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霊的な体験の意味とは?|Soul Speaks まる裸な霊的体験②

霊的な体験とは

前回の記事:空間に現れた音の形は神聖幾何学だった|Soul Speaks 霊的体験①の続きです。

それらの霊的な体験は何だったのか?

結論を言うと、それは神の世界とひとつである体験だ。
人間は霊的な存在であると知ることでもある。

アレグザンダー氏の言葉を借りれば、「無限の愛」と「無条件の受容」の世界に戻ることだ。

ありふれた表現だが、それ以外に表現する方法がない。そしてそれは自我を遥かに超える未知の領域でもある。

私は今までの霊的な体験は、個人的なものであり、偶発的な、ただの瞑想体験の一つだと思っていた。それはただ通り過ぎるものであり、執着せずに、意味を知る必要のない物だと感じていた。

執着しないという点においては、とても正しかった。体験に価値をおかなかったお陰で、次々と新しい体験をすることが出来たから。

ところが、今になってその意味がわかると、それは私の思考をはるかに超えるものだった。

瞑想と臨死体験の違い

瞑想体験と臨死体験の違いは、それが個人的なものなのか普遍的なものかの違いだ。

瞑想、いわゆる道によって開かれる意識世界は、意識をどこまでも拡大し、何も引っかからず(浄化)、絶対的な無を体験し、神と一体になる。しかし、私が死ねば、その意識も消える。

臨死体験の世界は個人的なものではない。それは心の世界でもなければ、意識の世界でもない。私たちが存在しなくても宇宙に在り続ける真の霊的世界。存在、Being の世界だ。
神、天国、宇宙の根源、ワンネス、大いなる生命エネルギーとも呼ばれる。

境界線が無い


P106、**P105「プルーフ・オブ・ヘヴン」
臨死体験について書かれたものを読み、高次の世界が浸透する時は段階的なプロセスを踏むのが一般的で、その時にどの水準であろうと、より深い場所、あるいはより高い場所へ進むにあたっては、愛着や執着を捨てなければならないことを知った。
一貫して世俗の記憶を完全に失っていた私には、そのような問題は全くなかった。
**人間としてのアイデンティティーを忘れ去っていたからこそ、何物にも妨げられずに広大無辺の存在であるほんとうの自分に繋がることができた。


なぜ私がこのような体験をしたのか?
私には他の人と何ら変わりはない。

ただひとつ思い当たるのは、子供の頃から境界線がとても薄く、気がつくとその膜を超えている。
家族や親しい友人がこぞってそう言うのだから、そうなのだと思う。

「いつの間にか間合いに入っている」と、武道の達人や霊的指導者に言われたことがある。「殻のない生卵の状態で良く生きられるね」と友人が不思議がる。

若い頃は、その境界線がわからなくて随分苦労したものだ。
それでも、同化してひとつになることによって生きてこられたとも思う。

境界線がなければ、人間に限らず、動物、植物、鉱物、自然、宇宙、集合意識、時間、空間、そして物体でも同化できる。なぜなら全ては同じものでできているからだ。

そしてそれは幸せなことなのだ。

瞑想とは

実は私は、長い間、自分は瞑想が下手だなと思っていた。

瞑想を深めるための様々な技法にすぐに飽きてしまうからだ。そして座っていると、自分が消えてしまうので、自分を見失って瞑想できない、と思っていたのだ。

今ならばよくわかる。
その当時の私には瞑想の技法(修行)は必要なかったのだった。

修行というのは、全体を分解して「段階的なプロセスを踏む」ということだ。直線の時間感覚をもとに一方向に向かう事だ。

私は常に神の世界と繋がっていたので、段階を踏まずに、直接飛び込むことが出来たのだった。そしてそれは時空がない世界だ。

瞑想の目的は、自身の中を空っぽにすることであれば、最初から引っかかる境界線がない体質の人には意味がなかったのだった。そしてそういう人は沢山いるのではないかと思う。

女性の身体という祝福

私がこのような体験をしたもうひとつの要因は、完全な受容体である女性の身体だったから。

女性は全体的な体験をする。

そして生命の世界に常に繋がっているので、死を超えて自我を手放すことは簡単だ。それを神の領域と言うけれども、それゆえ、その体験を記憶することも語ることも出来ない。

女性の身体で体験する神との合一の素晴らしさは、言葉で顕すことは難しい。エクスタシーである、としか表現できないのだ。しかもそのエクスタシーは次元を超えた多重的な意味を持つ。

もし女性に必要なものがあるとすれば、それは付け足すことではなく丸裸になることだろう。

今のままの全てを受容すること。

それは神との合一でもあるが、真の幸せを自由を最初から持っていると知ることでもある。

男性の悟り方

男性はひたすら浄化して、霊性を高める修行にはげむことだろう。
頑張ってね、としか言いようがない。

なぜなら、完全に開かれた女性を活性化するのは男性の高い霊性であり、その高さに合わせてしまうのが女性の受容体だ。

それゆえ男性が霊性を高く磨き上げることによって、女性が黄金の神の世界を自由に表現できて、結果的にその最高の恩恵をうけることができるのも男性だ。

そしてそれは地球上に真の調和をもたらすことだと思っている。

昔から言われている。
「両極が一つに溶け合う時、新しい何かが生まれる」と。

生きるという事

何が生まれるのかは、それぞれの冒険。

そのためには、「生きている」ことが大切なのだ。

どのように生きるかは、あまり問題ではない。
宇宙は必ず行くべきところに導くから。

すべての体験が、そのための大切な体験であることが分る日が必ず来る。

草の上を歩き
気持ちが揺れ動き
愛し
失望し
怒り
忘れ
喜び
安心し
泣く

そのすべての瞬間に
神が存在し
あなたを抱擁している。

全ての希望を失ったときでさえ
神の手によって
鼓動はリズムを刻む。

その鼓動が
神の愛の印であると気付く時

生きることは
ただ生きることで十分だと

星々に
告げるのだろう。

自分の言葉で。

神との合一体験

私は全ての人は、すでに神との合一体験をしていると思っている。
そうでなければ、孤独を感じたり、幸せなのに満たされない、という気持ちを感じるはずがない。

問題は神との合一体験を自分で認識できない、という一点なのだもおもう。

一人一人の体験は違うけれど、それでもわたしが体験を書くことで、あ、あれはこれだったのかと、自身の体験を理解する人がいるかもしれない。

既に自分は神から愛されているということを。

♢  ♢  ♢  ♢  ♢  ♢  ♢

そして私といえば、相変わらず何も考えずに体験していくのだろう。
宇宙の広大さに何度でも驚きながら。

ひとりひとりの中にある美しい魂に酔いしれながら。

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(photo: ©MikaRin)







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