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生きるのに役立つ仏教の考え5選

約2500年前のブッダの哲学がいまだに多くの人に影響していることを考えるとかなりすごいです。

そんな中でも筆者としても生きる上で役に立っている考えが5つあるのでこれを紹介します。

因果応報

すべてに原因と結果があり、投げかけたものは返ってくる

人に親切にすれば人からも親切にされる確率は上がりますし、誰かの役に立とうと努力するのであればその努力の過程で何らかの報酬が返ってくる確率は上がるかと思います。

ここで考えることは、「自分が投げかけるものと相手が投げかけているもの」そして「全ては自分の中で完結する」ということです。

たとえば誰かに酷いことをされても、心で怒りや妬みを投げかけていればそれは自分の体を蝕む毒になってしまいます。
相手がそんなこと忘れてヘラヘラしていてもそれで怒りを心の中で生み出してる自分自身が傷つき続けるんですね。
本当に酷いなら距離を取るなり法的措置をとるなりして自分の心から悪いものを投げかけないようにする方が先決です。

相手は相手が投げかけているもので勝手に自己完結します。
相手をどうこうしようと思うより自分が幸せになるといいですよ。

自分は自分が楽しくなることだけ考えて自分からは良いものを投げかけることを考えていればやがて良いものが返ってきます。
人は色受想行識ということで、何かを受け取って心で想ってから行動に移りますが、その心で想ったことが怒りや憎しみなどの悪感情だったら危険でしょう。

権力者の中には見栄や欲望や不安や恐怖で行動を起こすことも多いですが、そういった心から生まれる結果は危険ではないでしょうか。

特に日頃から「不平、不満、愚痴、泣き言、悪口」を想像することをやめることが重要なのかなと思います。
想像するから口に出てしまいそれが定着しますから。
これで行動が変わってきて返ってくるものも変わるでしょう。

諸行無常

すべては移り変わるため、何かに執着しても無駄

例えば子供の時は初めて立ち上がったり、言葉を喋れるようになる「無常」の状態を受け入れ子供が可愛く感じます。
しかし子供が成長し独立心が出てきて自分のコントロールが効かなくなると途端に「無常」を受け入れられず「子供が言うことを聞かない」と悩む親がいます。

「無常を受け入れていない」というのはつまり「何かに執着している」ということです。
執着が生まれると悩みが生まれるんですね。
いつまでも5歳ごろの子供の姿に執着しないことです。
全ては変わるのですから。

常に同じ写真を映画館で2時間も観ないように、物語は変化が次々とあるから気づきや面白さをそこに見出せるものです。

ブッダの弟子が「自分の過去世や未来世はどうなのか?」とブッダに尋ねたときに、「過去にも未来にも執着せず今を生きる」ということを説いた話があります。

後悔とは過去に執着をして、不安とは未来に執着をしている状態なのでしょう。

この概念のすごい点が、何事にも執着しないため此岸(この世)にも彼岸(あの世)にも執着せず、真理にも執着しないと言う点です。

これ言っちゃったら宗教が成り立たないです。
宗教って正しいと思う考えに執着してますから。

なので個人的にはブッダというのは別に宗教を作ろうと思ってなくて、普遍の哲学を説いた人なのかなと考えています。

色即是空

すべては意味づけのされてない現象なので物事は捉え方で変わる

この世には悲しい出来事も幸せな出来事も存在しないんですね。
全ては現象で、それをどう意味づけしてるかです。

人間とカラスが同じテーブルに座り、目の前に腐ったネズミが出てきたら人間は不快になるかもしれませんがカラスは喜びます。

目撃した現象は人間もカラスも同じですが捉え方が違うんですね。

つまりこの世界というのは自分が勝手に意味づけをしていて、その意味づけ通りに存在してるんですね。

雨が降ったとか、いくら評価されたとか、事故にあったとか、これらも全て現象でそこに良い悪いを決めるのは全て自分なんです。

筆者が役に立ったと思う考えとして「全ては自分にとって良い意味を持つ」と捉えることで物事を肯定的に捉えられるようになったことですね。
実際に「自分は運が良い」と思っている人は落ちているお金に気づきやすかったり、ミッションの達成が早いという研究もあったりします。

そう考えるとどっちが正しいかということも無意味になります。
つい人は「自分が正しい」と思い間違ってると思う人をネットでも叩くようですが、意見として存在してる以上はどちらも正しいしどちらも間違いの空なのかもしれません。
ただの現象でありそこに意味はないんです。

