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書けん日記:29 土を喰らう、或いはブッコロ(指定野菜)

春ですよー。

T氏「のっけから老頭児ロートルネタはルール無用すぎだろ」
不肖「えー。若いファンも多いし、毎年増えてるんですよ。東のほうの界隈って」
T氏「それはそれ。お前の場合は いた↓いた↑しい(VOICEROID風)」

春です。出会いと、別れの季節――
庭にいた小鳥たち、みかんの輪切りがお気に入りで、いちばん入り浸りで「もう君ら、うちの子だよね」状態だったメジロの夫婦たちは……。
ある日とつぜん、雨上がりの天気の良い温かな日に……鳴き声一つ、のこさず。あの鮮やかな緑でちいかわな姿も、ふっと消えて……いなくなった、春。
メジロたちが、萌えいずる木々の若芽、そこにつく虫たちを求めて庭から川べりへ、野山へと帰っていった……そして巣作り、子育てをする春。
同じく庭への来訪者だった、ツグミとシロハラもある日、ふっと姿を消し……彼らも、遠い空へと。あの小さな体で、海を越えて、大陸で子育てをする日々が待っている……春。
それは、生き物としては真っ当で、よろこばしいことであり……この不肖は、ほほえみをもって餌台の後片付けをすべき、なのだが――

やっぱり、ちょっとさみしい……別れの春。
それでも、同じく子育てに忙しいシジュウカラやヒヨドリ、スズメたちはまだ庭で騒がしく。彼らに山分けのパンとジュース、ひまわりの種を出してあげる……春。

そして出会いの春。巡りくる、再び巡ってきた……新緑。
小鳥たちがかしましい、庭のそこかしこにも春の花が――

ヒヨドリのヒヨリーナ2世に蕾を食べられまくっていた木瓜の花も、きれいに咲きました
植えた覚えのない花ニラも咲きます。……ママンの忘れ形見かも。

この不肖、親父の跡を継ぎさらに手広くやっている弟の仕事を。野良仕事、百姓業務をときおり手伝う傍ら――弟の、野菜畑の一角を間借りして自分用の野菜を作ったり、ワケアリ品質の野菜をもらって、それで日々を喰い繋いでおりまして。

冬、そしてつい先の3月。春は名のみの冷え込みの中だと……。
寒さ、雪、そして毎朝の霜ニモマケズ、青々と葉を茂らせ、真っ白に肥えるカブ、そして大根のシーズン。出荷できない、形のいびつな、どころか割れてしまったやつをもらって。煮物や漬物にして、麦めしのおかずに充てる……豊穣の冬。
そして今年は、大根飯というレパートリーも増えていろいろ試した――冬の豊かさ、湿れる凍らない土と過ごした、冬。

真冬。1月に小麦は芽吹いて青々と伸びます。

そして、春。4月。畑にも、春の花の季節がやってくる。
毎年、私が楽しみにしている畑の風物詩は……実は、旬の野菜や山菜などではなく――

先日『指定野菜』としておよそ50年ぶりに追加された、ブロッコリー。
弟の畑でも、冬の出荷野菜としてブロッコリーが栽培されていて。寒さの中でも大きく膨らんだ花蕾、栄養たっぷり緑のブロッコリーの出荷を手伝った、その見返り、報酬として……。
本来は、収穫が終わったらブロッコリーの株は抜かれて処分、新しく作られた畝には別の作物が植えられる、のですが。畝いっぽんだけ、ブロッコリーの株がそのままにしてあり。

真ん中がブロッコリーの放置株。

そこには、春になると。ブロッコリーの、ああ、君もアブラナ科だったね、感のある蕾がにょきにょきと。とってもとっても、あとからあとから脇芽になって生えてきて。数日見ないでいると、花を咲かせてしまうのでほぼ毎日、てくてく畑まで歩いてきて、ブロッコリーの花芽をつんで――。
それを、頂く。これが……私の、不肖の春の楽しみの一つ。

