見出し画像

中期中絶❁我が子を諦めるということ


私は第2子を17週5日目で中期中絶しました。

私自身、他の方の中期中絶の体験談をnoteで拝読させて頂きとても勇気づけられた経験がある為、同じ経験をされた方の力に少しでもなれたらと思い、この投稿をさせて頂きました。

また、私が当時のことを忘れないようにする為の備忘録でもあります。

なので、中期中絶に対して、私の個人的考えや感情を書くことにつきましてはご了承くださいませ。

人工中絶に対して嫌悪感や不安感がある方は読むのを中断し、これから先の文章を読む際の読者様の精神面や健康面のストレス等は自己責任にてお願い致します。私の決断や考え方についての誹謗中傷も受け付けておりません。

また、中絶についての詳しい話や描写がありますが、私は医師ではないので間違いがあるかもしれません。(勿論無いように心がけてはおりますが)
私の文章のみを信じることなく、かかりつけの産科や医師の指示や話に従い今後の処置や対応を決めて頂ければと思います。

こんな人も居るんだ、とか、私と同じだ、とか、私はこうはなりたくないな、私じゃなくて良かったな、とか、今目の前にある命を大事にしよう、とか、何でもいいです、これを読んだ方が命の在り方について、少しでも考えたり想ってあげるきっかけになればと思います。

ショッキングな話になりますので、無料部分にて…
①16週検診で疾患疑い
②その後の詳しいエコー検査/大学病院の受診
③中期中絶について/私と主人の葛藤や考え
を書かせて頂きます。

今回は複数の産科の医師に診てもらい(セカンドオピニオンの観点からも)、診断をして頂きました。なんだかなぁ…といった医師も居ましたし、その辺りもしっかり綴ります。

その後の有料部分に付きましては…
④入院(検査)
⑤前処置(入院1日目〜2日目)
⑥出産当日(入院3日目)
(産院のご好意で主人の立ち会いが可能でした)
⑦退院
⑧その後
⑨火葬

さらに、あとがきを綴らせて頂こうと思っております。
無料部分のみでも長いですが、有料部分はとてととても長いです。自分でもビックリするくらい長くなってしまった。
投稿を分けようかとも思いましたが、自分の感情や考えをまとめてザザっと書きたかったのであえて分けません。ご了承くださいませ。

皆様のお時間や心に余裕のある時に読んで頂けますと幸いです。
私の文章が少しでも迷い苦しみ後悔している方の力になればと思います。

それでは、どうぞ。



①16w検診❁安定期に入ってすぐに発覚

6月1日の火曜日
16週目の検診を受けに車で10分とかからないかかりつけの産科に向かった。
前日の5月31日は私の30歳の誕生日だった。
そのまた前日の5月30日でお腹の子、第2子の安定期に入った所だった。

不安がなかったと言えば嘘にはなるが、節目となる30歳で第2子を産めるという喜びや、久々に赤ちゃんの姿をエコーで見ることが出来るという浮き足立った気持ちで診察台に横になった。

いつも先生(院長)は丁寧に時間をかけてエコーを診てくれる。この日もそうだった。

『頭の大きさは週数通りだね、身長も体重もOK、次は頭からの輪切りを見ていくよ〜。ここが心臓ね、そして下に降りて…ここが胃袋……………ん?』

この『ん?』の後、物凄く嫌な感じの静寂が続いた。
先生はどれくらい無言でエコーを見ていただろうか。

『…胃袋が右にあるね。』
先生が重い口を開く。

この時点では何がおかしいのか分からなくて、
『そうなんですか〜!』などとのんきに返答していたように記憶する。
だって、そんな、この子の生死に関わる様なことをこんなにサラッと伝えられるなんて思ってもいなかったから。

そこから先生は30分弱時間をかけてエコーをしっかり診てくれた。
看護師が近くのパソコンに先生の言ったことをカタカタ打ち込んでいる。その会話の中で『無脾症』『多脾症』などという聞きなれない言葉が聞こえてきた。

先生の真剣な表情に、これはただ事ではないぞと直感的に感じた。なんとなく、最悪なケースも想像できた。何も分からないなりに、今後のことを色々考えていると自然と涙が溢れた。自分の子に何か問題があるのか。あまりにも突然すぎる出来事に、正直何が起きているのか分からなかった。私が涙を流す姿を見て、助産師がティッシュを持ってきてくれた。

何故自分の子が。何故こんなことに。
途中からエコーでお腹の子を見ているのも辛く、診察室の天井を見上げて放心状態だった。
長い長いエコーの後、説明を受けた。

現時点では心臓は左にあるが、胃袋が右に見える。胃袋は普通左側になくてはならないが、右にあるということは赤ちゃんが内蔵の位置を間違えて作ってしまった可能性がある。
詳しいことは明後日来るエコーに詳しい先生に再度診てもらう必要がある。とのことだった。
そこで異常が見つかれば、そのまま県内の大きい大学病院を受診してもらう流れになるそうだ。

