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究極のスポーツ「フリーソロ」

世の中にはエクストリーム・スポーツという過激なジャンルがある。
羽をつけて絶壁からムササビのように飛び降りるとか、ワニのいる池に向かってバンジージャンプするとか、火山の中をソリに乗って滑るとか、命知らずの人たちがやるクレイジーなスポーツだ。

そんな中でも、「フリーソロ」は究極に過激なスポーツかも知れない、とこの映画を観て思った。

『フリーソロ』(2018年、エリザベス・チャイ・バサルヘリィ&ジミー・チン監督)は、ロープもつけずに断崖絶壁をよじ登るフリーソロの第一人者、アレックス・オルノドのドキュメンタリー映画だ。

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ちょっとこれ、ヤバすぎませんか。ロープもパラシュートも何もなし、まさにノーガードで、常人の目には何の突起もないように見える断崖絶壁を登っている・・・。

何の罰ゲームだよ・・・というか、ロープがあっても絶対死ぬ。

この岩は、アメリカ・ヨセミテ公園にあるエル・キャピタンというロッククライミングの名所で、なんと地上から1000mもある。

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アレックスさんは妙に冷静で淡々としていて、そこにまたちょっと狂気を感じるのだけど、実際脳を調べると「異常はないけど刺激を感じる能力が一般の人よりかなり低い」と言われていたw

要するに、このくらい危険なことをしないと刺激を感じない人間、ということのよう。彼女から「自分には長生きする義務はないとでも思ってるの?」と問い詰められた時も、「うん」と即答している笑。

撮影班も、一度「人がいて集中できない」とアレックスに言われて中断したので、遠くから望遠レンズで撮ったり、彼の邪魔にならないよう必死だ。集中力を乱してしまえば、登頂に失敗するだけでなく、確実に彼を殺すことになってしまう。途中からカメラマンが「もう見れない」とレンズから目をそらしていたけど、その気持ちはすごくわかる…(私も思わず彼が生きているかWikipediaで検索してしまった)。

その努力の賜物か撮り方もすごく良くて、まるで彼の立場で登っているかのような恐怖を味わえる。どれだけ恐ろしいことをしているのか、1000分の1くらいだけどわかった気がする。

それから興味深いのが、並外れた身体能力と危険を求める精神だけでもダメで、登るためのルートを全部頭の中に入れて、シュミレーション通りに動く能力が必要、というところ。

登っているときは当然岩全体は見えないので、ルートが頭に入っていなければ頂上まであとどのくらいあるのかも分からないし、特に危険な場所がどこなのかも分からない。しかもそのルートというのが、普通の人には何もないように見える親指一本分しかない窪みとか、つま先をやっと乗せられるだけの突起とかなので、あれを全部頭に叩き込むだけでも大変なことだと思った。そして、それを、本番で焦らずシュミレーション通りに動く。

なんというか、改めて、予習・復習の大事さと、肉体と精神の両方を鍛えることの大事さを学びました…笑。

自殺行為だけど死ぬためにやっているわけじゃなくて、死にたいわけでもないけど、死に近接することで生を実感したい、という感覚のよう。

アレックスさん、「クライマーが山に向かう前の心境は、戦の前の戦士の心境に似ている」と言っていたけど、まさにそんな感じなんだろうな。もしかしたら明日山という強大な敵に負けて死ぬかも知れないけど、戦えることが嬉しくて仕方ない、というような。山は戦友。この人も究極、山されあれば家族も恋人も友達もいらない、という孤高の雰囲気がある。

山の怖さを知る映画という意味では2015年の『エベレスト3D』も良かったけど、『フリーソロ』はあの手のパニックものとはまた違って、たった一人で山に挑む人間の心理に触れることができて、哲学的ですらあるし、人間の面白さ・奥深さを感じる、良いドキュメンタリー映画でした。

★K.ROSE.NANASE★

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