それでも、日常は回る。

入職してから初めて看取りをした時のこと。

この仕事をし始めて痛感しているのが、今の社会で「病院で死なない」ということがどれほど難しいかということだ。
基本的に施設に入所されている方で、最期は病院で迎えたいという方はほとんどいない。
でも、何か食べ物を詰まらせてしまったり、突然意識がなくなってしまったり、急変が起きたときに施設でできることは本当に少ない。
急変が起きて病院に救急搬送され、そのまま亡くなる方を何人も見てきた。

そんな中でその方は、最期まで施設で生きた。
入所されてから、転倒されたり、食べ物が食べられなくなったり、少しずつできないことは増えていったけれど、「できなくなっている」というよりはゆるやかにゆるやかに坂道を下っているような印象を受けた。

そして肩で息をするようになり、呼吸の間隔が少しずつ空き…
その間もずっとご家族が付き添い「もう十分頑張ったよ」「大丈夫だよ」と声を掛けられていた。
私も他の方のケアの合間に何回も訪室し、お声掛けさせていただいた。

その時のことを思い出すと、今も胸がじんとする。
温かくて穏やかで、どこか神聖な空気が部屋の中に漂っていた。
自分もこんな風に最期を迎えたい、と思わせてもらえた時間だった。

でも、「失礼しました」と一歩部屋から出ると

いつもユニット内を車いすで散歩されている方は今日も散歩していたし、
「おねえさんおやつまだ~?」といういつもの声が聞こえてきた。

終わりを迎えようとしているときのすぐ横でいつもの日常が回っている。
急にタイムスリップしたような不思議な感覚だったけれど、
そういうものなんだよなぁとも思った。

今この瞬間も誰かがどこかで亡くなっているけれど、私たちはふつうに生きている。
その距離が扉一枚隔てた隣の部屋か、数km先か。
それだけの話なのかもしれないと。

そして、今の社会では「死」が病院の中に閉じ込められていて、病院以外で死に向き合うことが圧倒的に少なくなっているけれど、
本来は「扉一枚隔てた向こう」で起きていて然るべき事なのかもしれないと思った。

最期まで在宅で生活することも、
最期まで施設で生活することも、
色々な条件に左右されてとても難しいことだと思うけれど、
みんなが望む形の最期を迎えられるような前例を作っていきたいと思う。

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