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仕事始めに改めて仕事について考える

 明日は指定された出社日なのだが、どうしても行きたくなくて仮病を使って上長にテレワークの許可を貰ったら本当に具合が悪くなってきた。天罰でしょうか? いいえゆらぎ世代です。

 三十代から十年くらい、仕事が生き甲斐だったことがある。いわゆる滅私奉公みたいな仕事のやり方をして、昭和のモーレツサラリーマンみたいな働き方をして身体を壊した。
 思えば、仕事においてわたしはずっと『綾鼓』の老人役を演じていたのだろうと思う。
 絶対に自分のことを振り向いてはくれないだろう高貴な女房に恋をした御所の庭掃きの老人が、なにかのついでに綾で出来た太鼓を打ち鳴らすことが出来たら会ってやっても良いと女房が言っていると聞いて舞い上がり、当然鳴るはずもない太鼓を鳴らそうと足掻いたあげく頓死して、恨んで化けて出る役回りである。
 ちょっと正気になって冷静に考えてごらんなさいよ。下賎な身のしかも老人が、御所にお勤めの高貴な美女に懸想するとか、身のほど知らずというか、夢想家すぎじゃん? 話のスジからして不幸一直線、戯れを本気にされて思い詰めて老人に池に飛びこまれちゃった女房もほんとびっくりしたと思うわけよ。
まあ、仕事で私も同じように思い詰めて馬鹿みたいにがむしゃらに働いてある日突然プツっと何もかもがむなしいな、ってなったわけだけど。池に飛び込む前に正気にかえってよかったよねぇ。

仕事で認められるには、何もかもを捨てて没頭してそれでもどうにもならないかもしれないみたいな環境だったけど、そんなのが本当に欲しかったんだっけ?
 いや違うじゃん。ただ、ちゃんと自分で自分に一生ごはん食べさせたかっただけだっただけじゃん。

 そんなこんなで、私はがむしゃらを降りて、適度に働くひとになることにした。仕事の評価は自己肯定感には繋がらないのに、ときおり、まだ脳内に住んでる前世のモーレツサラリーマンの私が、そんなことでいいのか???? と大騒ぎするけど、そんなことでいいんである。

今年も適度に、でも目の前のことを丁寧に迅速に終わらせる仕事のやり方をしようと思う。

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