介護を始めたら、イスラム教への見方が変わった。

介護の仕事をしていて感じるのは、自分の考えるあたりまえの範囲がすごく広がるなぁということ。

認知症の方は自分が思ってもみなかった行動をされるし、
そもそも自分より3世代くらい上の方と接しているということもあるのだけど、職員の多様性もその理由の一つだと思っています。

今回は、介護の仕事を始めたら、イスラム教への見方が変わったという話です。

私が持っていたイスラム教のイメージ

この仕事をするまで、私の身近な人の中でイスラム教を信じていたのは、
シリアから来た留学生の友達だけでした。


彼女が教えてくれたのは、

今シリアではシーア派とスンニ派が争っていること。
とても平和だった自分の町や家族も危機にさらされていて、避難せざるを得ない状況になっていること。
留学が終わったらシリアに帰ろうと思っていたが、それもかなわない状況になっていること。

などでした。
彼女はとても温かくおおらかな人でしたが、自分の国の話をするときはとても悲しそうだったのが印象的でした。

私の中には、全部が全部そうではないのは分かっているけれど、やっぱり宗教は危ない面も持っているんだ、という印象が強く残りました。

介護現場で触れたイスラム教

私の職場では、インドネシアの方が何人も働いています。
みなさんもニュースなどで耳にしたことがあるかもしれない、EPA介護士という仕組みによるものです。

日本はインドネシア、フィリピン、ベトナムの3か国と協定を結んでいるそうですが、私の職場ではインドネシアの方のみが働いており、現在介護職員の10%弱がインドネシアの方です。

なぜインドネシアの方が多く働いているかというと、私たちの法人がヒジャブの着用を認めているから。
ヒジャブとは、イスラム教徒の女性が頭に巻く布のことです。「他の施設と迷ったけど、ヒジャブがOKだからこっちに来ました」と話す人がたくさんいることから、ムスリム(イスラム教徒)の女性にとって本当に大切なものであることを実感しています。

利用者さんにも「頭巾のねえさん」と慕われており(笑)、仕事に支障が出ることはないと感じています。

そんなインドネシアから来た職員さんと仕事している中で、心に残っている出来事があります。

ある日、勤務を終えて今日の記録を打っていた時のこと。

どこからか聞き慣れない、歌のようなお経のような不思議な旋律が聞こえてきました。

「なんか不思議な歌が聞こえてきますね。利用者さんの部屋のテレビですかね?」 と私が言うと、その時一緒に勤めていたインドネシア人の職員さんが

「いや、これはコーラン(イスラム教の聖典)ですよ。〇〇さんが読んでるんですね。」

と教えてくれました。

〇〇さんは他の階で勤務しているインドネシア人の職員さん。勤務が終わり、インドネシア人の同僚を待って空いているベンチに座っていました。

私はなんでコーランを読んでいるのかがわからなくて、「今お祈りの時間なんですか?」と一緒に勤めていた職員さんに尋ねました。
すると、

「いや、まじめな人は空いてる時間とか、暇があったら読むんですよ」

と教えてくれました。

宗教は、生活の中にある。

当たり前のことかもしれないけど、私はその時初めて
「宗教は生活の中に当たり前にあるものなんだ」と実感しました。


料理をしたり、掃除をしたり、お祈りしたり、コーラン読んだり。

こんな風に、日々の暮らしに必要なことの一つとして組み込まれているんだなあと感じました。

そして、私だったら
「なかなか来ないなあ」とちょっとイライラしたりしながらネットニュースやSNSを見てしまう「人を待っている」時間に、
自分の信じている宗教でいいとされていることが詰まっているコーランを読もう、という選択肢があることって、とってもすてきだなあと思いました。

思ってもいない形で広がった私の中のあたりまえ。
もっとインドネシアのことや、イスラム教のことを知りたいなあと思っている今日この頃です。


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