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優しさは目に宿る。

川田さんが亡くなった。

川田さんは、思い入れの深い利用者さんだ。

入職してから、川田さんから「おやすみなさい」と「おはようございます」を5回ずつくらい言われた。


それ以外に、私は川田さんと言葉を交わしたことがない。


私が入職した時には、すでに発語も表情の変化もほとんどない方だった。
だけど、本当に心の優しい方だった。


入職して半年も経たない頃。
その日は、信じられないくらい色々な「まさか」が重なった。

いつも自分で少しずつご飯を食べてくれる山田さんが天を仰いで座っていて、さっぱり食べ始める気配がない。
あごの筋肉を自分の意志で動かすことが難しくなり始めていた原口さんも、コンディションが悪いようでがっちりかんだスプーンがなかなか口から抜けない。

朝礼は9時から。それまでにあれもあれもやらないと…

そんな中、ガチャン!と音がして、森野さんの手からコップが落ちた。
床一面に広がる牛乳。

私の中でプツンと糸が切れた。

もうだめ、ほんとむり、どうしよう。


とりあえず床にこぼれた牛乳を拭いた。
ますますみじめな気持ちになってきて、ほとんど泣きそうになりながら
「川田さん、私どうしましょう」
とがっしりした川田さんの肩に手を置きながら言った。

ふっと、でも確かに川田さんがこちらを向いて、私に目を合わせてくれた。


驚くほどに優しいまなざしだった。
その目は、若者を見守る年長者のあたたかな目だった。


私はその時瞬間的に、「そうだ、川田さんは人生の大先輩なんだ」と思った。

本当に当たり前のことだ。
普段から決して適当に接していた訳ではない。
でも、ケアをしていると、利用者さんを「ケアされる人」、自分を「ケアをする人」として見てしまうことがある。
特に言葉が出ない人はよりそう感じてしまいやすい。

でも、私はあの瞬間、確実に川田さんのまなざしによって「ケアされた」。
そして自分が無意識に、川田さんにケアされることなんてない、と思ってしまっていたことに気づかせてもらった。

本当に大きなことを学ばせてもらった利用者さんだった。

川田さんは本当に誠実で真面目な、心が優しい人だった。

言葉を交わしたことはほとんどないけれど、確かにそうだったんだと思う。
寝たきりになっても、ピンとしたシャツ生地のパジャマや七三分けの髪形のような「整っている」ことが似合う人だった。
ほとんど表情の変化はない方だったけど、ご家族の話をするとうっすらと目に涙を浮かべることもあった。

私は何ができただろう。
1年半、川田さんに何をしただろう。
川田さんが「何も言わず」「どんな質問をしても反応が返ってこない」から、決められた仕事をただやるだけになっていなかったか。
不快な思いをせずに、日々を過ごせていただろうか。

私には、不快な思いをさせていない自信がない。


あのときの川田さんの眼差しは、ずっと私の頭に焼き付いている。
あの眼差しを焼き付けたまま、これからも仕事をしていきたい。



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