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書きたいことをただ書くということ

「自由に書く」ということは
時にとんでもなく不自由なこと。
noteを書こうとするとき
このかべにぶち当たる。

何かを思いついた時に書く
感情が溢れた時に書く

そんな時には
ほっといても言葉が
すらすら出てきて

時には翌日読み返して
じたばたと床を転がり
我ながら恥ずかしくなるくらいの
エモーショナルな文章が
出来上がるのに

感情がオフになっているとき
さらにその状態が長く続いてるときには
「自由に書いていい」
と思っていても
何にも書けなくなってしまう。

そうするとそこからが
負のループで

「感情がオフってる」

「noteに書くことが思いつかない」

「感情がよくわからない」

の状態が
やってくるのだ。

まっしろい
扉も窓もない
ぽかんと広い空間の真ん中に立って

「いったい次はなにをすればいいんだ?」

と不安に襲われるような
あの感覚。

悲しい時や
苦しい時は
「そこから抜け出す対処法」
を目的地とすることが
できるのだけど

ぽかんと真っ白なときに
どこに行ったらいいのかわからない
当て所のなさ。
心細さは
わたしにとってかなり脅威だ。

普段ならご遠慮したい
負の感情すら
その状態の私にはウェルカムなのに
こういう時にはやってもこず。

こういうときの対処法は
なんなのだろう。
みんなはどうしてるのかな。

ほんとはここに
対処法を書くのがいいんだけど、
そこまで考察するとしんどいから
また今度。

自由に書いていいというのは
自由に始めて
自由に終えていいということ

オチがつかなくとも
誰かの役に立たなくとも
今日,noteをかこうとおもった
その行為こそに意味があると
そう受け入れていくことなのかもと
ここまで書いてなんとなく思った。




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