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書けん日記:10 天より降りきたるもの

週末の足音がする、某日――
T氏「三日坊主が四日目に突入してるようなのだが、それは」
不肖「すみませんすみません、今から書きます、何でも書きますから」
T氏「今」

慌ただしくもないが、ジタバタするだけの私の書けん日常で……。
先日、このnoteを始めさせていただいて。
……最初は『何を頂いたのか』わからず、なんじゃろこの通知は? とか、改めてnoteの機能を見ていた私は、ようやく――
自分が、noteで初めてのサポートを頂いたことに気づいた次第で。

T氏「これだからマニュアルを読まないやつは」
不肖「車とバイクはマニュアルなんで許してください。何でも運転しますから」
T氏「今」

まさか、こういうご支援があり、それを不勉強のこの身に頂けるとは。
この場ではありますが。
本当にありがとうございます。
考えてみたら、テキスト仕事を納入しておちんぎんを頂く以外で、物を書いて戴き物をするというのは、この不肖の人生で初めてかもしれぬと。気恥ずかしいような、感無量でありました。
そして、思い出すのは――

みなさまは、中華街、中華料理店などに飾られている色紙などで。
 福 喜 春 白 などのめでたい漢字が、逆に貼られているのをお目にしたことはないだろうか。あれは、あちらの文化で――いものはみな、天から降ってくる。という言い伝えがあり、故に。めでたい漢字を逆にする=天から、降ってきているワーイ、ということらしく。
私みたいなロートルミリオタだと、第二次世界大戦のドイツ軍戦車、タイガーに何故か逆さの『福』が貼られている写真があり、そのタイガーは『ハッピータイガー』と呼ばれ、小林源文先生や梅本弘先生がコミック、ノベライズにしたりと――いろいろ。

――天から降りきたる、佳いものには。予言、神託のようなものも含まれる……だろうか。
もちろん、予言はハッピーな内容のものばかりではなく、不吉なもの、警告なども含まれるし、そのほうが多いのかもしれない。
そんな、天から降り来たるものの、思い出。

私は若い頃、バイク仲間のM氏と一緒に京都に行って。そこで、有名な晴明神社に参拝させていただいたことがある。晴明神社は、実は名古屋にもあり、そこは現地のバイク乗りにとっては有名スポット。その縁で、京都まで遠征、現地の晴明神社にも参拝をさせていただく流れだった。
当日は、道の混雑以外はとくにトラブルもなく、無事に参拝を。そして、時間に余裕があった私たちは、オカルト、スピリチュアル方面も好きだった私とM氏は、噂に聞いていた――
『恐ろしいほどよく当たる』『人生や進路の相談をすると道が拓ける』
などと評判高い、晴明神社の宮司さんによる占いを受けていくことに……決めた。

晴明神社の占いは、予約などはなく、先着順だったと記憶している。平日の参拝だったせいか、順番待ちの人も数人ほどで。私とM氏も記帳し、数千円の玉串をお支払いして、占いの順番を待った。
そして待っている間に、氏名と住所、そして誕生日と。日によっては、生まれた時間もそこに記入して(私の場合がそうで、わざわざ母に電話して産まれた時間を思い出してもらって記入したのを覚えている)。
そして、待つこと……30分ほどだっただろうか。

占いの部屋には、一度に四人が入るらしく。中に宮司さんが二人居られて、宮司さんが二人の参拝者を占うという流れで――私とM氏、他の参拝者の方が、占いの部屋に入る。
そこは……清浄な雰囲気の中庭に面した、ご神木の落とす影も涼し気な、板張りの和室だった。
そこにいた宮司さんは、一人がまだ若い、眼鏡の宮司さん。
そしてもう一人は……私とM氏を占ってくれる宮司さんは、ご老人――様々の紙や硯の置かれた、低い机のむこうに座っていても闊達なのがわかるご老人で……書道家の、故榊莫山先生によく似た。禿頭、そして白髪をざんばらにした……老人。私の第一印象は。
『やべえ。晴明神社に、安倍晴明じゃなくて蘆屋道満(夢枕獏先生バージョン)がおる』
……だった。

