見出し画像

小説「白雪姫の王子さまはね…?」②

先日投稿したものの続きです。

水島野分名義でエブリスタに投稿したものを若干加筆してあります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ルイさんと出会ったのは半年前のことだ。

私はその日も絶望していた。

最低出席日数だけ満たせればいいと、

学校をさぼって、セーラー服のまま繁華街に繰り出す。

セーラー服のスカートをタバコの匂いと埃が蔓延する街の中で翻して歩いてみれば、声をかけてくるの は脳みそが無い男ばかりだった。


「ねえ、二万…いや、君可愛いから三万でどうよ?」

だなんて、汚らしい、死んだらいいのに。

擦れ違う人はたくさんいる。


怪訝そうに視線を送ってくる大人、

同じように制服姿で魚みたいに泳いでいる人、

スマホ片手にぶつかっても何も言わずに去っていく人。


形だけのクラスメイトから入ってくる定型文みたいな心配しているふりのラインのメッセージ、

教師からの留守番電話、

もう声も忘れてしまった私を産んだ人からの着信はもうずっと無い。

こんなにもたくさん人がいるのに、

私の居場所は何処にもなくて、

私が本当に心を許せる人は何処にもいない…。

元々胸に積み重ねていた不満と絶望が崩れた。

私の家庭は決して幸福とはいえない。


…もしも幸福の基準が「富」や「お金」ならば「幸福」の部類に入るんだろうけれど、

怒鳴り声が絶えないし、

悪い日にはものまで飛び交うからやはり「幸福」の部類には入らないだろう。

高級と称されるマンションの中は、

自己中心的な凹凸に仕上がっている。

私をこの世界に産んだ人は「私を産んだことは間違いだ、汚点だ」と言った。


私という生命を作る為に射精し、精子を出した人は時々家にいるけれど、

私を「いるけれど見えないもの」として扱う。

大人は勝手だ。
性欲に従ってセックスする癖に、その快楽の果てに出来た子供の幸せなんて考えていない。

私の学校生活は決して幸福とはいえない。


名門女子校などとは名ばかりで、クラス内、学校内で作られた食物連鎖を模した三角形が出来ている。


あの子は可愛いから当然「上級」、


あの子はブスだけれど頭が良いから「上級」、


あの子はまあまあ可愛いけれど馬鹿だから「普通級」、


あの子はブスだし頭も悪いから「下級」。

頂点にいる人間は自分以外を蹴落とすことに愉悦を感じ、

下方でくすぶる連中は上の人間を引きずりおろそうと血反吐を吐いていた。


私は一応「上の下級」に居たけれど、

ろくに学校に行かなくなったからきっと今ごろ「下級」だろう。


だからなんだというの、そんな小さな箱庭のカースト。


いっそのことその三角形の外にでもぽつんと置いておいてくれたらいいのに。

              *

人込みの隅で、頭の軽そうなカップルがキスをしている。

つつとアスファルトに垂れる、唾液。

厚化粧の女は恍惚そうに武器のような睫毛を伏せる。

男の鼻息の音が聞こえるはずもないのに聞こえてきた。

私は愛も恋もわからない。

愛というのは…人の全てが欲しくなるということ?

誰かに自分の全てをあげたくなるということ?

そんな感情をはたして自分が抱くことがあるのだろうか?