摘んだブロッコリーの花芽を湯がいて頂きます。

ブロッコリーの隣には、カブの畝もあって。冬に間に食べきれなかったカブはそこで、やはり「君もアブラナ科だねえ」な、可愛らしい黄色の花芽をつける。種取り用の、景気の良い株だけ残しておいて――他のカブの花芽も、つんで。こちらも頂きます。

カブの伸びた花芽。かすかな辛味が香る美味しい春の味です。
白だしで軽く煮たカブの花芽。ちゃんとカブの甘い味もします。

ついでに畑の傍らにある、オレンジと夏みかんのハイブリッドらしき謎みかんの木。
その下にも、そろそろシーズン終わりの果実が落ちていて。こちらも頂きます。

木から落ちているのは完熟の証拠。春はみかん拾いの季節です。

こんな、春の悦楽。巡りきた季節の、饗宴。
冬の間は、ビタミン剤やスーパーの野菜で過ごしていた体に染み込む、春の滋養と繊維質。これを麦めしと、サバ缶をおかずにむしゃむしゃ。
――さて。私も、脇芽でもいいからまた花を咲かしてみるか、という気分に。高揚します。
そんな食生活を送っていると、思い出すのが……。
開高健先生と同じく、不肖が敬愛し尊敬する大作家。
水上勉先生の『土を喰らう日々』。

少年時代、禅寺へ修行に出された先生が、そのお寺の畑で春夏秋冬、そこにあるもので精進料理を作っていた修行時代――その思い出から、いまも土とともに生き、自らの手で料理を作る先生のエッセイ十二ヶ月の名作です。

こちらの『土を喰らう日々』、じつは映画化もされておりまして――
『土を喰らう十二ヵ月』 なんと、主演は沢田研二。ジュリィイイイイイイ(昭和脳)。

こちらの映画、元はエッセイをどうやって味付けを? ん? 松たか子さん? たか子!ジュリーと浮気をしているんじゃああるまいね松子!イヨオーッ高麗屋! などと余計なことを考えながら視聴すると……。
うん。いい。こういうのすき……。
そして、ジュリーは。沢田研二は、あのお歳でもジュリー。セクシーとは俺のこと、は現役。
映画は、水上勉先生のエッセイをもとにして、信州白馬村を舞台に。老境の沢田研二が水上勉先生を演じ、春夏秋冬、滅びしに、そして蘇る自然の中で……死を感じ向き合うメメント・モリな、じつにいい邦画でありました。
役者さんも絵も、舞台もいいし。そして……映し出される精進料理を手掛けたのは、かの土井善晴先生。もう画面から、季節が香る。簡素に見える精進料理なのに……料理が輝く、つばが口にあふれて、胃袋がせつなくなる。そして使われている器も粋で、いい。
『土を喰らう十二ヵ月』 不肖おすすめの映画です。
……そしてここまで書いておきながら――ラストシーンのネタバレを書いてしまいたい、書いたらあかん、でも2000文字ぐらいであーだこーだ妄想も交えて書きなぐりたいっ……! そんな映画でした。

そんな、水上勉先生のお言葉に――
「貧しさが私にいい球根を与えてくれた」 なる名言が。

不肖「いいお言葉であります。私も球根とは言わずとも、しぶとい雑草の根のようにですね」
T氏「おまえは百姓のくせこいて。球根とか種イモも、真っ先に食っちゃう節制のなさを先にだな」
不肖「……農耕社会に、権力者と支配が生まれる――節制の強要は自然の成り行き……ヤムナシ……」
T氏「あっそうだ(唐突)。ウチ今夜、焼肉だからよ。お前は菜っ葉の記事書いとけよ」
不肖「ひどい。……こうなったら不肖は粗食で長生きしてやりゅー。仕事仲間全員の弔事、俺が書いて読んでやりゅー。香典払い損になってやりゅー。最後に孤独の中で笑って逝ってやりゅー」


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