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スパゲッティでも生きていてほしいと願う気持ちを、私は責められない。

机の上での「尊厳死」

大学の授業で、「いのちとお金」というテーマで議論をしたことがある。

現在、老人の延命のために使われる税金は右肩上がりだ。
医療行為を継続して行うために、身体拘束といって、腕をベッドに括り付けたり、ミトンを着用したりすることがある。
医療行為のためにたくさんの管がつながれた状態を「スパゲッティ症候群」と呼ぶ。
親がそんな状態になっても、あなたは生きていてほしいと願いますか?

私も含め、教室にいたほぼすべての学生がそんな状態は望まない、と答えた。
「そんな状態なら生きているとは言えない」
「自分の親は延命治療を望まないと前々から言っているので、命を伸ばすだけの治療はしないつもりだ」

その時の私は、そんな苦しい状態になってまで親に生きていてほしいと願う気持ちがわからなかった。
ほとんどの人が望んでいないのに多くの人が病院で治療を受けながら亡くなってしまう意味が分からなかった。

でも、今は違う。
自分が見てきたいくつかの家族の話を元に、改めて考えてみたい。

認知症になった親の意思は、本当にその人の意思か?

山中さん(55)の母は、とても生真面目で、心配性な性格だった。若い頃から、「色々やって長生きしても仕方ないよ」といつも話していたため、山中さんも母に延命治療はしないつもりでいた。
そんな母が、数年前から認知症を患い、施設に入居することになった。

認知症になった母は、驚くほど楽しそうに日々を過ごしている。
他の入居者の人と親しくおしゃべりし、人の目を気にすることもなくなったのか、毎日大きな声で歌を歌っている。
苦しいことや辛かったことを全て忘れてしまったかのように、ニコニコと朗らかだ。

久々に面会に来た山中さんに、母はこう言った。

長生きするのも楽しいものよね~
昔は悪いことばっかりだと思ってたけど、今はす~っごく幸せよ~!

これから具合が悪くなった時。
昔から繰り返し話していた母の意思を尊重するか、今の幸せな日々が続くかもしれないなら、治療に可能性を掛けてみるか。

山中さんは悩んでいる。

前向きになってくれれば、長生きできるのに。

上村さんの父は現在75歳。
大きな病気もなく、健康に過ごしてきた。
活発な性格で友達も多く、地域の人気者だった父を上村さんは誇りに思っていた。

しかし、ここ1年、急に父は元気をなくしてしまった。
いつもベッドで寝てばかり。食事も食べない、飲み物も飲みたがらない。
気づけば低栄養や脱水で入院し、点滴で元気になっては退院することを繰り返している。点滴を抜いてしまわないように、病院ではミトンをつけられている。

「もういいんだよ、俺は。」と話す父。
自分の妻や娘も、「もうそんなにしなくてもいいんじゃない?」と言ってくる。

でも、身体はどこも悪くない。
昔の父のように元気を取り戻してくれれば、気持ちさえ前向きになれば、もっと生きられるはずだ。

毎日父の好きだった車の雑誌を持って面会に行っては、「お父さん、元気出せよ!」と言葉をかけている。

何回見ても、わからない。

私たちは仕事柄、一生に経験する死の数を一年で経験するくらい人の死を目にする。

利用者さんの死の数だけ、それに向き合う家族のことも見てきた。

専門職として、「ご本人は本当に幸せなのかな」と思うことも、あくまで他人として、「もう医療行為はやめてあげた方がいいんじゃないか」と思うこともあった。

でも、自分の親が同じようになった時どうするか、と考えても、結局は今の私には考えきれないのだ。想像しようとしても、想像しきれない。
「専門職としての私」と「娘としての私」は違う決断をするかもしれない。



親が入所している施設から、ある夜突然電話がかかってくる。

すいません、〇〇様の息子さんでお間違いないでしょうか?
実は〇〇さんなんですが、夕食後に多量の嘔吐がありまして...熱も38.2℃あり、呼吸状態もあまりよくありません。
生前の意思の確認の際は、施設でのお看取りを希望されていましたが、救急搬送を希望されますか?


あなたならどうするだろうか?

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