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愛の獲得

こんにちは
夏休みもほぼ終わり、特になんもせずにひたすら塾と家を往復して過ごしました。
勉強ばっかしててもつまんないのでこうしてnoteを更新するのが僕の密かな楽しみです。

今回はベルギー闇の三部作最終章「依存魔」を鑑賞したので三部作まとめて感想とか書いていこうと思います。

「変態村」「地獄愛」「依存魔」というあからさまな邦題の響きが好きです。
内容はもちろん最高なので是非観てみてください。


変態村

変態村は2004年公開の作品。冬が舞台。
ベルギー闇の三部作の第一作目としてのインパクトはこの変態村というあからさまな邦題で十分伝わってくる。

変態と聞くと、変態なおっさんが出てくんのかなーと思うでしょう。

答えは、出てきます。むちゃくちゃにとち狂った変態オヤジたちが。


あらすじ

各地を巡るシンガーのマルクは移動中、車が故障して立ち往生する。
土砂降りの雨の中、マルクはペンションを発見。
初老のオーナー・バルテルはマルクを迎え入れるが、マルクはバルテルの異様な接し方に不安を覚える。
そして、バルテルから「村には行くな」という忠告を受ける。
「村人は人種が違う」というバルテルにまたも不信感を覚えたマルクは内緒で村を散策してみることにする──


どーなってんだこの村!

あからさますぎるタイトル通り、生理的不快感を与えてくる不条理映画。摩訶不思議すぎて理解が追いつかない。

各地の老人ホームを回り歌を歌いダンスを披露して生計を立てているマルクは、行く先々でババア達に言い寄られ、大雨の中車が故障し、山奥のペンションでは「グロリア」という女性と勘違いされ、監禁され、獣姦が日課の変態オヤジ村人共に追いかけ回され、殺されかけて、森の中をひたすらに逃げ迷う。
ひたすらに災難。
なんなんだこの映画は。一体。

愛に飢えた村人たちと、突然の来訪者。
狂気的で閉塞的な村が一夜にして殺人村へと変貌する様。

しかしさすがフランス、ベルギー映画。映像が本当に美しい。ロケーションが良い。
冬の美景とドロドロとした不条理内容との対比がなんとも言えない性格の悪さを感じる。

カメラワークも独特なエンドロールも俳優の快演も何もかもが一流なはずなのに、こんなにも評価しにくい映画他に無い。

個人的にはめちゃくちゃ面白かった。

「変態村」より

地獄愛

2014年公開。
前作から10年経ったベルギー闇の三部作第二章。秋が舞台だと思う。
今回もタイトル通り、地獄のような愛が繰り広げられる。


あらすじ

シングルマザーのグロリアは、出会い系サイトを通じてミシェルという男に出会う。ミシェルは寂しい女性を夢中にさせ、女性の性的欲求を満たすことで生計を立てる結婚詐欺師であった。グロリアはミシェルに出会った途端深い恋に落ち、ミシェルが結婚詐欺師だと知ってもその恋は冷めることはなく、娘を放棄するほどミシェルを付け回し、二度と自分から離れないように強要する。最初はそんなグロリアを恐れていたミシェルも、いつしかその異常な愛を心地よく感じ、兄弟と偽り共に結婚詐欺をする道を選ぶ。
しかしそんな二人の歪んだ愛は、やがて未亡人を次々と殺す狂気へと変わっていく──


メンヘラ化する愛

実際のシリアルキラーカップルを元に制作された本作は前作に続いて「愛」がテーマとなっている。

夫を失った悲しみから愛を忘れてしまった女と未亡人を対象とした結婚詐欺で生計を立てている男の異常な物語。
長らく忘れていた「愛」という欲求を知ってしまった女性に欲の際限など存在するのだろうか。

愛による嫉妬や狂気、今ある人生からの墜落。
愛があれば人を殺すことさえ厭わないという常軌を逸した行動は、信じる人へ向けた深い愛の表れなのだろうか。
そう思うと狂気は「純粋な愛」の延長線上にあるのかもしれない。

「地獄愛」より

依存魔

ベルギー闇の三部作最終章。夏が舞台となっている。

『変態村』『地獄愛』『依存魔』という邦題の並びで既におもしろい。こんなにもあからさまな邦題あんまり出会えない。

さすが最終章、かなり面白かった。


あらすじ

人里離れた森の中にある精神病棟で働く母親と一緒に暮らしている主人公・ポール。
彼は自然や生き物を愛する心優しい孤独の少年。
ある日ポールは重度の精神病患者としてやってきた美しい少女・グロリアに一目惚れをしてしまう。
何度も何度も脱出を図る彼女を助けるため一緒に精神病棟を抜け出し、彼らの狂気的な逃避行がはじまる──


愛とは、呪い。

三部作を通しての共通のテーマは「愛」。
まあ、タイトルで察しがつくがごくありふれた恋愛ドラマ仕立てではない。
とは言っても実は普遍的な愛を描いていたりもする。
嫉妬、依存、愛しているからこその受容。
物語にする上で誇張されてはいるものの、よく見てみれば誰にでも経験のある「愛」だったりするのかもね。

グロリアの圧倒的美貌とそこから繰り出される狂気的な言動の数々。
穏やかだったのに突然として発狂し始めるのだから、観てるこっちはずーっとドキドキ。
彼女が画面に映るだけで緊張感がはしる。

張り巡らされた緊張感、何が起きてもおかしくないという不安感、大自然の中にたった2人だけという閉塞感。
この中で2人は愛を育んでいき、ずっと離れないことを誓い合う。

無垢で孤独な少年は、愛する少女とともに、楽園を目指す。
何が本当のことなのか、もしかしたら全部が嘘なのかもしれない。
でもこの気持ちだけは本当のこと。
少年は少女を信じ愛を注ぎ続ける。

恋は盲目。

まさにグロリアは依存魔。

「依存魔」より

三部作を通して描かれる狂愛。
依存、狂気、嫉妬、これらの愛における負の要素は誰もが抱えているであろうもの。
僕たちの中に芽生える「狂愛」とどう向き合うかは僕たち次第である。
決してこの映画たちの登場人物のようにはならないようにしたい。
愛を優先した彼らの辿る道は喜びに満ち溢れているかもしれないが、客観的に見れば過酷で残酷そのものだから。

最後までご愛読ありがとうございました。

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