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ああ、やってしまった。医療従事者の恐ろしさ、大変さ、責任の重さを身に染みて体験した。ああすべきだった、こうすべきだったと後悔・反省・自責の今。慣れや慢心が最大の敵だと肝に銘じておこう。

前回、前々回の夜勤の時、珍しく穏やかな夜が続いた。誰一人薬をもらいにこない。トイレ覚醒はあるものの失禁無し。不穏も無く皆さん良眠で「こんなこともあるんですね〜」とペアの看護師さんと話していたくらいの穏やかさ。嵐の前の静けさかな?と思っていたけれど、2回連続で静かな朝を迎えた。

私の場合、大丈夫だと思っていると大ごとになり、あ〜もうダメだわと思っていると大丈夫だということが大小ともに多々ある。思考と現実が真逆の結果になることが多いのだ。その最たることが3年前にがんを患ったことで、あの時も健康診断の再検査の通知が来ても「ま、大丈夫でしょ」と再検査を受けることを伸ばしに伸ばし、やっと受けた結果を聞きに行ったら、椅子に座った途端「がんです」と告知された驚きは今でも忘れない。

とは言え、がんの告知と手術と抗がん剤治療は私の人生で最大にして最高の経験だった。それがあったから今の私がいる。当時の同僚によると「◯◯さん(私)、がんになってから性格が変わりましたよね。こう言っちゃなんですけど、丸くなりました(笑)」と言われた。自分でもそう思う。全く違う人間になった気さえする。生死に関わることを経験すると、色々なことがオセロのように表裏が逆になる。そして、不思議なもので今の私は医療を受ける側から医療の一部を担う側になっているのだ。

閑話休題。

2回連続で穏やかで静かに終わった夜勤の後の昨日の夜勤。これがもう荒れに荒れた。朝になってやっと一息ついて座っていたら、日勤の看護師さんに「あれ、◯◯さん(私)が座ってる。余裕だね〜」と次々に言われ、「違いますよ!大変だったんですよ!」と言うくらいヘトヘトだった。

不穏で叫び続ける人、べらんめえ口調で暴言を吐く人、妄想で有り得ない状況を話続ける人、廊下を徘徊したり座り込む人。ペアのナースさんが休憩に入った途端、今、薬が欲しいと言う人が立て続き、巡回時にベッドから転落している人を見つけ、その対応にモヤモヤが残った。もし違う対応をしていたとしても結果は同じだったし、私のせいではないからゆっくり休んでと言ってくれてもだ。レントゲンの結果、その転落した人は骨折していた。後悔と反省と自責でいっぱいになった。

そこでハッと思う。前回、前々回の夜勤が珍しく穏やかだった分、2回分の大変さが昨日の夜勤に回ってきたんだ……振り幅が大きいほど返ってくるものも大きい。楽なだけの夜はないし、大変なだけの夜もない。ちゃんとプラスマイナスゼロになっている。

良いこともあれば悪いこともある。悪いこともあれば良いこともある。どちらが先でどちらが後という順番はない。私は占いやスピリチュアルは信じないので、起きたことは何かのお告げ的な考え方はしないが、人生は道を均す(ならす)ように凸凹が平らになるということは信じている。

また、一見悪いことに思えることほど、のちに良いことに変わる。つまり経験として自分に蓄積されて引き出しが増えていく。結果、自分のためになってきた。それが何度か続いて、その時はイヤだなと思っても、時間が経ってみると自分が変わるきっかけや節目になった。それがイヤな度合いが大きいほど、何倍にも良いことになって返ってきた。

もちろん自分の気付きや捉え方次第だが、人生プラスマイナスゼロだよなと思うと、悪いことも悪いことではなくなる。悪いことのままで終わらせるのは勿体無い。きっと必ず良いことに変わる。モヤモヤする気持ちは時という薬に任せて今できることをしよう。