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私と祖父とクレッセントハウス

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「古き良き時代」の面影を、現代までそのままに残したクレッセントハウス。2020年、ついにその歴史が幕を閉じます。様々な想いを胸に、作家として大きな影響を受けたこの場所についてを、… もっと読む
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#古美術商

「鹿鳴館の夜」、祖父による最後の案内状 (16)

〜ヴィクトリア女王時代のイギリス料理〜 日増しに秋も深まり、紅葉の美しい頃となりましたが、皆様方には益々御清祥のことと御慶び申し上げます。 「鹿鳴館の夜」大晩餐会も回をかさね16回を迎えました。20数年前1町ロンドンといわれた丸の内の煉瓦建築が次々と取り壊されていた頃、大正初期生まれの私自身のノスタルジーから、敢えて後期ヴィクトリア女王時代の宮廷メニューを参考とし、これを現代風にアレンジしてみました。元来英国の食卓はローマ時代から中世迄、野生豊かな、所謂野蛮食でありました

18世紀の晩餐会・料理の復刻、「鹿鳴館の夜」(15)

怒涛の2020年が終わり、2021年を迎えました。時代が大きく移り変わる中、私たちは、何を得て、何を喪失し、何に立ち上がり、何を守っていくのだろう。そうして、どんな新しい時代を、未来を作っていくのだろう。 年内に室内の整理が終わったと思われる今のクレッセントでは、しばらくの間、静けさの中、運命の成り行きを待ちながら佇んでいます。 昨年のコロナの影響では、このクレッセントハウスのように、伝統ある事業、歴史ある建物等多くの価値あるものが失われていったと思います。コロナ問題と経

欧州と日本の建築物に対する価値観の違い

秋〜冬にかけて少したてこんでしまい、ストップしてしまっていましたが、まだ、まとめていくのですが、その前に・・・ 今回の資料まとめの件で勉強になったことがあります。それは、日本の土地建物と、欧州やアメリカ等の土地建物に対する考え方とが、真逆だということ。 向こうでは、建物が古くなるほど、価値が出る、という考え方で、アンティークにちかいような感覚で、価値が出るそうです。(特別な建物というだけのことではなく)その考え方からいえば、クレッセントや、そのほか歴史ある、あるいは主人の

古代美術商としてのクレッセントハウス 〜西洋古美術の魅力〜 <後編>

前編 中編 次に、このケースの中が今のペルセポリスなどにつながった時代で、こっちの半分にあるのがスキタイ芸術と言って、イランの北部から南ロシア、中国の北の方までにかけたいわゆる騎馬民族のものです。 これは西北イランのアゼルバイジャンから、この銅製打ち出しの動物が40個ばかり飾りに打ち付けられた大きな棺が出てきて、その棺の中に骨と一緒にこの首飾りが出土したのです。これは350瓦ある純金です。 Q じゃあ、王侯貴族のお棺ですね。 石黒 おそらくそうですね。それからあの下

古代美術商としてのクレッセントハウス 〜西洋古美術の魅力〜 <中編>

(前編) 後編 Q これは中国の古いものですね。 石黒 そうです。中国の隋だと思います。こういうメダリオン、貼り付け模様、これは完全にイランあたりの銅器の打ち出し模様を陶器で真似したものなんです。ですから、唐三彩なんかのこういう貼り付けもようといったものも、こういったものから発展しているし、そういうような意味で面白いですね。イランと中国との交流という意味でこのコレクションに入っているわけです。 ここにあるのは、ガラスのビーズなんですけれども、古代ガラスで、上の段が紀元

古代美術商としてのクレッセントハウス 〜西洋古美術の魅力〜 <前編>

祖父の話というのは、西洋美術や中近東古美術等に興味のある方であれば、なかなか興味深い内容ですが、そういったお話がわからなくても、方々国々を駆け巡り、夢に向かって自分の道を生きた人として、多彩な経験の引き出しから話をするので、自分らしさを生き方の軸としていく考え方が増えている今の時代の人が見ても色あせない内容も多いと感じていました。 また、クレッセントハウスの完成を見ずして亡くなった祖母ですが、美術品のコレクションは、その後も「石黒夫妻コレクション」とよばれ、常に寄り添い続け

レストランクレッセント、63年の幕を閉じます

「其の作業は私にとって彫刻であり 絵画だった 比の館は作業に参加した人々の作品であった 夢を実現させる為に どんなに多くの個人や組織が努力された事か 其の方々に深い感謝の意を込めながら 私はこんな夢を思う こゝを訪れた人々が ”古き良き時代"に皆んなが持って居た あの心のゆとりを一瞬でも味わって呉れるようにと そして 一目この館を今は亡き妻豊子に見せたかったと 石黒孝次郎」 クレッセントハウス創立時レリーフより。 レストランクレッセント。1957年に設立されてから63年の