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コンプレックスと私


私は歯列矯正をしている。
始めて1年ちょっとが経った。


まさにこういうやつ。

やったことある人はわかると思うけど、めちゃくちゃ痛い。

ちょうど昨日歯医者さんに行って調整をしたばかりで、今本当に痛い。

お腹が空いてもご飯を食べる気になれない。痛すぎて。

慣れてくると痛みはほとんど感じないのだが、3〜4週間に1度調整をし、その後の2〜3日は生活に支障が出る痛さだ。

私の場合2年くらいかかると言われたので、あと1年くらいはこの生活が続く。えぇ。

矯正について書いてある記事はたくさんあるけど、私なりの矯正への思いについてまとめてみようと思う。ちょうど今、めちゃくちゃ痛いから。


コンプレックスは小学生から


小学生くらいから歯並びの悪さは自覚していた。
友達に授業中にいきなり、歯並びの悪さを指摘されたこともよく覚えている。
学校で行われる歯科検診の時には「要検査」と書かれた紙を毎年渡され、その紙を持って歯医者さんに行くのがお決まりの流れだ。
「絶対ではないですが、本人が気になるなら矯正したらいいですよ」
必ずこう言われるので、
「気にならないので大丈夫です」
と答えていた。
正直に言えば気にならないわけはなかったのだが、子どもながらに矯正はめちゃくちゃお金がかかることを知っていた。
親に申し訳ない気もしたし、あんまり気にしないようにしていた。


コンプレックスは無くならない


気にしないようにと思っても、気にしないわけにはいかなかった。
特に、高校、大学あたりはしんどかった。
人と話すときに自分の口元が気になるので、口を大きく開けて笑わないようにしていたり、口元を隠したりするのが癖になっていた。
「本気で笑ったことがなさそうな顔してるよね」
と人に言われたことがあるくらい、人前でちゃんと笑っていなかった。
写真を撮るときは必ず口を閉じて笑うようにしていたので、楽しそうに見えない。
そのせいで
「なんでそんなに楽しくなさそうに写るの?」
と聞かれてしまったこともある。
横から撮られると歯並びの悪さが際立つので絶対に避けたかったし、そもそも写真自体がすごく嫌いになった。

矯正する?しない?


そんな私が矯正を始めようと思い始めた1年前、少し気持ちの変化があった。

その頃自分の生活がいろいろ変化して、なんかもう全部嫌になって、やりたいと思っていたことを誰の目も気にせずにやればいいじゃん、という、ある種開き直りのような思いが強くなっていた時期だった。
それでもやっぱり親に対して、与えてもらったものを否定するような、裏切るような申し訳なさみたいなものもあった。それに別にアイドルやアナウンサーのように人前に出る仕事をするわけでもないので、矯正する必要もないのかなとも思った。

さらに私を悩ませたのは「抜歯不可避」という事実だった。矯正を始める前に、カウンセリングを受けることができる。いろいろ説明してもらったのだが、私の場合歯並びを整えるためには歯を抜かなければいけないらしい。健康な歯を抜く、というのはものすごく抵抗があった。私は真面目に頑張る人が報われる社会であるべきだと思っている。それなのに真面目に頑張ってきた私の健康な歯を、歯並びを整えたいという私のエゴで抜いてしまうだなんて。自分が気にしなければ良い話なのに、自分のわがままで、親だったり、健康な自分の歯だったり、いろんな人(歯)を傷つけてしまって良いのだろうかと申し訳なさがあった。

でも結局矯正をすることにした。抜歯もした。しかも5本。申し訳ないとか言っておきながらやると決めてしまえばもうあとはどんどんやるしかなかった。
悩んだ末にやることを決めたのは、やっぱり笑顔で過ごしたい、という思いが何よりあったから。その頃「自分はいつ死ぬかわからないな」という謎の焦りもあったので、やりたいと思ったことはやっておこうと決めた。

始めただけで半分コンプレックス無くなった


私は表側矯正というのをやっている。
いわゆるよくある矯正。矯正と聞いて多くの人がイメージするアレだ。
メリットとしては費用が比較的安いことがよく言われており、デメリットとしては目立ちやすさであったり、食事のしづらさだったりが挙げられるだろうか。
千鳥のノブもやっているらしく、「寿司を食べたら米が一貫分乗る」と言っていた。これは本当にその通りで、上の歯のワイヤーの上には食材が非常に乗りやすい。
ただデメリットもある一方で、私の場合は表側矯正にしたことによって半分コンプレックスが解消したと感じている。
なぜなら、矯正していることを周りに知られるからだ。目立って嫌なのではないかと思う人もいるかもしれないが、私はむしろ逆だ。
自分は自分の歯並びの悪さを自覚しているということ。
それを治すために今治療しているんだということ。
そんなことをわかってほしかった私にとっては、ワイヤーが目立つのはむしろメリットだった。小さなプライドかもしれない。
そんなわけで、器具を装着した時点で私は人前で口を開けて笑えるようになった。
20年くらい口を閉じて笑い続け、その癖が染み付いてしまったのですぐには直らないが、以前よりも笑顔への抵抗はだいぶ無くなった。


ありのまま、とは


矯正をするか悩んだ理由の1つに、ありのままを受け入れることも必要なんじゃないかと思ったということもある。
気になることを探していけばキリがない。実際矯正を始めて1年ちょっと経つ今、歯並びはだいぶ良くなってきた一方で、若干歯茎が下がったように見えたり、人中が長くなったように感じたりするのも事実だ。それをまたどうにかしようとは今のところ思っていないが、いつかどこかで自分を受け入れることは必要なんだと改めて思う。
もちろん歯並び以外にもコンプレックスはいくつもある。外見のことだけでなく、内面のことでもめちゃくちゃある。
正直まだコンプレックスとの上手な付き合い方がわかっていない。まずは気にしているなら気にしていると認めることは必要かもしれない。(私はずっと気にしていないと思い込もうとしていた)
その先で、愛すのか、直すのか、活かすのか? 認めた先は自由だと思うけど、気になっている理由と、本当の目的、望みはちゃんと見つけた方がいいかもしれないとも思う。
私はずっと笑いたかった。その手段として矯正が必要だった。
でも、コンプレックスを受け入れて必死に向き合おうとしていることこそが愛おしいのかもしれないぞ、、とズキズキと歯が痛むのを感じながらなんとなく思っている。



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