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『宇宙文明』との出会い

実にアヤシイですね、こう書くと。

ここからは心を「3歳児」に戻して読んでください。

なぜなら、親は子供を無償の愛で育てるからです。何かの見返りを求めて子供を育てる人は居ませんね。この「無償の愛」の意味は後ほど解ります。

1週間前、彼らに「出会った」のですが、その出会いは衝撃的でした。

実は、そのイベントは私が絶対の信頼を寄せる若き友人が、宇宙文明の彼らと出会うように仕向けたものだった、そう後から知りました。友人は既に彼らを知っていて、私と彼らを結びつけると良い反応が起きると考えてのことでした。私は彼女からの愛を、こうして受け取りました。

私は、宇宙文明の彼らと地球文明の友人の意図から、「宇宙文明」を「地球文明」の私たちに分かりやすく伝えてというメッセージだなと受け取りました。

そこで、こんどは私が自分で「宇宙文明」の彼らを招いて、その1週間後にイベントを開催しました。それがこれです。https://www.facebook.com/events/756140985102958/

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そして「宇宙文明」さんの紹介やHPはこちらです。
https://note.com/luminous_world
https://youtu.be/RyQyln-xhRY


死、それは何か

2001年、ヨーロッパに赴任して、週末にアムステルダムのアンネフランクハウスを訪ねました。そこで私は、人間の残酷行為の結果を、客観的に眺める時間を持ちました。そこが発端となって、「人間とは何か」「なぜ人は殺し合うのか」というテーマで世界の大量殺戮の場に自分を置いて、どう魂が反応するのか試してみました。

Dデーのノルマンディー、史上初めて使われた毒ガスで大量死したフランダース、ベルリンの壁やチェックポイントチャーリー、ポルポトによるキリングフィールドのカンボジア、ベトコンの聖地サイゴン(現ホーチミン)、東京大空襲の東京下町、そしてアウシュビッツ。

心が震えた。魂が波動しました。

なんだか青い鳥の物語のように、求めていた問いの答えは、日本に、そして身近にありました。最初に記しておきますが、私は実家が仏教浄土真宗の檀家ですが、葬式とお盆だけのカジュアルな信者です。そして地球人です。

「人間とは何か」、世界を旅して3大宗教の聖地も訪ね、その教えを現地の人から聞き、見て、感じて、思索の海に飛び込み、哲学して普遍的な問いへの答えを求めました。その答えは身近な人、誰もが知っている人からもたらされました。ブッダです。静かに衝撃しました。

答えは、ブッダの教えの中にありました。

それは宗教ではなく哲学でした。2600年前に既に答えは出ていた。なのに人間は延々と殺し合ってきた。なんと愚かなことだろう。

再び心が震えました

ブッダは自分が死ぬ時刻も、死因も知っていました。一番弟子のアーナンダ―(阿難)は嘆き悲しみ、師亡き後どうしたらよいかとブッダに問いました。

自燈明になりなさい

そうブッダは言いました。長きに渡る教えは、既にあなた達の内にある。「自分自身を頼りにして生きていきなさい」、これからは自燈明となって、自らが光り周囲を照らしなさい、そう告げました。

自燈明(Wikipediaより)


自燈明になる、恩送りの人になる

2019年、縁あって私は自燈明になると決めました。無償のメンタリングを『公共メンター』と銘打って始めました。まずは1人が始める。すると、1人が2人、2人が4人、4人が16人、そうやって1人が他人を助ける時、6回繰り返すと43億人になることに気付きました。

無償メンタリングの依頼を受ける時、私は「得たものや恩は、次の人へ差し上げてください」これを条件としています。ペイ・フォーワード恩送りとも言います。『公共メンター』は「公共メンティー』を生みます。

恩送り(Wikipediaより)、つまり「情けは人の為ならず」です。

情けは他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味ですね。


恩送りは托鉢、それは宇宙文明の「無償の愛」

仏教の托鉢も同じ考えです。僧侶に何か差し上げると、僧侶はあたかも施しを受けているように思うかもしれません。そこには、こんな意味があるのです。

僧侶はお布施を受け取っても礼を言いません。僧侶が「お礼」を言ってしまったら、それは寄附や募金活動になってしまい托鉢ではなくなるからです。

実は、托鉢とは僧侶の修行ではなく、お布施をした人の修行なのです。これを敬虔な仏教国である、タイ、ミャンマー、ラオスの人たちはよく理解しています。かの地を旅した時、僧侶がいかに尊敬を集めているかをこの目で見てきました。