余談だが、夢枕獏先生は安倍晴明より蘆屋道満のほうが好きだと思う。
全く余談だが、夢枕獏先生の描写する、蘆屋道満の不敵な笑み。

ふ。
ふ。
ふ。
ふ。
ふ。
――その老人は、不敵に笑ってみせた。

これを一度、真似してみたいけど、私がやったら絶対怒られるやつ。

閑話休題――
私とM氏が、その部屋に入り。その宮司の老人の前に立つ、と。
その老宮司は、まさに「からから」と笑って、私を見て――満足そうに、頷き。言った。

「うん。君ぃ、カネはたまらんわ。うん」

ぎゃふん。なんだこのおっさん(驚愕)。何を言い出すの、この爺さん。
私の横で、ブッと小さくM氏が吹き出し。隣二人も、笑いをこらえていた。
たしかに、私は将来のこと――このまま、物書きを続けられるか。それとも別の生き方を選んだほうがいいのか、を占ってもらいたく。さっきの紙にも、そう書いたのに。
老宮司は開口一番「君、カネはたまらんわ」と。
私は困惑しつつも、少々、カチンとも来て。
「それはいったい……どういう――」と。その私の言葉に、老宮司は笑ったまま。
「そこに座りなさい」
――カチンもなにも。その言葉に、私はアッハイの声もなく。すとんと座らされ。
老宮司は、私の書いた紙を見ながら……占いが、神託が始まった。

「――君は物書き、作家だそうだね」
「はい。ですが最近、迷っていて……」
「いいことだね。そのまま続けなさい。君は、書きたいもの、書くべきものは泉のようにわいてくる。だがそれを商売にするには、人の縁がいる。地元にいては駄目だ。なるべく遠くに出なさい」
「……。それは、三河にいては駄目だと。名古屋ではどうでしょう」
「方向としてはとてもいいね。なるべく遠くに、行った方がいい。仕事も、遊びも」
「昔、東京にいたことがありますが。作家としては散々でした」
「いいことだね。その時の経験と縁を大切にしなさい」

老宮司は、何かの硬い木を打ち鳴らすような。私よりもはるかに芯の通った、はきはきした声で私を占い――私は、それに答え、うなずくだけで。
そうして、私の占いは終わる。
私が一礼し、ありがとうございますと座を立つと。その老宮司は紙を見ながら、
「不安もあるだろうが。それも君の泉の敷石と思いたまえ。君は、湧き出す泉のように書けるはずだ」
「……ありがとうございます。頑張ってみます」
「まあ、カネはたまらんけどな」 かんらかんらの笑み。

ぎゃふん。本日二度め。
私と、こちらはつつがなく占いを終えた(ずっと笑いをこらえていた)M氏は、その占いの部屋をあとにする。その私たちに、案内の宮司さんが。
「……あの方が、あんなふうに言うのはめずらしいですね」 と。
そんなに、私の卦というか。運勢はオモロイものだったのかと。
終わってから、私は……このまま貧乏作家生活、ってか? と多少の苛立ち、不安を胃の腑に飲みながら。混み合う京都の街路から脱出、そのまま愛知県へと……三河へと、戻った。

――天から降りきたるもの。予言。
私に授けられた、その予言を胸に……というか、記憶の隅っこに置いたまま。
私は東京から名古屋に活動の場を移し、いろんなお仕事をさせていただいて……今に至る。たしかに、あの占いの通り――私はまだ、物書きを続けられている。
だが。泉のようにわいてくるはずの文、テキストは。書きたい、こういうのをやりたい、という妄念だけは、泉ではなく不吉なマグマのように混混と私の中にあるが……それが、泉のようにわいて出てくることはないまま。書けん、と苦悶しつつ……二十年余りが過ぎてしまった。

あの占は、神託は。当たっているのか、外れているのか。それとも、当たりも外れもない無意味なものだったのか。
それすらも、答えの出ないまま私は――
先日。
やはり、天から降ってきたに等しい、サポートを頂いて。この神託のことを思い出し。
私は、頂いたご厚意で牛丼を。ガツガツ、アウンアウン、かきこんで。
――うまい。
私の物書き生活を支えてくれた、この味。このたび、天から降ってきた、印税でも原稿料でもない戴き物。それで贖った、このマナを胃の腑に収めて。私は、書けんこの身を奮い立たせ、次の仕事に。キーボードに向かう。佳き哉。
次はまた、あのアメリカのヤクザたち。彼らとも長い付き合いだ。善き哉。

不肖「……ということがありまして。いやあ、あの牛丼は格別でしたね」
T氏「えっ、もう使っちゃったの。……あのね、前も言ったけど――お金が入ったら、源泉とか、インボイスのぶんをだな。ちゃんと残してだな」
不肖「アッ」
T氏「いきなり全部使っちゃうとか。だから金が貯まらんのでは?」
不肖「陰陽師スゲーーー」


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