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たかが面の皮一枚

こんにちは。
今回は勅使河原宏監督作品、『他人の顔』の2つの魅力と「顔」について適当にまとめてみます。
久しぶりに書くnoteなのでいつもとは比にならない程に酷い出来なんだろうなと予想ができます。


他人の顔

本作『他人の顔』は1966年制作の映画。
安部公房原作、勅使河原宏監督作品。
失踪三部作のひとつであり、『砂の女』に続く第二作目。
全編モノクロで、顔にコンプレックスを抱えた男の心理を鋭く描いている。

あらすじ

主人公の男は事故で顔に大火傷を負い、顔を包帯でぐるぐると覆っている。
彼は顔を失うと同時に妻からの愛や社会生活での対人関係をも失ったと考え、異常なまでの猜疑心を抱くようになり、新しい顔を欲するようになる──

人間の複雑な心

本作の魅力はやはり映像にある。
原作を映像化するにあたって原作にある魅力やキャラクターの複雑な心理状態をそのまま描いており、これらを表現するための斬新な演出の数々に思わず声が出るほど痺れた。
事故の後遺症で顔を失い、劣等感に悩まされる主人公の心理状態を表すかのようなモノクロームの世界観が作品の最初から最後まで上手く効いていた。
前半の主人公の心理状態を表すかのような黒が目立つシーンや、後半の新しい顔を手に入れ意気揚々としている主人公の心理状態を表すスポットライト風演出などが印象的だ。

しかし、本作は難解な上に長い。
二度鑑賞したのにも関わらず内容がいまいち理解できなかった。

けど人が顔に固執する要因くらいは考察できそう。

顔の存在意義とはどのようなものなのだろうか。
顔はアイデンティティそのもの。自分が自分であることの存在を証明することのできる唯一のものであり、他者からの識別の役割もあると考えられる。

顔を失えば当然、社会の中での自分の喪失や自分自身の存在の否定に繋がってしまう。だが見方を変えれば社会から完全に切り離された自由な存在。
こっから更に言い方を変えれば、ただの孤独なんだけどね。

主人公は顔を失うことで他人や社会と自分との接点を失い、自由ながらも孤独という表裏一体の状態に苦しんだことで、猜疑心の塊と化してしまったのだろう。

本作のもうひとつの魅力は「愛」についての話。

顔を合わせる度にひねくれたことを言い放つ ザ・厨二病の主人公に一途で変わらぬ愛を注ぎ続ける妻。
この二人のすれ違いに旨が強く締め付けられる。苦しい。

他人からの愛を必死に模索していた主人公。
顔だけではなく心をぐるぐると覆ってしまった包帯が目隠しとなって、一番身近で一番自分のことを思ってくれている人を見落としてしていた、という皮肉が切なすぎる。

自身のアイデンティティの喪失の代わりに得た苦しみを伴う自由と表裏一体の孤独。

たかが面の皮一枚。
たったその一枚に人は自分自身の存在意義を見出し、愛を模索し、愛に翻弄され続ける。

いつ、どんな時でも人は愛の獲得に必死なんだなと思わされる作品だった。

『他人の顔』より

語彙力の低下。つらい。
ご愛読ありがとうございました。

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