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自分観察をして気づいた気楽に生きるコツ

ぶっちゃけ自分用のメモなので大抵の人にとってはどうでもいい情報です。

まぁ、毎日をストレスフリーでダラダラと気楽に生きてるので、気楽に生きていきたい人にとっては役にたつかもしれないとか思ったりして。

相手に話させる

結構どの国に行っても色んな人と仲良くなって、食べ物や住む所など色んなものを提供してもらって得をしたりすぐに友達になることができるのだが、つい先日、初めて会ったスペインの女性との会話で「あぁ、オイラはHOWの質問が多いな」と気づいた。

基本、人の話なんて次の日には忘れてると思うので私はあまり話さない。それに言語を話すよりある程度聞き取れるくらいだったら習得するのは簡単だ。相手から情報を得るのはいい事だと思うので私は相手によく質問をする。その際に「Why(なんで?)」はちょっと相手を攻撃してる感があるので私は「How」をよく使うようだ。

「へぇ、イラスト描いてるんだ。どうやって学んだの?」「どのくらい時間がかかった?」「それってどうやってやるの?」

みたいな感じで相手にやり方とか過程を聞いたりする。するとストーリーに関わる情報が手に入るので沈黙が少なくなる。

ちなみにこの質問をする前に知っておいた方がいいことが二つあって、それが「共通点」と「尊敬できる点」だな。どちらも話を聞けば必ず見つかるはずだから会ってから前半はこの二つを徹底的に見つけるんだ。すると自然と質問が思い浮かぶので、私は初めて会った人との会話では沈黙は作らないようにする。沈黙なく相手が気持ちよく話せると「あれ、この人とは気が合うな」と思うようですよ。。。

というのは無意識にやっていてふと自分の会話の中で気づいたのでメモってみましたよと。

車輪眼で相手の動きを真似る

ということで基本的に人に気に入られると楽に生きられることが多いので他にも気に入られるであろうコツを紹介する。

10代の頃に「ミラーリング」という心理テクニックを使って相手の動きを真似る方法を知ったのだが、最近になって無意識で相手にそれを使っていることに気づいた。

NARUTOではたけカカシが桃地再不斬と戦った時に、車輪眼で相手の動きを真似してさらに再不斬よりも先に術を発動するというシーンがあった。これと同じく、ミラーリングを使って相手の動きの真似をさりげなく行い相手の心が開いたら今度は相手が自分の動きを真似するようになる。人は自分と同じ動きをする人を仲間だったり親密だと思うらしいぞ。

10代の頃は「こいつ俺の真似してる〜!おもしろ!」という感じでやってたのだが、今は無意識で相手を自分の動きに合わせさせることに気づいたわけだ。それもあからさまな真似ではなく相手が体を揺らしていたら足だけを動きに合わせたり、相手が飲み物を飲んだら自分は5秒後に飲んだりとずらして真似ていたので自分もそれをやっていることに無意識だった。

相手の真似をするのに言葉は必要ないからな。ちなみに私の動きや口癖は人の真似した結果身についたものが多かったりする。(手をあげるときにピースサインをしたり、Should Be という口癖もそうだな。)

過去を思い返さない結果記憶力が低下した

いつからか「過去を思い返すのって意味なくね?」と思ってから過去を思い返すごとに「ダメだ」と脳に命令し続けた結果、過去を思い返すことをほぼしなくなった。代わりに記憶力が悪くなり自分が昨日何をしたか聞かれても思い出せないことが多い。

「ダメじゃん!」と思うかもしれないが、その代わり私は嫌な経験なども思い出せなくなったのでかなりストレスフリーな感じだ。今これを書きながら思い返しても人生で嫌な人間に出会ったことはないし嫌な目にあった事もないと思う。パッと思い出せないが人に言われると「あ、そんな事あった気がする!」という感じだな。

私は伊藤穰一氏のいう所のNowist といった感じで「今やる事」を考えているだけで、未来に対しても考えないので不安や心配というものもない。他の国にフラッと滞在するが準備はいつもギリギリだ。当日になってヤベェ、どうしよ、まいっか。となるな。

まぁ、人生ある事で失敗しても10年後もそれについて気にするということはほとんどないと思うのでトラブってもいいかなくらいに思っている。

この辺の考え方は仏教からきてる気がするけどね、、

ネガティブな感情が皆無に近い

記憶力が低いからだろうな。人に何か悪いことをしたりされたりしても基本次の日には覚えてない。昨日のことよりも毎朝「今日は何して遊ぼっかな」と夏休みの小学生感覚で生きている。

人は自分と同じジャンルの人間と自分を比べて妬んだりするようだが、私はこの感情がよくわからない。そもそも自分と他人は違うと線引きができてるので比べることがない。例えば「映像を作る」のは楽しいからやっているのであって、「誰かよりも上手くなろう」とか「もっと稼ぐために」とかは考えてない。なので自分より上手い人や稼いでいる人を見ても「頑張れ〜」と思うので自分と同じジャンルの人に対して応援のコメントをしたりチャンネル登録とかをしている。

そういう人たちが頑張ってくれて面白いコンテンツが増えると私としてもそれを見てハッピーになれるので妬んでネガティブな行動を取るよりも100倍ハッピーじゃないか?

