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【内と外のバランス】私は私でいい

私もこの方の書く noteのように人をホッコリさせたり、笑いを提供したり、ハッとさせたりできたらいいのに。

ステキなnote記事に出会うと、必ずついて回る気持ち。


でもね、今日気づいたの。

今は私、自分で精いっぱいなのよ。

人のことまで考える余裕がないの。

そんな私の現状をそのまま受け入れて、やれることをやる、でいいじゃない。

今の私は苦しくてつらい気持ちに引っ張られやすくて、そんな状況でもいかに自分を俯瞰し、日々をフラットに過ごせるか、ということにチャレンジしていて、それを言葉にしている。

それでいいじゃない。

やっと言えたんだよね、自分に。


まだまだ文章をエンターテイメント的な要素で楽しめる状況にはないのよね。

無理やりそこに持っていって、脳をだましちゃうって戦法もアリだと思うんだけど、私、その辺が意外と疑い深いというか、その温度差に引いてしまう感じだからさ。

丁寧に等身大の自分と向き合いたい、その気持ちを大事にする方が合ってるねって自分と話し合った。


ひとつひとつ、「今の自分でいい」に変えていく。

なるべくしてなっている自分の「今」を肯定していく。

今日も仕事でモヤモヤしたけど、同じようにして乗り越えられたから、そんな自分に拍手したい。

そんな記事。


与えられた環境で必要な立ち振る舞いがある

私は元々リーダーシップが強い方。

班長とか委員長とかやってきていて。

人の指示を聞いて動くよりも全体を見て、役割を考えて、計画して、みんなに伝えて、頑張ろうね!ってやっていきたい方。

本当に理解し合える人間以外は、浅く広くの関係が楽だから、そうやって淡々と業務をこなしていく形が好きだなぁと思ってる。


だけどね、それを発揮していいのは、そういう立場にあるときなのよね。

今はパートで中途採用で、業務経験はあるけど余計なことを言える立場ではなくて。

ザワザワする、いつも。

もっとこうしたら笑顔が増えそうなのにとか、コストパフォーマンス良くないなぁとか、この人がこうだから下で動くこの子が頑張らなきゃならなくなってるんだなぁとか、このシステムどうなってるんだろ…でも私が突っ込む話じゃないなとか。


立場をわきまえないと!と思ってる。

「私らしさが生かせない」とかじゃなくて、立場とか役割の話。

私らしくいられない居心地の悪さがあるけれど、自分の性質と立場がマッチしてないだけよ。

マッチしてたらそりゃいいだろうけどさ。

でもマッチしてたらしてるなりの苦労があるしね。

今はマッチしてない窮屈感。

でもその窮屈感に耐えかねて、どうにかしたくて自分を立場や役割に寄せるんじゃなくて、あくまでその場所ではその立場や役割を演じられればいい話。

そう、自分に言い聞かせる。


私が今、この立場でできることは、毎日与えられた仕事を楽しむこと、言われたとおりにこなしつつ周りとの程よいコミュニケーションを図ること。

それだけで十分なんだよ、ってね。


母親としても

子育てだってそうじゃない。

人や生き物を育てることが好きな人と苦手な人っていると思うし、何を大切に生きていきたいかの価値観だって人それぞれよ。

だけど、子どもを授かったら親としての役割というのは誰にでも生じるのよね。

苦手だけど、上手くできるようにならなきゃいけない、そんな自分に変わらなきゃいけないって思ったら苦行だもの。

そんなタイプの人は時間を決めてさ、割り切って演じるのもひとつよね。

仕事の一環と思って。

そして、子どもが寝たらお疲れさまって自分に戻るとかね。


私は顔色をすごく伺って過ごしてきた人間だから、子どもたちにダメージを与える人間ではいたくないっていう気持ちが強かったんだけど、キャラ的には感情ダダ漏れなものだから難しくて。

だから母業のときは微笑モードで淡々と母親を演じてね(例えば次男が三男に八つ当たりで蹴りを入れてるのを発見したときとか)、夕飯作ってさぁ食べよう!ってときにはいつもの私に戻る。

感情ダダ漏れ。

「あーー、おいしーー!幸せすぎるわ!!」

それでいいかなって。

母業を私のままやってしまったら、感情的に怒ってしまうし、ダラダラ説教してしまうからね。

子どもがそれで行動を切り替えられるならアリかもしれないけど、刺激が強過ぎて伝えたい部分が全然伝わらないと思う。

それじゃ意味ないものね。


そう、そうなの。

私、最近わかったのよ。

療育に行っててさ、今までの自分を否定されているような気がすることたくさんあって。

この子どもの特性にこの対応は合ってない=母親として間違ってる、みたいな勝手な解釈しちゃっててね。

私じゃダメなんだって、変わらなくちゃって思えば思うほどしんどかったんだよね。

全然いい母親じゃなかったんだな、私って。


違うのよ、母業の一部のやり方が少し違ってただけなのよ。

子どもの特性に合った母業のやり方を学べばいいだけだったの。

いつもの私はいつもの私でよくて、それこそ人間くさくて、欲張りで、感情ダダ漏れでいいのよ。

その私らしさは否定しなくていいの。

ただ、役割や立場でスイッチを入れ替えればいいだけなのよ。


私は私でいい

そんな簡単なことだったのに、何で気づかなかったんだろうな。

なんかね、自己対話が苦手なんだよね。

モヤモヤ、イライラした気持ちが単純に「私がダメなのかな」っていう考えに至りすぎる視点の狭さとか。

上手くいかない現実を私の努力不足と捉えたり。

置かれた環境に自分そのものを変えて適応しようとしてしまうとかね。

夫の「自分の魂は持っていかれたらダメなんだよ」って言葉、初めて言われたときはズドーーーンと心に響いたもんなぁ。


私は私でいいのよ。

その上で、割り切ってTPOに合わせたらいいだけなの。

そんなの知ってるのに、なんで感覚的には違ってたんだろうなぁ。

感覚的には、常に今の自分ではダメって気持ちが抜けなくて。

上手くいかない現実を突きつけられるとしんどかったなぁ。

やっぱり私じゃダメなんだってね。

自分らしくいることを否定しなくていいよね。

その場やその人に合わなかっただけ、って思えたらいいよね。


そういう自分の心のコントロールと、行動のコントロール。

内と外のバランス。

今まであんまり考えてこなかったなぁ。

やること多過ぎて、そういう違和感にゆっくりと向き合ってこなかったのよね。


まずは自分を感動させたいね

こうやって言葉にしているとね、やっとわかるの。

自分のことダメダメ言い過ぎてたんだなーって。

頑張ってるのに、何か違和感を感じるたびに私が何かやらかしてるのかなってつい思っちゃう。


感動するnote記事に出会うと、こういう記事が書けない自分はnoteを書いてたらいけないんじゃないかってどこかで感じてる。

人を感動させられないとダメっていう、ね。

なんか自分の感覚をそのまま言葉にするとビックリしちゃうわ。


今はさ、まずは自分を自分で感動させられるような言葉を紡ごうよ。

自分が感動しちゃうような言葉、まずは探そう。

きっと自分を感動させられない人は、誰かを感動させることだって難しいと思うもの。

私が感動する言葉ってどんな言葉?

そこからよね。

うん、元気出てきた。



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