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現代のアヘン、無料コンテンツ

2000年代初めの頃はネットを使う人は少数でしたが、現在ではネットを使わない人の方が少数になってきました。

そしてネットを使う人は常にデバイスを持ち歩くことで隙間時間や自由時間など好きな時に脳に快楽を与えることができるようになります。

筆者がまさにその生活をしています。

ネットによって日常に支障をきたさなければいいのですが、運動不足で健康を害したり仕事中にゲームをしてしまう人もいます。

このネット中毒者である我々が主に何をしているのかというと、安価もしくは無料で手に入るゲームや動画、マンガなどのコンテンツを消費しています。

これと似たようなことが19世紀にありました。

それが中国(清)のアヘンです。

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ということで現代のアヘンとも言えるソシャゲを大量にインストールして中毒化した筆者が色々と考察を書いてみたいと思います。

尚、筆者がインストールしたソシャゲは以下の通り。

パズドラ、ドラクエタクト、クラロワ、Clash of Clans、バトクラ、ヒロトラ、Merge Dragons! などなど.... 全てやると膨大な時間が失われます。

アヘンの対価として差し出したもの

悪魔との取引では寿命や別の者の命など重大なものを差し出す描写があります。

アヘン戦争前の三角貿易では中国(清)は茶をイギリスに差し出すことで得たお金(銀)でアヘンを大量に輸入しておりました。

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それにより中国の銀は大量に流出し大打撃を受けアヘン戦争につながるのですが、現代の無料コンテンツをアヘンと置き換えると我々が差し出す(失う)ものはなんでしょうか?

無料ならお金を失うことはありませんし、SNSに繋がれば新たな発見や快楽が待っているギャンブル性があり、ゲームを起動すれば速攻で集中して何かに取り組むことができます。

しかしその結果、我々は銀の代わりに「時間」というものを差し出しています。(場合によってはお金も。)

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これはどういうことかというと、我々は「無料コンテンツ」を手に入れるために「時間」を差し出しているため不便性や遅いこと、無駄を嫌うようになります。

すると「恋愛するまでのプロセスが面倒」「学校の勉強なんて無駄じゃないの?」「この人の話を聞くくらいならマンガ読んでた方がマシ」

など現実世界の不便なところよりも手元で広がる快楽の世界へと「時間」を差し出すことを優先し、より多くの「無料コンテンツ」を手に入れようとしてしまいます。

またアヘンを手に入れるためには「お金」と「時間(買いに行く手間)」が必要でしたが、「無料コンテンツ」の場合はお金も手間もかけずに手に入るため部屋から一歩も出たくない人が増えるのも納得の理由です。

誰もがコンテンツを作れる世の中

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とはいえ19世紀の三角貿易と違い現代では誰もが無料コンテンツを作ることができます。

「消費者」としての立ち位置であれば「お金」と「時間」を失う存在でしたが「企業・作家」の立ち位置に入れば「お金」と「時間(注目)」を手に入れるようになります。

もちろん共通通貨である「時間」はある程度支払う必要がありますが、同じ支払いでも消費者としての「時間」の使い方と生産者としての「時間」の使い方には違いがあります。

消費者の「時間」 は快楽と交換する代わりに現実では何も得ることはありませんが、生産者として「時間」を使えば現実で得ることがあります。

だからと言って「みんな生産者になろう!」と言いたいわけではなく、ここで「時間の価値」が人によって違うことを考えることが前提としてあります。

場合によって違う時間の価値

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「時間は皆に平等」という言葉がありますが、時間には重みも価値も違うことがあります。

フォーブスに名が載るほどの企業家と無職のプー太郎の1時間の価値は同じとは言えないというのはなんとなくイメージが湧くかもしれません。

また同じ人間だとしても、悲しくて辛いことが起きた時の1日と嬉しくて楽しいことが起きた1日とでは本人にとって価値が違うでしょう。

つまり、時間には「金銭的に測れる価値」と「精神的に感じる価値」があることがわかります。

「金銭的に測れる価値」だけを見る場合は「ゲームに時間を使うより仕事した方が得だよ!」と言うこともできるのですが、早急に働く必要がない人や現実世界に何らかの辛い事がある人の場合は「無料コンテンツ」に時間を使う方が「精神的に感じる価値」が高い事があります。

特に「退屈」「複数の問題が重なっている」「考えたくない事がある」「行動に移せない」などの現実的な問題がある場合は「無料コンテンツ」に精神的な価値を求めるのでしょう。

まとめ

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筆者の個人的な意見としても「自分が(長期的に)楽しめるのならいいんじゃね?」くらいに思っていますし、暇な人が変な事件を起こすよりかはスマホ依存になっている社会の方がいい気がしています。

実際、世界中で不良や窃盗などの非行に走る人が減っている要因がSNS依存だという調査もあったりしますし、、、(一方で大麻や薬物関連の犯罪は増えている模様。)

とは言え「無料コンテンツ」を作る側の生産者が増えて海外にコンテンツを売る人が増えれば、結果的に日本にお金が集まりそのお金で研究費とか子供支援とかにつながるといいなと言う気持ちもあったりします。

「無料コンテンツ」によって失われるのは「時間」と書きましたが、つまり若いうちの時間が失われることで若い時だからこそ身につけられたスキルや経験を失うことでもあります。

そう考えれば、コンテンツを生産へ転化する事ができるとスキルなり色々と身につくと思うので次回は「ソシャゲ」をテーマに依存することに関して考えていきたいと思います。


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