知らない人間は犬と同じ

たまにコメントなどでネガティブな批判を送ってくる人がいるのだが、基本顔も知らない人からのコメントやメッセージは犬が吠えているのと同じくらいにしか捉えてないし、AIの自動メッセージかもしれないのでなんとも思ってない。「あらあら、ワンワン吠えてるんでちゅね。。。」と。

むしろコメントにいいねを押して時間をとって書いてくれたことに簡単なお礼をするとむしろ応援してくれるようになったりする。これはNARUTOで最初は敵だったネジや我愛羅といった敵キャラが仲間になってくれる感覚に近い。

テクニカルな批判に対しては自分の成長になるので取り入れるが、基本、自分の周りの人間以外はどうでもいい感じなので、逆に言えば知らない人は私の実家の犬よりも重要度が低い立ち位置だったりする。面と向かって直接「ブス!」とか言われたのだとしたら「お、あの人面犬の鳴き声はブス!なのか。」くらいに考えてみてはどうだろう。

どーせ人間は全員クズ

これは私が以前ラヂオで話したが、人間は全員クズだと考えておくといい。そもそも、ネアンデルタール人を「なんかムカつくな」という理由で殺戮し生き抜いた我々ホモ・サピエンスは今も地球にとってのガン細胞を担当している。We are はたらくガン細胞だ。

「人間てそもそもクズ」と考えると大きな期待を抱かずに大抵のことは寛容になれる。一見完璧に見える人間に欠点が見つかると鬼の首をとったかのように騒ぎ出すシャーデンフロイデは種として仕方ないかもしれないが、「まぁ人間みんなクズなんだから別によくね?」くらいな感じで色々と許せると自分も周りも気が楽だったりする。

すると自分も人間である以上クズなので、「よし、ダメ人間でもともとだから挑戦しよう」とか思ったりできる。大体、人間は全員クズなのでクズなプライドを持って行動を起こさないよりは自分をクズと認めてちょっとでも行動した方が未来は良くなると思う。クズはクズでも動くクズは星屑となって皆の願いを叶えるのだ。

仕事や収入に関して考えない

これは人によっては良くないことだと思うし自分でも良いこととは思ってない。ただ、ストレスが皆無だという意味では良いとは思う。

まず私は仕事と遊びの違いもわかんないし自分の職業も色々とやっていて良くわかっていない。先ほども書いたが毎朝「今日は何して遊ぼうかな」と思って生きている。そして収入に関してはネットにアップしているコンテンツから自動で入ってくるので毎年の確定申告まではわからない。

とりあえず毎月5万円あれば楽しく生きられ、幸いそれ以上は儲けているのでもう考える必要がないのだ。

そもそも、我々は狩猟をしていた頃は食料をゲットするのに1日に3時間も働けば十分だったようだが、農耕民族になって貨幣が誕生して以来1日に働く時間はどんどん増えていったようだ。実は時代が進むにつれ働く時間は増え幸福度は下がってたりする。

メキシコの話だが、ボートでのんびり釣りをしていた男にMBAを取得したビジネスマンが「もっと船を大きくして魚を大量に手に入れて儲けよう!そしたら好きなことができるぞ!」と言ったところのんびりしてた男に「今好きなことやってるよ」と言われたそうだ。

なんのために儲けるのかの理由が明確ならば良いのだが、なんとなくお金が欲しいとか、人と比べて少ないとかでストレスをためるくらいならもっと気楽に構えた方が人生楽だろうなとか思ったりする。 

日本は京アニの事件のようにたとえ大量殺人犯であっても税金を投じて治療したり「最低限度の生活の保証」が憲法で決まっているという、世界的にみてもレアな国なのでそこまで心配することないと思うのだが。

とりあえずやってみる

スペインのスーパーに行って知らないものとかがあるととりあえず買って食べてみたり、行ったことのない国やチャンスがあればとりあえずやってみるということはやっている。なので、まさか一年前スペインにいるとは考えてもないな。

正直、「スペインて特に行きたいわけじゃないけどワーホリで行けるらしいから住んでみるか」というのが来た理由だ。行けるから行っただけで特に行きたかったわけではない。

しかし来てみてメシは安くて美味いし、美術館には世界中のアートが集まり1000円以内で見られるし、人はフレンドリーで陽気だし、景色を撮影するのに最適だったりと来て初めてわかることがたくさんある。逆に来なければわからないし語れないのだ。

とりあえずやってみて気づいたりすることがあると良かったなと思うので人生における幸福度が上がる。基本的に人間はクズだし自分もクズなので、クズなりに動いてみようかなくらいな感じでやってみて失敗しても「ですよね〜」くらいな感じで気にしない。

とりあえずやってみよう。

まとめ

実は私も以前は「ああ将来やりたい事が分からない」とか悩みを持っていたことがあるが、将来とか過去とか考えると面倒なので今楽しいことを考えるようにした。(先日、「あれ、これ悩みじゃね?」と思ったことがあったがそれがなんだったのか今は思い出せなかったりする。)

たまに悩み相談(大抵は私と話を聞いて欲しいだけだろうが、、)みたいなのが来た時に「もっと気楽に生きればいいのになぁ」と思うことが多々あったりするのでメモがてらここに私のコツ的なことを書いてみた。

基本的にこう行った考え方は後天的に身につけられるものとそうでないものがあるが、今回書いたものはほとんど後天的に身につけたものだと思う。「あぁ、この考え方は気楽じゃないかも」と自分で考えを修正したりアップデートした結果が今の自分に繋がってたりする。

なので色々と本を読んだり考え方をインストールしつつ、自分を見つめ直しながら当てはめていくといいのではないだろうか。

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