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まずは書より始めよ【M→K】

あらすじ:王騎(占い上)からのメッセージを受け取って、確かに書いてみようと思った桓騎。だが、一体何を書けばいいんだ?という壁が赤壁のごとく立ちはだかる。この壁は正面突破するのか、それとも迂回するのか。どうなる?! ~続く~

というわけで笑、何か書いてみようとは思っている。それをきっかけにこま切れ時間で色々考えることもあって、ただどうしてもまとまった時間が取れなくて悶々としている今日この頃。

願いと呪いは紙一重

たまたまNewspicksの番組でWEEKLY OCHIAIの「母親をアップデートせよ」を見て、私は子どもにどうなってほしいのかと考えている。実はそんなになくて、というよりもしっかり言語化したことがない。名づけの時にも「こうなってほしい」はあまり考えなかった。
子どもが生まれてからというもの、自分の子ども時代を再構築しているというか、何かにつけて思い出しては、噛み締めることが増えたのよね。細かい話はまた今度。
ただ、子供への願いは呪いと紙一重だなとずっと思っている。こうなってほしい、こうあってほしい、こうしてほしくない、みたいなことがいつしか重たい鎖になって子どもを苦しめるのではないかと実は恐れている。たぶん私がそうだったから。
で、改めて子供にどうなってほしいかに戻るのだけど、私の場合、
・自分で自分の幸せを定義し、そのために努力ができるようになってほしい
・自由に世界と自分の人生を楽しんでほしい
くらいかなぁと思っている。今は。きっと大きくなるにつれていろんな欲が出てきちゃうんだろうけど笑

そしてこのことをもっと深掘ると、
・幸せとは何かをきちんと考えられる感性と知性
・努力できる力
・我慢せずに好きに生きられるだけのお金を自分で稼げる力
・一定の金融リテラシー
・自分の「好き」がきちんと自覚できること
・その「好き」を我慢しないでやれること
・世界を楽しめる好奇心
・人生を面白がれる前向きさ
みたいなことだと思うんだけど、実はこれって、子どもにこうなってほしい、以前に自分がこうなりたかった姿なのではということに思い至った。

世の中の親の願いが呪いになってしまうのは、こう生きたかったのに生きられなかった怨念みたいなものが、願いにこもり、自分とは別の個体のはずの子どもに自己投影してしまうからなのだと思う。

そういうわけで、やっぱり私は書くことによって、自分の怨念は昇華した上で自分の人生の方で実現し、子どもに対しては呪わずに願うだけ、の親になりたいと切に願っています。

消費型と創作型

何がしたいのかなぁと考える時にいつも頭に浮かぶのが、「何が好きか」というときに、そこには「消費型」と「創作型」がいるな、ということ。

例えば夫を見ていると、限りなく「消費型」の権化のようなタイプで、ラーメンを食べる、旅行に行く、ドラマを見る、などなど、コンテンツを消費することが彼にとっての娯楽なのだと感じる。(走る、とかもあるし、旅行も消費だけではないのだけど)逆に、料理をしたり、何かを作ったりということは好きではない。我が家のDIY担当も私。

私はどちらかといえば「創作型」のポテンシャルを持っていると思う。何か作るのは好きだし、消費だけだとあまり楽しめない。そういえば子どもの頃はよくフェルトやビーズや針金やらで何かを作って楽しんでいた(手芸用品が身近にあった環境も大きいけど)。
創作は楽しい。が、究極の飽きっぽさと完璧主義が、創作を難しいものにしている。まず、続かない。全然続かない。3日坊主どころか1日で飽きたりする。そして、趣味がプロ級の両親を見ていると、こんなモノでは趣味とは呼べん!上手くできん!という気持ちになってしまう。最初から上手くできるわけはないのに謎に上がってしまっているハードルのせいで、なかなか満足いかない。
そんな雑念から離れて、純粋に創作を楽しめればいいのに。。。というのが課題なのである。書くことも好き。なので、ここをきっかけに何か変わるといいなと思っている。
かおりも創作型だよね。

さて、ちょっとジャーナリングの本でも読もうかしら。

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