お布施をした時に、僧侶は偈文(仏典の一部で仏の徳を称える韻文)を唱えます。この法施という行為により、お布施をした人と受ける僧侶が「お互いが施し合う」、これが托鉢の意味なのです。

同じだ、そう直感しました。

これは「宇宙文明」が言うところの「与え愛によるHAPPYの循環」であり「無償の愛」であり「ハッピーの無償提供をする循環型社会」です(与え愛とはギフトのことです:後述)。

ギブ&テイク、じゃなくてギブ&ギブ、その考えが仏教にも、「宇宙文明」にも存在する。それが私にとっては衝撃であり、安心でした。

今回の「宇宙文明」とのコラボイベントは、私なりに「宇宙文明」を「地球文明」の私たちに分かりやすく伝えるというのがゴールでした。

なにせ、フツーの日本人なら「実にアヤシイ」と感じるであろう彼らの話は、私の中では何も不思議ではなく、すんなりと受け入れられる「準備」あるいは「環境」が自分の中にはありますが、市井の人々はそんな準備は出来ていません。そんな人にも話についていけるだけの環境づくりが、イベントの冒頭に必要だと思いました。

それで、彼ら宇宙文明のメッセージが凝縮している1時間半のYouTube動画「もぉすぐ宇宙文明!っ総集編」の中で、開始から3分の1にあたる「宇宙文明の説明・導入部」を、イベントの参加者に、私なりに咀嚼してお伝えしました。そのうえで、この二つの核心となる質問をしました。

どうしたら地球は宇宙文明になれるの?
それはいつなの?

答えは7分50秒あたりから、お二人の言葉で語られます。イベントを収録した下記Webラジオでお聴きいただけます。三角マークをクリック下さい。


宇宙文明に参加するには、どうしたらいいの?

はい、聴き終わりましたか?驚きませんでしたか?

この質問は、簡単ではなかったようです。各惑星で条件が違うからだそうです。大きな括りで言えることは、「愛の意識を持つ人の割合」が増えることだそうです。

最近は「ギフト」という言葉で表されたりしてます。「それってギフトだね」とか「今日は沢山ギフトの言葉をあげたよ」といった具合に、様々なところで聞かれるようになってきました。宇宙文明ではギフトを「与え愛」と呼び、循環させることでハッピーを量産します。


自分への愛+他人への愛、このバランスが大切

ところが、このギフトを勘違いして使っている人もいます。

ギフトは利他の心であり他人への愛ですから、見返りは求めません。サポーターと呼ばれる人、被災地ボランティアもこれに該当します。私は東日本大震災の発災後から被災地ボランティアを開始し、今に至っていますが、被災地には「ボランティアジャンキー」と呼んでもよい人がたまに現れます。

ボランティアは時に、相手から「感謝」という名の愛を返してもらえるので充実感が得られます。ところがボランティアジャンキーは、その愛を欲しがってしまい、ボランティアに没頭して自分の生活を忘れてしまいます。経済的に成り立たないのに被災地に通い続ける人、それは自分への愛が足りません

発想を転換して「サポートする側からサポートされる側」になって、より多くのサポーターの協力(愛:時に善意のお金)を集め、それを使って被災地で愛の行動をする、そうすればサポートしてくれた皆さんの愛を被災地に届けることができます。しかし、ボランティアジャンキーは自分が気持ちよくなりたいので、他人の協力など欲しくありません。

自分への愛は「自分で自分を満たしている」状態を言います。これが地球人には難しい。何か足りない、これが出来ない、あれが無い。無い無い尽くしです。これに対して宇宙文明の人はこう言います。


「なぜ地球人は完璧になりたがるの?」

グサリと来ました。参りました。二の句がありません。

言われてみれば、地球人は小さい時から完璧を目指すように教え込まれます。たとえば、

なんで勉強しないの!?」テストの点数が悪いと言われます。
なんで努力しないの!?」さか上がりが出来ないと言われます。
どうしてきちんと書かないの!?」字が汚いと言われます。

なのに、

どうして一生懸命ゲームやらないの!?」とは言われません。

なぜでしょう。

簡単ですね。それではお金を稼ぐ人には成れないからです。生きる「手段」であるはずのお金が「目的」になってしまっている。本末転倒です。私が知っている欧州の暮らしは、もう少しマシでした。

