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親の生き方について物申さない

親が新車を買うと言ってきた

母からLINEがあり、父が新車のクラウンを買いたいと言っているそう。クラウンってあたりが団塊の世代だけれど、いつまで運転できるかわからないし最後の車だと思って買えば?と返事をしておく。
それよりも、60を過ぎたときに千葉の田舎の方に戸建てを買って移住をしたので、その家をどうするのか考えたほうが良いよ、とコメントしておいた。

戸建ての問題点

戸建てはどこもそうだと思うけれど、とにかく寒い、2階建ての階段が心配、洗面所やお風呂が寒い、ムダに広いので手入れが大変などの問題が。
ただうちの母は庭いじりがとにかく好きで、野菜や花や木や色々育てているのがとにかく楽しいらしい。なので、この家で最後を迎えたいと。
まあまだまだ身体も動くしゴルフやらお食事会やらやっているのでそんな気分になっているのかもしれないけれど。
車の運転もいつまでやるのかとか、傍から見ているとあやしいなあと言うこともたくさんあるが、本人たちがリスクを考えてやっているのならまあいいか、と思うことにした。

私も親から干渉されたくない

というのも、私も親のコメントをあまり聞いたりしないし、たまには来ないの?と言われても別に用もないので(笑)、ただでさえ東京と江ノ島の行き来をしたりして移動も多いので、あーだこーだと言われても自分のリズムを崩すのがめんどくさい。
だとしたら親は親でやりたいこと、住みたいところ、買いたいものを優先して楽しく暮らしてくれればよいのではないかと。そのかわりめっちゃ寒いお風呂場で急に倒れてもどうにもなりませんわ。でもそれは本人たちが決めたこと。

お互いに時間は有限

普通に考えたら親のほうが寿命は短いわけだけれど、私もダンナもめちゃくちゃ若いわけじゃないし、お互いに時間や体力は有限なので、干渉しすぎず好きにやったら良いと思う。
冷たいかもしれないけど、心配してあげたらそれが優しさなのか?ということなんだろうな。こっちの自己満足というかエクスキューズというか。
人はいつか死ぬわけだし、その死に方とか場所は自分が選んだらよろし。その代わり遠くの田舎の家までわざわざしょっちゅうは行かないけど、という話。

親や子だからと言って、どちらかが犠牲になるのは無理が生じるから、どうぞ好きにしたら、と心から思った、という話でした。