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【心のバランス】落ち着かない気持ちに向き合う

私を私に戻すのは仕事なんだなぁ、今は。

薄々気づいてたけど、今日、再確認。

そんな私に夫は

「オレじゃ役に立たないんだな。」

とポツリとつぶやいたけど、うーん、私も私が自分でわからないのだよ。

今日もちょっと向き合ってみようと思う。


ことの始まりはマンガを読んだことから

昨日は仕事が休みで。

ミッションは次男の授業参観(20分入れ替わり制)と不登校中の長男を学校に連れていって、内科検診。

それ以外の時間がなんとなくソワソワ落ち着かなくて、マンガタイムにしたのだけど、それがまずかった。


フラッシュバックってよく聞くけど、私は大人になってそれがよく起こるようになったのよね。

車の運転中が多くって、目に入ってきたものから勝手に連想され、過去の嫌な場面が頭から離れない感じ。

車の運転ってメンタル大事でしょ?

だから結構危険だと思って、浮かんだことを言葉にして処理をするか、ひどいときはコンビニで休憩して気分転換したりする。

何かを見ることで連想されて起こることが多くて、大体は過去の嫌な経験で、そのときに感じた気持ちがグワーーっと舞い戻ってくる。

結構シンドイのね。

結婚するまではそんなことあんまりなかったんだけど。


今回はマンガの内容が20歳くらいの私を連想させるもので。

一気に蘇ってきて、頭から離れなくなった。

あのときのフワフワ足につかない感じ。

落ち着く場所がなくて、さまよってる感じに近い感覚。


当時はそれが当たり前だったんだけど、夫に出会ってそれが不安定なことってわかって、フワフワ浮いた感じなのを引きずり下ろしてもらい、地に足がついたのよね。

そういう感覚持ってる人、私以外にもいるのかなぁ。

自分だけだとフワフワ落ち着かなくて、人や物、場所などの影響を受けて、地に降りてくる感じ。

今だと仕事で患者さんに向き合うと、自然と仕事の顔になって、地に足がついたって感覚になるのよ。


言葉にしながら、それって何だろうなって思う。

親や周りの言うことを聞き過ぎて、自分がなくなっちゃったから?

「アイデンティティの確立」なんてよく言われるけど、私の場合、確立されなくて不安定な感じとかなのかな。

確固たる何かがあると、それにつかまることで降りてこられるの。

それはこうあるべき、がわかってるものだと安心してつかめるのかな。

わかんないけど。


で、マンガを読んだら20歳のころのことがブワッと頭の中にいっぱいになってね、苦しかったから言葉にしたらどうにかなるかなーって思って記事にしたんだけど、多分自分の中でまだまだ消化できてないことなのよね。

言葉にしてより鮮明になったことで、もっと苦しくなっちゃって。

昨夜はフワフワずっと浮いてた。

そんな私を見て、夫は


「イヤな兆候だね。

 なんか連想されるものってよくないね。

 この家や家族では降りてこられないの?」


「うーん。

 あのさ、聞きたくないと思うけど、ちょっと付き合ってもらってもいい?」


久しぶりにあの頃のこと、話した。

noteに書いたら、なんか変化しないかなーって期待したんだけどな。

書き方かな。

もう少し美しい話に仕立てたら、昇天したのかなぁ。


一晩経って冷静に思い出してみると、当時は周りの言うことを聞き過ぎてたのかなぁ、と思う。

自分で考えて答えを出す、の繰り返しをちゃんとしてこられなかったのかも。

親や世間でいいと言われていることしか選択できなかったし、それが全てだったような気がする。

自分の意見は持ってるつもりだったけど、それは表向き用であって、自分の本心とはちゃんと向き合ってこられなかったんだ、きっと。

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表面的な事実を見ていても解決しない

昨日は当時の表面的な事実にとらわれすぎて、しんどかった。

こんなことをしてたって書いたから、見る人によっては気持ち悪いとか最低とかそんな変な人もいるんだーって思われるかも、なんて気持ちがザワザワした。

違う違う、人と比較しても何も生まれない。

そのときの私の心と向き合ったらいいんだ。


当時は心細かったし、私は全然ダメダメなんじゃないかって思ってたし、誰かに必要とされたいとも思ってたよね。

学校では素直になれなかったね、うんうん。

勉強とスポーツができるみかん、という仮面を持って、アレコレ言われずになんとかやり過ごしたかったのよ。


怖かったのかな。

あと必死だった。

何がダメなのかよくわからない不安があったかも。

それはやっぱり、自分って人間がどんな人間なのか、向き合えてなかったからなんだろうな。

私なりには考えていたつもりだけど、

「私はこう生きる!」

という覚悟はなかったし、うまくいかないと自分を責めてたしね。


学校以外で出会う人はいろんな人がいて楽しかった。

どんな自分でもいいんだーって思える瞬間だったんだと思う。

学校ではこうじゃなきゃダメって自分で決めつけすぎてたのかな。

ちゃんと優等生でいないと、みたいな。

そんなことないのにね。

評価される、人に見られている、という感覚が私をそうさせてたのかもしれない。


これってね、実は長男や次男もしきりに言う言葉なんだよね。

人に見られているのがイヤだって。

私はその自覚なく、素直に見られている自分を高めようとプレッシャーを跳ね返し続けていたのかもしれないな。

自覚なく積み重なっていくって、心身に大きく影響するんだね。

ひと言で言ったら

「わかってもらえなかった」

なんだけど、そこには自分でも自覚のない感覚がたくさん積もっているんだろうな。

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ちゃんとできなくていい、優等生じゃなくていい

ちゃんとできなくてもいいし、優等生じゃなくたっていい。

そんなのわかってる。

でもそれを仕事でも言える?