私が赴任したベルギーでは、週末は家族で過ごし、隣人を愛し、夏のバカンスを心待ちにします。その田舎町には極めて珍しい日本人である私を、行く先々の人やご家族が笑顔で迎えてくれて、その輪の中に入れてくれました。

時間の進み方がゆっくりになり、生活にゆとりが生まれました。それでもベルギーの親友は私にしばしばこう言いました。「なんでそんなに忙しく時間を埋めたがるんだ。もっと人生を楽しめよ」と。

そんな場所から日本に帰ってくると、目が回ります。ベルギーではゆっくりと流れていた時間が、帰国したとたん、成田空港で時計の針が急に速くなります。なぜだろう、いつも不思議に思っていました。そんな時計の針が速い国を「効率」が極めて悪い、そう欧米から名指しされます。不思議ですね。忙しいのに効率が悪い。オカシナ国、日本です。


地球の経済は「差分」を見つける行為です

この差分を見つけるのは簡単です。

例えば、持っている国が持っていない国にモノを売る行為です。日本には石油がありません。だから中東、米国、北欧から買う。差分には対価としてお金が使われます。

世界はこのお金を稼ぐことが豊かになることと信じて、GDP(国内総生産)というどれだけお金を稼いだかという指数で豊かさを測りたがります。カネ、カネ、カネです。これに対して幸せ指数である国民総幸福量(GHN)を使っているブータンは有名ですね。

カネが一番大事、だから人々は一生懸命「差」を見つけようとする。いまの社会が差別的で二極分化してしまうのは、他国・他人・隣人と「差」をつける、それが優れたことだと教え込まれているから、「差」を見つけようと懸命に努力します。

しかし、差をつくることは差別につながります。差別は分断を生みます。そりゃそうですよね、差分によって上下関係を作れば、従う者を作れます。お金で何でも言うことを聞きます。極端な話、死ねと言えば、死にます(死なせます)。これがお金の正体で、いま世界で起こっていることです。


本来のお金の意味

しかし本来、お金はそんな風に使われるものではありませんでした。お金が使われる前は、贈与経済でした。何かを頂いたらお返しする、原始的な経済です。相手の顔が見えるので安心ですが、その一方とっても不便です。これを現代社会で行ったらどうなるでしょう。

例えば東京から大阪へ新幹線で行ったとします。どうやって贈与経済でお返しすればよいでしょう。

農業をやっている人なら、農産物を持って行くでしょう。じゃあ、どれだけ大阪駅の改札まで持って行けばいいでしょう?運べる量じゃありません。

ITエンジニアだったらどうでしょう。大阪駅でパソコンを広げて腕まくりして「さあ何をやればいいですか?」と時間を費やさねばなりません。

高校の先生だったらどうでしょう。大阪駅の改札で机と生徒を集めて教室を開かなければなりません。

歌手だったらどうでしょう。そこでコンサートを開けますが、駅は大変なことになって警察沙汰になるでしょう。

もうお分かりですね。お金はとっても便利なんです。だから皆が使いたがった。

ところがそのお金を専門的に扱う人たちが現れました。俗にユダヤ系と呼ばれる人たちです。人類の歴史上でユダヤ人は、なぜか嫌われました。そして迫害の歴史を歩みました(理由はここでは記しません)。しかし、彼らも生きてゆかねばなりません。そこで彼らは、このお金に目を付けました。お金さえあれば身の安全を守れます。お金で民兵も雇えます。たとえ敵に捕まっても、お金を稼ぐ能力は頭に入っているので奪われません。

そうやって彼らはお金をどんどん稼ぎ、お金の力で権力を握り、国家を事実上動かすまでになりました(米国ですね)。こうしてお金に特化して才能を伸ばしたユダヤ人は、地球の様々な場所に活躍の場を広げ、いまやイスラエル以外では見えなくなっています。ただ、彼らが悪いわけではありません。彼らにも生き残る術が必要だったのです。


地球文明は差分を求めるが、宇宙文明は逆のようです

こうして地球文明は差分を求め、差分を強引に作ってお金稼ぎに血眼です。

例え貧困にあえいでいる人がいようと、それは「自己責任」として無視されます。いやいや生活保護があるじゃないか、という人がいるでしょう。いまの日本では社会人としての、大人としての、尊厳を捨て去る勇気が必要となる行為です。周囲の目も気になったり、社会の負い目を感じる人も多いでしょう。

