気がしました。人間は、自分の想像を超えたことに直面すると、運命とか偶然とか寿命とか考えるようになる。
引用)鴻上尚史『不死身の特攻兵』、講談社現代新書、2017、207貢。

この鴻上さんは実際に
在命だった佐々木さんを5回訪れ、
インタビュー交えながら
お話を聞いていったそうです。


佐々木さんのような方がいたということを
世の中の人に知ってほしいという強い思いが
そこに合ったと思います。

このような作品を作り
世に残してくれる方に感謝したいです。

「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。
その代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」
引用)鴻上尚史『不死身の特攻兵』、講談社現代新書、2017、109貢。

僕であればまず間違いなく
上記のような言葉を言う勇気もありませんし
そんな任務を受ける度胸もありません。

でも佐々木さんの言葉を聞いて
生きようと思いました。
しっかり生きたいと思いました。

そして与えられた命なのだなと
改めて思いました。

戦争という暴挙は一度たりとも経験したくないし
個人的にはまったく有意義ではないと思っています。

「寿命は自分で決めるもんじゃない」
佐々木さんのこの言葉が深く残りました。
いつまで生きれるかは分からない。
いつ死ぬかも分からない。

分からないだけの大海原を
泳いでいるわけです。
答えなんてあると思うほうが
甘いのかもしれません。

「人生で成功するために必要な〇〇」
的な本をついつい読んでしまう自分もいますが
結局はそんなものは自分なりのものを
作っていくほかないのだなと思います。

どうせデカい大海原です。
デカく構えて泳ぎたいところです。

佐々木さんにならって
寿命を全うしたいです。

そしてできれば一人でも多くの方に
この本を読んでいただけたらと思います。

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