私は言えない。

ミスはできる限り減らすべきだと思ってるし、専門職としてしっかりと役割を果たすべきって思ってるよ。

テキトーにやれる仕事じゃないし。


そうか、仕事って小さい頃からの「こうすべき」が通じる世界なんだ。

私にはそっちの方が通常モード。

慣れ親しんだ社会ルールが生かせるところ。

だから、仕事に行くと通常モードに戻れる。

多分そんな感じ。

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私の混乱は家モード?

逆に家では通常モードでいられない。

通常モードな私だったら、長男にはやっぱり学校に行ってもらいたいし、次男には学校で先生に威嚇しないでちゃんとやることやってほしい。

三男が登園しぶりをしようものなら、親の意見を押し付けたくなる。

だってそういうもんでしょ?

そうやって私は育ってきたのよ。


でも時代は変わって、子どもの気持ちや意志を尊重しましょうってなって。

今朝もテレビのニュース番組で友だちみたいな親子の話があった。

恋愛の相談とかもしちゃうんだって。

うーーん、ないな、私は。

親とは一線置いてるよ。

親は子どもを社会的、経済的、精神的な自立に促す存在で、自分の価値観を押し付けてくる存在じゃない?

私のことなんて全然見てない。

今の私と理想を比べて、足りないところを補おうとする存在なんだよ。


でもそれじゃあこれからはダメなんだってのもわかってるの、頭では。

感覚的には全然腑に落とせてないから、ものすごーーく頭を使うのよ。

今まではこうだけど、これからはそれじゃあダメなのかな…いつもそんなことを考えてる。

そうするともう頭がいっぱいいっぱい。

何がいいんだか、わからなくなってる。

そんなときってネガティブな思考にも陥りやすくて。


ああ、私、そうだったんだなぁ。

今までの自分の考えとか無意識の感覚じゃダメって思って、そうじゃないようになろうと必死だったんだね。

じゃないと不登校の長男や学校で先生の言うことを聞けない次男を否定することになっちゃう、そう思ってどうにか考えを変えたかったんだ。

それは私が子どものときにわかってもらえなかった経験から、絶対に子どもの味方でいたいし、一緒に考えていきたいって思っているからだよね。


うん、そうか。

それの葛藤だ。

でも力不足なんだよね、私だけじゃ無理。

かと言って、人に不安が強い子どもたちをどこかに託す、誰かにお願いするってハードル高いしね。

うんうん、だからひとりで苦しんでたんだぁ、私。

夫は結構クールだから、その分私がって気負ってたかもしれない。


苦しいの、当たり前だよね。

だから苦しかった経験もつい思い出しちゃうんだよね。

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自分の家族なのに、なんとなく居場所がない

コレちょっと不思議なんだけど、家に居場所が微妙にない。

仕事をしてるときが一番ホッとするし、自分らしくいられる感じがある。


ASD家族あるあるなのかな。

息子は3人ともASDと診断されてて。

次男はADHDも併存。

夫は特に社会的に問題があるわけじゃないから、未診断だけど、AS気質はあると思う。


「一緒にいてもひとり」

これを感じるんだよね。

最近では夫に対してはだいぶなくなってきたんだけどね。

夫も多分、変わる努力をしたんだと思う。

私を理解しようとしてくれてたし、大切にしたいと思ってくれるようになったから。


5人家族なんだけど、ひとりなのよ。

その感覚、ASDに囲まれてる人はわかってくれるかなぁ。

それとも、私がちょっと

「分かり合う、共有する」

ことを強く求めてる人間だからすごく感じるのかな。


ひとりの人間として、私は自分の家族の一人一人が好きだし、尊敬もしてるし、尊重もしたい。

それは家族一人一人にも多分あって、お互いに持っている感覚だと思ってる。

でもね、家族の中に私がいないのよ。

だから私は家にいても居場所がないの。


その感覚ってなんだろうな。

誰が悪いとかじゃなくて、そういう事実があって、私は家にいてもなんとなく落ち着かない、そんな感じ。


じゃあ何があれば落ち着くのかって言われてもわからない。

ただ、お互いに思いやるっていうのは自然に発生するものではないってことと、ウチのような場合はひとつひとつ教えていくものでもあるってことなのかな。

私が自分のことを置いておいて、家族のために動いてしまうと、私って置いて行かれて気づくと消えてしまうのね。

誰も私のことは気にしないというか。

そういうもの、になってしまって。

だから、この家にいるときは適度に自己主張して、私も自分自身を優先していかないともたないんだけど、それをするのに罪悪感を伴うからイヤなの。

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結論!

なんか苦しいのは家だったか。

私が家族のためって頑張りすぎて、息切れしてんのか。


程よく距離を置いて、私は私で心地よいと思うことを追求していくって必要そうだね、今の私には。

今、私は家族以外の人と話すのが心地よい。

子どもの発達へのプレッシャーもないしね。

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家族とは細く長く付き合っていくものだから

ちょっと私、家族に執着しすぎてたのかもしれない。

なんかスッキリした。

心を追っていったら、意外なところに落としどころがあったなぁ。


私は私らしく生きていい。

最低限の役割は遂行して、それ以外の時間で自分の時間を大切にしていい。

できるときはもう少しやって、シンドイときはちょっと休んで。

程よいバランスでやっていこうよ。

親だからこうしなきゃいけない、とか追い詰めすぎてたかな。


家族も大事だけど、自分も大事。

影響されやすい私だから、そのバランスは気をつけてとっていこう。

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