『元気に産まれてこられる可能性は低いということですか』と言う言葉が不意に口を出た。
『明後日診てみないと分からないです。』
という返答だった。

コロナ禍のこのご時世、産科に入れるのは妊婦本人だけという所が多い。私の通っていた産科もそうだった。
診察室を出てすぐに受付に『電話をするので少し出ます』と告げ、外のベンチに向かった。
憎たらしいほど綺麗に晴れた日だった。
青空が眩しい。

まずゆうくん(夫)に電話をした。
泣きじゃくる私の声を聞いてただ事では無いことを察してくれた。

後ほど聞いたところ、泣きながら電話してきたので娘ちゃんになにかあったのかと思ったらしい。

先生の話をそのまま伝える。
再度エコーしてもらう為に再診する予定の木曜日はゆうくんも会社を休んでもらい、一緒に来てくれることになった。

次に母に、その次に既に妊娠のことを伝えていた親友に電話をした。
安定期に入って、今日の検診で何も無かったら他の友達にも妊娠を伝える予定だったのに。伝えるどころか、この子が私のお腹に居たことを全く知らないままの友達も居るのだ。この子は確かに私のお腹に居るのに。

その夜、ゆうくんが帰ってきてからまた沢山泣いた。泣いても泣いても涙は枯れなかった。ゆうくんはたまにポツリポツリと私を励ましたりしながらも、ほとんど無言で私を抱きしめてくれていた。
泣き疲れて、日付が変わる頃にやっと、隣で寝ている娘ちゃんを抱きしめてそのまま死んだように眠りについたが、明け方の4時に目が覚めた。その日はそのまま眠れなかった。

次の日、娘ちゃんがお昼寝をしている時はいつもなら私も一緒に寝てしまうのだが(妊娠中だし眠かった)、この日はパソコンやスマホで昨日先生に言われた病状を調べ、様々なケースを想定していた。
しかし正直どのように調べても予後が良くないということばかり書かれていて、絶望的な気持ちになった。
その日の夜にゆうくんに、先生に言われたことと、私が調べたこと、さらに私がどうしようと思っているのかも併せて全て伝えた。説明している最中に、『自分はなんて酷いことを言っているのだろう』と涙がとめどなく溢れた。人間の涙って枯れないのかな、って思った。

②詳しいエコー検査❁大学病院にて

6月3日木曜日。
16w検診から2日後。
会社を休んでくれたゆうくんが車を運転してくれ、再度かかりつけの産科に向かう。
娘ちゃんは家に来てくれた母が見てくれていた。
少しずつ心づもりはしていたハズだが、ふとした拍子にダムが決壊したかのように涙が溢れる。

かかりつけの産院には、木曜日の午後になるとエコーに詳しい先生が他院から来てくれているとの事だ。今回はその先生に見てもらうという。セカンドオピニオンの観点からも、他の先生に診てもらった方が良いだろうという考えだろうか。
産院の駐車場にゆうくんを待たせ、私のみ診察室に入る。

初めて会うその先生は冷静に、長い時間をかけて腹部エコーを診てくれた。特に心臓、心音、肺の位置、血管の配置や本数など。赤と青の光がエコーにピカピカしていた。後ほど調べたら『カラードップラー』という方法で赤ちゃんの心臓から流れる血管の種類等を見ていたらしい。素人には何が何だか良く分からなかった。
30分程時間をかけて、何度もエコーの写真を撮りパソコンに送っていた。

その時先生が、『女の子かなぁ』と、ポツリ。

女の子。
ふと、大きくなった娘ちゃんがまだ小さい女の子の手を引いて歩いている姿が目に浮かんだ。
娘ちゃんは良いお姉ちゃんになっただろうなぁ。赤ちゃん大好きだもんなぁ。また涙が溢れそうになったがグッと堪えた。もうこの診察室では泣きたくなかった。

エコーの後、『結果は後ほどお伝えします。』と言われ待合室で待っているように伝えられた。
『結果は主人も一緒に聞けますか?』
と尋ねると看護師さんは『検討します。』とのみ答えた。私は、『お願いします。』と力強く返答した。付き添いや面会に厳しい産院だったが、この話だけは私1人で聞くわけにはいかなかったし、私が後でゆうくんに全てしっかりニュアンスんもそのままに伝える自信がなかった。

