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人間の天才性ってなんなんだ

『人間の中にある天才性はなぜ発揮されていないのか?』

ふと、アーティストの作品をみていて
なぜ天才性が発揮される人とされていない人の差が生じてしまうのか?
といった疑問が湧き上がったので

令和哲学での解析も踏まえ、自分なりにまとめてみました。

天才とは限られた才能なのか


そもそも、天才といえば
一部の秀でた才のある人というイメージが強いかと思います。
万人が天才になるなど到底不可能なのではないかと。

ですが、人間として生まれてきているという時点で
とても奇跡的なことだといいます。

人間の尊厳性、唯一無二性に目を向ける機会は少ないですが、
実は今まで138億年、自分と全く同じ存在は今までなかったし
これから先何億光年先も自分と同じ存在は存在しません。


だとするならば、
自分が自分として存在していることには
何かしらの意味が必ずあるものではないでしょうか。

ただ、その尊厳性・天才性が発揮されることなく
そもそも何の素質があるのかもわからずにいる方が非常に多く
本当にもったいないことだと思います。


「そんなの、死ぬ時に振り返ってわかるもんだよ」
そのようにいう人もいるかもしれません。


いやいや‥もうちょっと早い段階でわかってた方が効率的じゃない?
と、基本的に合理的なものが好きな私は思ってしまいます。
それも面白いかもしれませんが、
この量子力学的な速さの時代にはそぐわないかな、と。


自分という存在としてのポジションが決まったときから
なんらかの成し遂げるべきものというか
やり遂げたいものがあるとして

そのことが死ぬ時にしかわからないなんて
なんだか、ちょっと、納得できないといいますか。

天才性の発揮とは


じゃあ、どうすれば一人一人がもつ天才性は発揮されるのでしょうか?


そこで私が思うのは
多くの方が言われていることではありますが
結局は自分自身が知っているものだということ。


もう少し天才の才能のイメージを広げてみます。



何もなくても
何も残らなくても
自分の命をかけてでも
魂が突き動かされるもの。


それを思うだけで
自分の奥底から感情が揺り動かされるもの。


すべてを投げ捨ててでも
どうしてもみたい景色。


けどたとえ何も成し遂げられなかったとしても
それでも道を歩んでいる今という軌跡、それ自体が
愛しくてたまらないもの。



本当の天才性は
そういったところにあるのではないでしょうか。


上手くできるとか、
人よりも優れているとか、
それも大事かもしれませんが

それはしょせん、誰かの決めた基準であったり
相対比較で成り立っているものともいえます。

本来の天才性はそんな部分的な基準で測れるものではありません。


天才になれなかった今までと、これから


自分の心がどれだけ叫んだとしても
多くの雑音に邪魔されると言ったことが
今までの時代に多く起きていたことだと思います。


さらにいえば、
いくら天才の才を発揮しながら自分の道を進めたとしても
光悦感と孤独感が隣り合わせのような
拭えない欠乏感に支配されているものでした。


でも、いま、確実に
人間の集団無意識が変化していて
人間の天才性が着火される人が
1人、ひとりと増えていることが感じられます。



きれいごとだと一蹴された悔しさも
どうせ無理だと言われた苦しさも
気持ちを誤魔化して合わせることしかできなかった涙も
できれば、誰にも引き継いで欲しくないと私は強く思っています。



目の前の人が愛しくてたまらなくて
自分の生きる道に確信があり
全ての人が豊かになる道を

1分1秒でも早く
1人でも多くの仲間たちと
成し遂げていきたいと願ってやみません。


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こちら、開発等に関わっています。
人間の天才の種を育てる、ジーニマム

ママ哲学と称していますが
男性にもオススメです。
(個人的には男性にこそ触れてもらいたい内容です)

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