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5年前、私を救ってくれた見知らぬあなたへ

後悔だらけの人生なのだけど、中でもかなり後悔していることがある。

5年前、とあるインターネットサイトに、私は一度だけ悩みをぶちまけた。

当時の私は、信頼している人もいて充実した生活を送ってはいたものの、今振り返ると少し無理をしていた。悩みの要因は色々あったけど、家族に関することが大きかった。

そのサイトには、匿名で自由に自分の思いや悩みを書き込むことができる。読んだ人から返信がくることもある。とはいえたくさんの書き込みがある中で自分の投稿に返信が来ることはないだろうと思いながら、どこかに気持ちを吐き出したくて自分の思いを書いた。

「結局みんな私のことはどうでも良いんだな」とか、「誰のために生きてるんだろ」とか。264字の言葉を並べた。

数ヶ月くらい経った頃だったか、久しぶりにそのサイトを見てみると、1通の返信が届いていた。

184字からなるその文章は、「頑張ってきましたね」から始まっていた。
そろそろ自分のために生きていいんじゃないかな」「最初は不安になると思うし、勇気がいる事だけど、今まで耐え忍んできたあなたならきっとできるよ。」「自分が好きと囁くところからやってみて。」と並び、「応援してるよ!」と締められていた。

すごく嬉しかった。自分は頑張ってきたんだと認められた。自分のために生きていいと言ってもらえた。「頑張って」じゃなく、「応援している」と言ってもらえた。「あなたならきっとできる」と信じてくれた。お礼を伝えたくなった。
ただ、私はログインの仕方がどうしてもわからず、投稿主としてその返信へコメントすることができなくなってしまった。仕方なく、私の投稿にその方と同じく返信する形で、「これを書いた本人です。ありがとうございます」と残した。

そのお礼がその方に届いたかどうかはわからない。読んでくれていたらいいなと思いながら半年くらい過ごした。

前回の記事でも書いたが、私はSNSで投稿するということに大きな恐れを抱いている。そしてずっと、ネットに自分の悩みを書いたことを後悔していた。匿名とはいえ、もしこれを親が見たら悲しむのではないか、という思いや、日常生活でさえ家族の話をしないようにしていたのに、ネット上で話してしまった、という罪悪感があった。そんなに長い文章でもなく詳細は書いていないのだが、何だかずっと心がざわざわしていた。そしてどうにかやっとログインできた私は、投稿を消した。

消す前にスクリーンショットを撮っておいたので、自分の投稿ともらった返信を見返すことはできる。
でも、消さなければ良かったと心底思う。あの返信をくれた方のおかげで、私は救われた。あの方のおかげで、もしかしたら今すれ違った人があの方かも?と思うと外に出るのが少しワクワクした。見知らぬ私にあんな言葉をかけてくれる方が存在しているという事実によって、この世界がちょっとだけ良いものに見えた。それなのに、ちゃんとお礼を言えたかどうかもわからないまま、私は投稿ごと消してしまった。あの方の返信は、私だけじゃなく、それを目にするたくさんの人を救う可能性があったのに。

投稿を復活させることも、あの方を探し出してお礼を伝えることもできないのがもどかしい。唯一できるのは、あの方が伝えてくれたことを、今度は私がたくさんの人に伝えていくことだと思う。

ちょうどここ数ヶ月、私は「自分が好きと囁くことからやってみて」いる途中だ。このnoteもそう。あの方が伝えてくれた通り、私はちょっとずつ好きなことをやってみている。自分のために生きようとしているのだ。

私がどれほど救われたかということ、そして、今前に進もうとしていることをあなたに伝えたい。
偶然、読んでいてくれたりしないだろうか。


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