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まごころサポート誕生ストーリー

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MIKAWAYA21代表の青木によるまごころサポート誕生エピソードを綴ったnoteのマガジンです!
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#シニアコンシェルジュ

Vol.1 コロナ時代の今、僕たちが高齢者のためにできること

Vol.1 コロナ時代の今、僕たちが高齢者のためにできること

 新型コロナウイルスの感染拡大と、それに伴う外出自粛措置が世界中で猛威を振るっています。感染リスクを恐れず治療に当たっている医療従事者には、本当に感謝の言葉以外にありません。

 今回の新型コロナは、人と人とのふれあいやコミュニケーションという現代の人間活動の根本に恐怖心を植え付けました。集団免疫を獲得したり、ワクチンが開発できたりすれば別ですが、飛沫などによって感染するということが明らかな以上、

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Vol.2 新聞屋さんや牛乳屋さん、既存のプラットフォームを利用する

Vol.2 新聞屋さんや牛乳屋さん、既存のプラットフォームを利用する

 みなさんは新聞販売店と聞いてどういうイメージを持つでしょうか。一定の年齢を越える方であれば、プロ野球の観戦チケットや洗剤をもってよく営業に来ていたという印象かもしれません。あるいは、紙の新聞の落ち込みやネットへの移行を受けて、購読契約の減少が止まらない落ち目の斜陽ビジネスと思うかもしれません。どちらもその通りですが、いずれにせよポジティブなイメージを持つ人は減っているのではないでしょうか。

 

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Vol.3 見守りサービスに革命を起こす「マゴコロボタン」

Vol.3 見守りサービスに革命を起こす「マゴコロボタン」

 前回(https://note.com/aoki_21/n/n605262aa0331)はMIKAWAYA21という会社とまごころサポートについてご紹介しました。新聞販売店など既存のアセットをシニア向けサービスの拠点として活用することで、シニア向けサービスだけでなく、新聞販売店とMIKAWAYA21の双方が事業を継続できるビジネスモデルだということがご理解いただけけたのではないかと思います。

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Vol.4 「若者を捨てる」と決断した日

Vol.4 「若者を捨てる」と決断した日

 1回目の記事でお話ししたように、僕は23歳から37歳までの約15年間、読売新聞の新聞販売店を経営していました。

 23歳で始めた販売店は大阪府寝屋川市にある小規模なお店、27歳からは、その店と並行して奈良県生駒市の大規模な販売店の経営を任されていました。寝屋川市の販売店は1800件ほどの購読者数でしたが、生駒市の販売店は1万件の購読者を抱える大きなお店です。

不振店の立て直しに白羽の矢 もっ

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Vol.5 源流はシニア向けのデジタルサポートにあり

Vol.5 源流はシニア向けのデジタルサポートにあり

 2011年に、奈良県生駒市の販売店で契約者の年齢調査をしたという話は前回しました。この時の調査が、販売店の営業マーケティング戦略をシニアにシフトさせる転換点になりました。

 もっとも、僕は若者の獲得をあきらめたわけではありませんでした。新聞という商品が若者に刺さらなくなっただけで、若者に訴求できる別の商品を見つければ、地域の若者をお客さんにすることができると思ったのです。僕にとって、その商品は

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Vol.6 僕のマインドセットを破壊した孫泰蔵さんの言葉

Vol.6 僕のマインドセットを破壊した孫泰蔵さんの言葉

 前回の連載記事で、新聞販売店の横に併設したスマホショップが想像以上の成功を収めたという話をしました。「日本一親切なスマホショップをつくる」という方針を立てたものの、まごころデジタルサポートを活用していただいたシニアの方々が、あれほど多くのご家族を連れてきてくれるとは思いませんでした。

ソフトバンク社内でも話題に 僕が経営していた「ニュース&モバイル」はソフトバンクのiPhoneを扱うお店ですか

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Vol.7 20歳での起業を心に誓ったフィリピンの夜

Vol.7 20歳での起業を心に誓ったフィリピンの夜

 今回は、なぜ僕が起業家を目指したのかというお話でしたね。僕は20歳のときに家を出てから、会社は小さいながらも20年以上、経営者として生きてきました。会社勤めではなく起業の道を選んだのは、高校1年生の時の経験が原体験としてあるからです。

実は僕、タガログ語が話せます 僕は高校1年のときに2週間ほどフィリピンを旅行しました。フィリピン出身の仲のいい同級生がいたのですが、母国に帰ってしまって、それで

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