それから診察室で待っているとすぐに受付の女性がやって来て、『ご主人も一緒にどうぞ。』とのこと。すぐゆうくんに連絡した。これが良い話なわけが無いと思った。

ゆうくんと一緒に、産院の一番奥にある部屋に呼ばれる。エコーを診てくれた先生ではなく、いつも診てくれるかかりつけの先生(院長)と看護師や助産師が並んでいた。

『今回エコーを診た結果、やはり胃袋の位置がおかしく、様々な内臓が上手に形成されていません。さらに胃袋や内臓の位置が通常と異なる為、大事な血管も不足しています。主な病状としては無脾症、内臓錯位症候群です。身体は普通、内臓を形成する時に上手く捻れて左右非対称に形成されますが、この子の内臓は、上手く捻れなかったのか、左右対称に形成されています。そして重要なのは胃袋の位置ではなく、心臓です。心臓の部屋は普通4つあるのですが、お腹の子は2つしかありません。心臓から出ている大事な血管も足りません。この子が外の世界に出てから生きていくのは、非常に厳しいことでしょう。』

合間合間に私の相槌が入りましたが、先生が仰った内容をまとめるとこのようなものだった。

私が事前に調べていた病気や病状と見事に合致し、上記の事柄は既に頭に入っていたので、頭では冷静に話を聞くことが出来たが、事実として再確認すると私1人で抱え込むにはあまりに大きな問題に絶望し、また涙が溢れ涙声になった。

『大丈夫ですか?』助産師が聞いてくれる。
大丈夫なはずないだろう。
『大体調べてきた事と同じだったので、覚悟してきたので大丈夫です。』
真逆の言葉が口をついて出た。

診察室を出て、会計の際に受付の女性から
『今後はこれから行く大学病院の方に指示を仰いで下さい。』と言われた。
こちらの産科でもう診ることはありませんよ、
…と遠回しに言われたようだった。

この産院の院長は好きだったが、助産師や看護師は終始冷たい印象があってあまり好きではなかった。

お会計は、600円。
100円玉、6枚。
この子の命の値段のように感じてしまった。

そのままの足で県内最大の大学附属病院に向かった。結果から言うと、特に目新しい事は何も言われなかった。

しかし、紹介状にはしっかり『胃の位置が右』『内臓錯位症候群』との記載があったのだが、挨拶もそこそこに診察室に入ってきた若い女性の医師がエコーを見るなり
『胃が左ですね…心臓は…右?』…と頓珍漢なことを言っていたので、思わず
『心臓は左で胃袋は右と言われて来ました。』
と、強めに口を挟んだ。
この時点で、『この医師は紹介状を読んでいないのか?』と不信感が募った。
その後2人の男性の医師が診察室に入ってきたが、私の顔も見ず何も声もかけずに女性の医師と会話をしながらエコーを見始めたのでなんだかもう『早く終わってくれ』とさえ思っていた。エコーの時間も短かった。

その後ゆうくんと一緒に結果を聞き診察室に呼ばれたが、かかりつけの産科の先生と同じ事を言われた。
やはりお腹の子が外の世界で生きていくのはとてもとても厳しい状況だと言う。

しかし、その後女性の医師はこう続けた。
『でもウチには心臓の先生も居ますし、様子を見ることが出来ますよ。』

…はぁ。そうですか。
としか思えなかった。本当に。
私達家族の意思や考えは何も聞かずに急にそちら側の話をされても。
複数の医者から『厳しい』と言われた我が子をこれから半年もお腹に入れておく私の気持ちは。産まれて直ぐに管に繋がれお腹を切られそれでも生きる可能性がとても低い我が子。
『様子を見る』とは?産まれてきて、できる限りの処置はするが、どうにもならなかったら死ぬまで様子を見るという事?
説明が足らなすぎて理解に苦しんだ。

そして、これから幼稚園の入園が控え精神的にも母親を必要とする時間の増える上の子の事は?
治療にかかる費用等の話は?

何一つ考えずに自分の病院の事ばかり話す目の前の医師に嫌悪感しか抱かなかった。医者という立場上『中絶』をすすめることをしづらいもしくは出来ないことは承知の上だが、患者の気持ちや精神的状況を鑑みて声をかけ、今後の方針を決めていくのも医師の役目なのではないだろうか?

この診察室にも長居したくなかった。

『中絶します。』

私は目の前の医師にそう伝えた。

一瞬の静寂の後、少し考えながらゆっくりと、
『それはこちらの病院では対応していないので、元のかかりつけの産院にお尋ねください。』
と言われた。

かかりつけの産院では『大学病院の指示に従え』と言われ、大学病院では『かかりつけの産科に聞け』と言われ、宙ぶらりん、たらい回しだ。

私とゆうくんは、『この病院に来た意味は何だったのか。無駄に大きくて設備だけは立派かもしれないけど、患者の心に寄り添う気持ちは無いのか。』と同じことを思っていた。孤独感と絶望感に打ちひしがれていた。ただただどうしてこうなってしまったのだろう、と、悲しかった。