では宇宙文明はどうしているのでしょう。

宇宙文明にはお金の概念がありません。お金が要らない社会ですし、お金そのものが無いと言います。では仕事はどうしてるの?そう聞きたくなりますよね。

彼らは言います。原始に戻ったり、物々交換になるんじゃなくて、みんなで分かち合ってます。そして、仕事もあります。でもそれは地球でいう仕事ではありません。仕事と遊びの境界が無いのが特徴です。

地球のように、好きでもない、やりたくない、「しなければならない」仕事じゃない。「~ねばならない」という義務は、人の能力を最大限に発揮できない。仕事の動機はシンプルで、「楽しそう」「良くなりそう」というワクワクする気持ちだけ。やりたいこと、興味があることを、そのまま仕事にする。

楽しそう、から始まる仕事は興味が尽きず、努力すら楽しいので、苦を感じないので、どんどんいろんなことにチャレンジしたくなる。皆がそういう意思で動くので、社会のベクトルは自然とテクノロジーの急成長に繋がっていく。自分も皆もすべてが豊かになって、より便利になる。

つまり先に示した「ハッピーの無償提供をする循環型社会」です。宇宙文明の基本法にのっとった得意なことや自分のやりたいこと、好きなこと、興味のあることをするだけ。それがどこかの誰かに喜びを与えている

簡単に言えば「趣味や遊びがそのまま仕事になっている」感じ。それがアイデンティティを発揮する機会であり、自分をより愛することが出来るようになるので、自信に繋がる。

自分の好きなことを好きなように表現するだけでOK。本を読もう、絵を描こう、映画観よう、バンドやろう・・・、そんな遊び感覚でOK。自己表現が社会への提供に繋がる。仕事と遊びの境目が無いのが特徴。プラスのモノを、よりプラスにする、ポジティブだらけの社会

取引が無い、対価を求めない、つまり「条件付きじゃない」。「あなたがこれをしてくれるなら、私はこれをする」は取引だからしない。損得勘定もない。だから期待もしない。

むむむ、これは地球文明と真逆だ。

待てよ、対価も見返りも求めない、これって地球でも身近にありますね。子供の時、誰もお金払ってないですよね。親は子を「この子は高く売れそうだ」などと損得勘定で育てたりしません。

この対価も見返りも求めない無償の愛の行為を、他人にも同じようにやるってこと。シンプルに考えれば出来そうですが、なぜできないんでしょう。ちょっと、このビデオを見てください。(ただし、スマホでは字幕が隠れてしまうので、YouTubeで見てください。下記画像をクリックすると始まります)

タイ保険会社の感動して涙が止まらなくなる動画【日本語字幕】

https://youtu.be/N1T3PvC3C2Q?t=5

地球でも見返りも求めないこと、やってますね。

次回はもう少し掘り下げてみましょう。宇宙文明には仕事はどんなものがあるのか、宇宙文明に仲間入りしたての惑星ではどんな職業が人気なのか、興味が尽きません。次回が楽しみです。


お金のいらない社会

ひとつ意外な事実をお知らせしましょう。この地球でも「お金のいらない社会」を実現しようというプロジェクトが動いているようです。それもお金が大好きなアメリカで。ザ・ヴィーナス・プロジェクトというものです。以下は記事から。

究極の理想郷を建設するプロジェクトが実際にある。「ザ・ヴィーナス・プロジェクト(The Venus Project)」、発足したのは1980年、場所はアメリカのフロリダ州ヴィーナス郊外。完成には及んでいないが、21.5エーカー(東京ドーム2つ分弱)の敷地内に実在している。研究所もそこにあり計画はいまも進行中だ。発案したのは、「ダビンチの再来」と名高い発明家ジャック・フレスコ(Jacque Fresco)氏。なんと現在101歳。発明家であるほか、建築家、未来派、工業設計技師としても広く知られる彼は、いろんな意味で、奇跡の人である。

ついでに「お金のいらない国」のことにも触れておきましょう。

長島龍人さんが書いた本です。4巻までありますが、そこに書かれている社会は、まるで宇宙文明のようです。前ZOZOTOWN社長の前澤友作がその第1巻を無料公開していますので、ぜひお読みください。


ではでは
三河屋幾朗@mikawaya1960
 公共メンターhttps://menta.work/plan/954

参考になりますよ~


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三川屋幾朗@mikawaya1960
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