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ものかきものがたり:3行め 「東京」

物書きになりたい。
未来への展望でも、未来への夢ですらもない。ただの妄念じみた空想、逃避に突き動かされた愚かな青年は、背嚢ひとつで東京行きの夜行列車に乗りこんだ。

東京行きの上り東海道線、夜行列車は――名古屋を出て、浜松、そして熱海あたりからは通勤時間帯の山手線もかくやという混みよう、ボックス席に座る私の前にも立っているおっさんたちが押し込まれる有り様で。
しかも、私に場所を揺すってくれた労務者風のおっさんはずっと酒を飲み続けていて、電車が神奈川に差し掛かったあたりからは絡み酒、ずっと私に、
「このガキ、でかい荷物もちこみゃがって。邪魔だ、おりろ」
「東京なんぞいってもどうもならん。どくだみ荘ってマンガしっとるか」
「汚い四畳半で何も出来ないまま年食ってしまいやぞ。あの街は金持ちしかうまい目みれん」
「もうお前降りろ。朝の電車で田舎に帰れ」
……と。私に席を譲ってくれた物静かなおっさんはどこへやら。ずっと、私を見てもいない空っぽの目で、そこにやり場のない怒りと後悔めいた色を漂わせたまま、安酒を飲み続け、私に絡み続け……そして私は。それに口答えする気力もなく、顔をうつむかせて、ただ。光瀬龍先生のSFに逃避していた。
そんな電車も、大船、戸塚あたりで止まったときに駅のホームには駅弁の呼売が現れだし、満員の電車の窓を開けて、おっさんたちが怒鳴り合いながら弁当を買い、立ったまま食うのを私は横目で見……。
私の隣の、安酒で豹変したおっさんは。川崎駅で他のおっさんたちの降車の怒涛の中に紛れて、無言で……消え。そして。
電車は、川崎、品川あたりからは通勤サラリーマン風の混雑に中身を変えて。私はその中で一人、キスリングを抱えてうずくまったまま……そして。
――東海道線は、東京駅についた。
私は東京で、ただひとり。東京駅の雑踏の中、戦後の遺物を背に、途方に暮れ……。
駅の物陰で、出発の時に友人が持たせてくれた餞別のパンとお茶をくってから。私は路線図に戸惑いながら最初の目的地、神保町へ。
そこには、私が通うことになるアニメ専門学校があった。
そして、その学校と提携している不動産屋が、即日でも部屋を紹介してくれるという入学のしおりに誘導されるまま、私は神保町の不動産屋で、ほぼ言われるがままに部屋を決め――学校からは遠いが、中野の、家賃2万2千円の風呂なしトイレ付の築40年物件が、東京での住まいとなった。
今でも、はっきり覚えている。たまに夢に見る。
当時、3月の早朝。3月なのにやけに暖かく、暑いくらいの日だったのを覚えている。その陽射しの中、まだシャッターの下りた不動産屋の前で座り込んでいたときのことを。
戦後の、焼け跡の浮浪者そのままの有り様で途方に暮れる、若い日の自分を。

こうして――私は、渇望していた創作、物書き、アニメーション制作への第一歩と……なるはず、だった、アニメ学院へと通うことになった、のだが。
その私の第一歩、夢の階段は――最初の踏み出し、入学式のときから失望と不安、後悔がのしかかってくるしろもので。
飯田橋の、どこぞのホテルのホールを使って行われたその入学式では……講師の先生方が、挨拶などをしたのだが……当時、アニメにズッポリで様々のアニメ監督、作画監督、シナリオライターの名前と作品を暗記していた私、そして周囲の受講生にとっても。「おっさんは誰じゃ?」という、聞いたこともないアニメ業界人が講師だとわかり……。
私の進むコース「シナリオ科」の講師も、司会の業界の古株、大先生だという割には、やはり「おじさん誰?」が登壇し、あきらかに昼から酒を飲んでいた雰囲気で。
「おまえら(実際、いきなりこう言われたのをよく覚えている)で、業界に入れるのなんぞひとりか二人、まあゼロだぞ」
「大学も出てないお前たちにやれる仕事なんて無いぞ」
「何も知らんやつが仕事できるほどこの世界は甘くない。まずは世間の厳しさを知れ」
……と。まあ正論といえなくもないことを喚いて、その大先生はふらふらと降壇(なおこの大先生を見たのはそれが最初で最後だった)。
そして、それより若干若い先生が登壇し、やはりアニメオタクが見たことも聞いたこともないそのおっさん、自称舞台脚本家が、我々シナリオ科の実際の講師だと明かされた。
そんな……絶望しか無い、入学式。そして、シナリオ科は週一、日曜日の午後に2時間だけのカリキュラム、私のアニメ学院生活が……はじまった。

――始まった、のだが。正直、ここで書くべきことはほぼ無い。
週一、日曜夕方だけのそこでは。パソコンどころかワープロもほとんど普及していなかったその時代、受講生の我々(それでも老若男女あわせて20名ほどいた)に、『ペラ』と呼ばれる、テレビの脚本などで使われる200文字詰めの原稿用紙が配られ……。
そこに、例の脚本家だったという講師から。
・ タイトルや注釈は上から三文字開けて書く。
・ト書きは一文字あけて書く。
・セリフは「」で囲って書く。
――これだけ。
これだけ教えたら、あとは
「たくさん本を読んで、いろんなドラマや映画を見て。名作もつまらないものもたくさん見て吸収しろ」
「学生同士でディスカッションして、意見や作品を交換しろ。独りよがりで書き続けるな」
――これもまあ、正論めいたことを毎回言うだけで。

クラスの生徒達とディスカッション、なにか会話をしても……全員が、右も左もわからない素人ばかりで、なにか希望の糸口だったり、楽しい、身のある会話などもあろうはずもなく――。
そんな中、クラスでひとり異彩のようなものを放っていた年かさの男。後年の、六道神士先生のコミック『エクセル・サーガ』に登場する住吉そっくりの恰幅の良い、自称業界通のその男が、
「入学式で大先生が仰ってたことは、まあそうですわ」
「仮に作家になれても、売れなきゃすぐ終わり、乞食以下なもんで。みんなも餓鬼の時分にみたTVアニメ、あの少年剣士の。覚えてますでしょ。あれの原作者の先生は売れなくなって、最後は川崎のバラックで餓死してるのが見つかって終いですわ。先生、そのときコーラの空き瓶しゃぶったまま死んでたそうで。えぐいですなあ」
ウソか本当か。などと、うぶな学生たちを戦慄させて喜んでいたあの顔は、今でもよく覚えている。
授業も空虚、受講生たちとの付き合いも空虚。そのまま、4月、そして夏、秋、冬に……。

実際、ほぼそれだけで……私の、東京生活。アニメ学院の1年間は過ぎてしまった。
そして……学院は、シナリオ科の1年間をいちおうの修了。2年目のカリキュラムとして「プロコース」なるものが設定されていたが……。
私はもう、そこに通おうとは思わなくなって……いた。
――私が夢見ていた、アニメの世界は。東京での生活は。
虚脱、絶望、嘲笑、後悔、不安。それだけが、二十歳前の青年の中に残った、1年だった。


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