③中期中絶ということについて

中絶は大きく2種類に分類群される。

❶初期中絶
12週未満(11w6dまで)の妊婦に適応される中絶
子宮を拡張する処置を行ってから、掻爬法(そうはほう)や吸引法にて赤ちゃんを分娩する。
ほとんどの場合が麻酔を打って行われる。
手術経過によっては当日の退院も可能。

❷中期中絶
22週未満(21w6dまで)の妊婦に適応される中絶
ラミナリアで複数回子宮口を広げる処置を行ってから、陣痛誘発剤を、点滴ではなく腟内に直接挿入し人工的に陣痛を誘発させ赤ちゃんを出産する。
私が第1子を出産(誘発分娩)した際は点滴で促進剤を入れたが、妊娠中期の状態では点滴の促進剤が効かないとのことだった。
母体に負担がかかる為、前処置を含めて数日間の入院が必要。
その後は、赤ちゃんの死亡届を役所に提出し、火葬許可証も受け取らないといけない。そう、中期中絶で産まれた赤ちゃんは、火葬をしなくてはならないのだ。産まれて直ぐに荼毘に付されなくてはならない我が子の事を考え、頭がおかしくならない親などいるのだろうか。

今回は分かりやすいように初期中絶と中期中絶を比べるように書いてしまったが、どちらも母体の精神的肉体的苦痛は非常に大きい。
さらに週数が進み、胎動などを感じられるようになってから急にの死産や流産なども、私の想像を絶するほど苦しいものだろう。
妊娠中のトラブルや、良きもせぬ事態は、誰かと比べるものではなく、一生心に傷を残すものだということは間違いない。

『あの人に比べて私は…』と思うことは全くない。
丁度この文章を書いている最中に(入院前)、南明奈さんのお腹のお子さんが7ヶ月でお空に返ったというニュースが飛び込んできた。長年の不妊治療を経て授かった第1子。ニュースを見て涙が止まらなかった。
『私より絶対に苦しい。悲しい。それに比べて私なんか。こんなことで泣くな。強くなれ。』と一瞬でも思ってしまった。
しかし、そうではなく、ママのお腹の中に居た時間は違えど、お腹の中の子にかけた愛情は変わらないと、後で思った。
気の済むまで泣いて、悲しんで、時には後悔もして、沢山悲しんであげたい、と私は思った。そうして、自分の選んだ道が正しかったのだと、胸を張って『今頑張って生きているよ』と言えるように必死にもがいていこうと決めた。

ちなみにどの中絶方法でも、医学的には『出産』という言葉ではなく『子宮内容除去術』と呼ばれている。
この処置の説明を受ける際に看護師に、『赤ちゃんを出産するのに、こんな名前でごめんなさいね。』と気を使って言われた。確かに、除くに去るという言葉が使われているこの手術名は、妊婦に対してとても非情なように感じられた。そして、中期中絶の理由の欄には『経済的理由』という部分に丸をつける。『違います』と言っても、他に丸を付ける場所がなかった。

今回、私とゆうくんは中期中絶の選択をした。

中絶について、様々な意見があるということは勿論知っている。中には中絶は殺人だと言う人もいることも知っている。

その上で、私達は中絶という選択をした。

これからまだまだ長い妊婦生活、外の世界に出てきても生きていくことは非常に厳しいと言われたお腹の子と一緒に過ごすことは余りにも辛かった。
外に出れば、私の大きいお腹を見て『何週ですか?』『性別は?』『どこの産院で出産?』『楽しみですねぇ』と声をかけてくる人の多いこと。その時私はなんと答えれば良いのか。

例え産まれてきたとしても、その瞬間から管に繋がれ、すぐに手術。またその後も手術。手術。手術。それでも助かる可能性は低い。

その間上の娘はどうするのか。プレ幼稚園も始まり、入園準備などでも忙しい。トイレトレーニングも始めたばかりだ。
私も、今後待ち受ける様々な精神的肉体的疲労に耐えられるのか。自信がなかった。

ゆうくんの考えも、私と同じものだった。彼はまず、私と娘の心配を第一にしてくれた。
『最初にみかから泣きながら電話があった時、娘ちゃんに何かあったのかと思って血の気が引いたんだ。だから、今1番大事なのは娘ちゃんとみかだから、今ある命を大事にしたい。』と言ってくれた。

命を天秤にかけることなんてしてはならないのだろうけれど、私はしなくてはならなかった。
10ヶ月お腹で育て、産まれてから2年半、たっぷり愛情をかけて育てた娘と、出会ってから今まで何度も喧嘩をしたけど結局私のことを大事にしてくれるゆうくん。そして、やっぱり大事なのは私の心と体。

何度も書くが、上記のことを踏まえ、今回、私はお腹の子を中期中絶をするという結論を出した。

中期中絶が可能な病院を探さないといけなかった。


ここから先は

16,353字 / 3画像

¥ 200

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?