自分は人として欠陥品のように、心が壊れてしまっている。


綺麗なものを見ても綺麗と思えないし、

悲しい話を聞いても悲しいと思えない。


だから誰かに恋をすること、誰かを愛することなんてきっと出来ない気がする。出来なくてもいい。


くだらない、

つまらない、

もろい結びつきならばいらない。

でも、この脱げ出すことのない絶望から助けてくれるような人間がもしもこの世界にいるのならば、

男だろうが女だろうがその手をとってどこまでもついていきたいと思っていた。

ーーーーそれが、ルイさんだったのだ。

歩道橋で、ぼんやりと下を流れる車の群れ、

そして冷酷なアスファルトの隅に横たわる引かれた猫の死骸を眺めていると、

「ひとり?高校生?」

いきなり声を掛けられた。


またか、と思った。


制服姿で一人で街を歩くっていう事は蜜になることだから。

繁華街に浮遊するいやらしい昆虫たちの。

奥歯で軽蔑を噛みしめて、一瞥もせずに、

「援助交際ならよそを当たってください」

冷たく言い放つが、この男は諦めが悪い性質なのか、

それとも女子高生の果実みたいな肉体がそんなに欲しいのか、

体を曲げて無理矢理私の視界へと入ってきた。

彫刻みたいな男だった。

整った顔立ちなのに、どこか感情・生が抜け落ちている。作りもののような…。

一瞬見惚れそうになった自分を「バカ」と心の中で叱りつけて、

彼とは反対方向を向いて、拒絶した。

「気を悪くした?いきなりごめん」

「ごめん、は要らないからさっさといなくなってくれませんか。貴方が声を掛けたらほいほいついていきそうな子はたくさんいますよ」

「ははっ、援助交際なんかじゃないよ」

男は心から面白がっているみたいに笑った、彫刻の癖に笑うのか。笑うとどこか子供みたいな目尻になる。

「じゃあ何ですか。道でも聞くんですか」

「確かに道は分からない。東京って電車の乗り換え一つでくたびれるし、人間が波のようで目的地を見失うよ」

「駅なら歩道橋を降りて左に真っすぐですよ」

「ありがとう。これで無事に帰れそうだね」

「おじさん、どこから来たの」

「さあ、どこだったかな」

「記憶喪失?認知症?交番いきますか」

「いや、ちゃんと覚えているよ。ただ思い出したくないだけだ」

「ふうん」

怪しい、怪しいから無視すればいいのに、なぜ私はこの男と話してしまうのだろう。

「ねえ、ついでにもう一つ僕のお願いを聞いてくれないかな」

「ついで?」

「道を教えてくれただろう」

「ああ…。道くらい教えますよ」

「じゃあ、ひとつお願い」

「さっきも言ったけれど私 そんな馬鹿じゃないから。若い肌と膣が恋しいならもっと頭の悪そうな、貪欲そうな娘に声掛けてよ」

「いや。そういう邪なことをお願いしてるんじゃないよ」

「じゃあ何を…」

「お墓、作らない?」

「え?」

予想外の言葉にささめは耳を疑った。


けれど男は穏やかな笑みを浮かべながら、長い指を下方に向ける。

アスファルトの上に横たわる、臓物を曝け出して息絶えた猫に。

「君も見ていたんだろう、あの猫を。僕もねずっと見ていたんだ、

けれど一人では行動する気にはなれなかった…人間の羞恥心ってのは嫌だねえ」

「嫌…」

「どうして?」

「だって…凄く、偽善的じゃない」

「偽善で結構。
悪よりも偽善の方がいいだろう。善は善なんだから。このままいったらあの猫はゴミと一緒に捨てられるか、カラスのエサになる。そんなの可哀想だろう。」

変わった人、それがルイさんの第一印象だった。

無視することも、逃げることも、拒むことも出来たけれど、一緒に猫の墓を作った。

ルイさんは、潰れた苺のように赤い液体で白い毛皮を汚した猫を躊躇することなく素手で拾い上げて、

「近くに公園があるから。そこがいいな。子供の声も響いてるし、花も咲いている。寂しくはないだろう」

とすれ違う人が冷ややかな視線を向けているのもお構いなしに、

私を引き連れて公園に行き、その猫を埋めた。

「いつも…こんな風に生きているの?」

「ああ」

「虚しくならない?」

合掌す るルイさんに、そう語りかけると、

「ああ、虚しいね。生きることも、死ぬこともとても虚しいよ」

にこりとした笑みが返ってきて、私の冷え切った心を溶かした。

「…おじさん、名前なんていうの」

「ドウゾノルイ。お堂の堂に、楽園の園、同類の類で、堂園類。君は?」

「安藤ささめ。不安の安に藤の花の藤、ささめは平仮名。」

声を掛けたのはルイさんから。

でも、名前を聞いたのも、アドレスと携帯番号を教えたのも、また会いたいと言ったのも私からだった。


恋だ。


私は生れて始めてこの人の全てが欲しい、

この人に自分の全てをあげたいと思える人に出会ったのだ。


ルイさんと出会ってから退屈な日常には色付いた。

ルイさんと会えばスポイトで一滴明るい色が落ちるけれど、

会えない日は、無色透明。

キスをすることも、愛 を囁くことも、愛を受け入れることも、

こんなに鮮やかな色をしているだなんて知らなかった。

私はあまりの鮮やかさに目を閉じた、

そしてゆっくりと瞼を開けるとラブホテル特有の下品な照明が瞳の中に注がれた。


とくりとくりと心臓が速い鼓動を刻んでいる、

太腿と太腿の間が熱くて溶けてしまいそう、

口からだらしなく漏れる声も唾液も生理的な涙さえも輝いて見えて拭いたくない。

愛している、愛している。


ルイさんが私の全てとなった、ルイさんが私の世界になった。


私は気怠い体に幸福感を感じ、

体に散った赤い花びらに愛を感じ、

そしてルイさんを欲しながら生きるようになった。

それはルイさんも同じだった。

彼は私をいつだって貪るように愛した。

                 *
 あのテレビ番組を見終わると再び年上の恋人に電話を掛けた。
今度はワンコールで「はい」という低い声が鼓膜を震わせた。

「あのね、ルイさん。私今すぐ会いたいんだけれど」

「うん、そんな気がしてたよ」

「どこにいるの?教えて、私行くから」

「駅前のビジネスホテルルークの809号室。僕も君に逢いたいんだ」

キャミソールの上にカーディガンを羽織っただけの無防備な恰好で飛び出した。

どこかで啼く、犬の声が耳に刺さって痛い。

ルイさんはどこに住んでいるか分からない。ホテルを住処に転々としていると言っていた。


ルイさんは外で会うことを嫌った。

私も同じ学校の奴らに会ったら面倒だからとそれに同意して、

いつも会うのはルイさんの住処であるホテルか、個室の飲食店だった。

あれは…もしかしたら人に顔を見られない為じゃないか。

ルイさんが殺人犯だったら。


それも女性を、当時の妻を次々に殺していたら。


嫌悪感でもあり、嫉妬のどす黒い感情がこみ上げてくる、もう吐きそうだ。

指定された場所に向かうべく、足がアスファルトを蹴る中で堂園類容疑者に殺害されたとテレビで紹介された女性の顔が過った。

茶色の巻き髪に派手な化粧、

手入れされていない肌にぼさぼさの髪、


統一性の無い女たち。

今はもうこの世にいない女たち。


「ルイさん」

ホテルのフロントに取り付いでもらい、部屋に入ると、

「ああ、こんばんは。ささめ」

いつも通りのルイさんの穏やかな顔があった。

「紅茶を入れるよ。さあ、お座り」

促される通りにソファに腰掛ける。大好きなアールグレイのセカンドフラッシュ、水色の香り。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?