ただ、「全ては自分にとって良いこと」だと捉えていれば目の前に来た現象から何か学べるかもしれませんね。

一切皆苦

生きてるかぎり思い通りにならないことがたくさんだと受け入れる

おそらくこの考えは人が一番受け入れたくないものでしょう。
なので死んだ後の世界、カルマ、神にすがるなど苦から逃れる方法を考えるのかもしれません。

苦というのは「思い通りにならないこと」だそうです。
つまり四苦八苦というのは

・生、老、病、死の4つ
・愛別離苦:愛する人との別れ
・怨憎会苦:会いたくない人に会う苦しみ
・求不得苦:求めても手に入らない苦しみ
・五陰盛苦:心身の苦痛

これらは思い通りにならないものですが、それを思い通りにしようとすると苦しみが生まれます。
これもまた執着から生まれるようです。

一方で苦、思い通りにいかないからこそ何とかしようと成長したり学習できたりするため必ずしも苦が悪いことではないようです。
桜は散るからこそ人は有り難がりますが、人も死や苦があるからこそ有り難さに気づくのかもしれません。

この考えの面白いのは一切皆苦、つまり全てが苦しみだと言ってるんですね。

息をずっと吸っていたら苦しくなるから吐くけど、ずっと息を吐き続けても苦しいから吸う。
食べなくても苦しいし、ずっと食べすぎても苦しくなる。
ずっと立っていたら苦しいから座るけど、ずっと座りっぱなしでも苦しい。

そう考えると僕らは苦しみがデフォルトとして設定されているので、逆に苦しくない状態というのは本当にありがたいことだということが分かります。

筆者も口内炎ができた時に苦しいと思いがちですが、逆に今までどこにも痛みがなく食べ物を食べられていたことに対してもっと感謝を込めることを思い出させてくれます。

諸法無我

すべては影響しあって存在しているので我に執着せず繋がりに感謝しよう

実は僕たちが「これが欲しい」とか「自分の考えだ」と思っていることというのは誰かからの受け売りばかりです。
例えば「あの素敵な人とキスをしたい」という欲求があったとして、それはドラマやテレビから影響を受けただけでしょう。
愛情表現にキスの文化がない先住民もいますからね。

我というものはあまり当てにならないかもしれませんよ。

「私はこうしたいんだ!」
という欲求、それって本当にあなたの欲求ですか??
ここまで読んだ内容から得た考えは自分の考えと言えますか??
だとしたらちょっと知識や経験があっても偉そうにできないですね。

そしてもう一つ、全ては影響を受けあってるというのであれば自分一人だけで生きるというのは不可能なんですね。
食べ物も誰かが加工したものを食べてますし、必ず何かや誰かの影響を受けて体が構成されています。
何も摂取せずには生きれないですし、自分の所有物と思えるものも単に運が良いだけで手元にあるだけです。

それは逆も然りで、あなた自身も必ず誰かに影響を与えているのでそれだけで生きている意味はあると言えるでしょう。

面倒くさい、やる気が出ない、やめたくてもやめられない… これらも我という無いものに執着しているだけなのかもしれません。
なので我に執着するより因果応報を見ながら「良いことを投げかけるぞ」と意識していこうと思いました。

淡々と感謝を込め今を良く生きる

まとめ

ブッダがみんなに話した内容を誰かがメモってそれが大陸を経て日本に渡っていく中で多少の内容の変化はあったと思います。
ブッダの哲学が100%の完璧なカルピスだとしたら、いろんな人が触れる中で薄まったり違う味が加わったりしてるのかもしれません。

サンスクリット語から漢語に訳したのは三蔵法師である鳩摩羅什と玄奘が有名ですが、彼らが登場したのは釈迦の没後数百年後だと言われてますから、もしかすると釈迦以外の人の言葉も翻訳したり独自の解釈も入ってしまったかもしれませんね。

ここでブッダが伝えている内容として重要なのは「宇宙の真理」的なものと「智慧」の要素があると思っています。

「宇宙の真理」にフォーカスすると確認できないので宗教的な話になります。例えば輪廻転生、菩薩、極楽浄土、神の力とかですね。
中には方便など譬え話もあるので2500年の間に譬え話が真実かのように変わった可能性もありますし、人は超人的なパワーに憧れるので妄想はどんどん膨らむのでしょう。

一方で「智慧」に関しては我々が実践して心が楽になったりすれば実感できるので、これは有益かどうかは体験としてわかるのではないでしょうか。

その点で今回紹介した5つの内容は実際に筆者がこの考えを持ったことで、毎日を感謝いっぱいで悪感情をあまり抱くことなく過ごせているのでかなり有益だと実感しています。

是非とも参考になれば良いですが、現代においても人を救ってるブッダの考えはすごいですね。

もしかすると時間を超えて人々を救済する菩薩というのはこの智慧やそれを伝えてきた人たち自体を指しているのかもしれませんね。


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