【優しい性】大切なのは自分を愛おしく思うこと
「優しい性」というワードで連想する言葉は
「愛おしい」
かな。
夫から言われる言葉で嬉しい言葉が
「かわいい」と「愛おしい」なのね。
で、誰にも通じるっていったら、「愛おしい」だよね。
私は愛してるって言われるよりも愛おしいって言われる方が心が震えるの。
「性」って命とか生きるとかに直結する言葉だから、
自分の性別を愛おしいと思うとか(どんな性の形であっても)
自分が生きてることを愛おしいと思うとか
好きな人が愛おしいとか
子どもが愛おしいとか
そういう気持ちが「性」につながってるのかなぁって思う。
ちょっと美化しすぎかな。
考えるキッカケをもらった記事
自分を大切にできる人は、他人も大切にできると思うのね。
だから性教育って、私は勝手に
「自分を大切にできること」
からが始まりなんじゃないかなって思ってる。
なんでいきなりこんな話をするかと言うと
私の記事を紹介してくださったこの記事で
「優しい性」の企画を知ったからなの。
企画の記事はこちら↓
せっかくだから、ちょっと生々しい性のこともぶっちゃけてみようかな。
私が出会った最初の「性」
自分で自分を大切にできなかったから、誰かに大切にされたかった。
それが私の最初。
恋よりものめり込んだときがあった。
生きるチカラが欲しかったから。
実習でうまくいかなくて、不合格になって、でも理由が分からなくて、自暴自棄になってたの。
誰かに認めて欲しかったんだと思う。
私はその頃、その日出会った人とか付き合っていない人とでも、カラダを重ねることができたのね。
精神的にハイになってたってこともあるし、誰かにギュッてしてもらえないと
「こんな自分、生きてる意味がない」
という気持ちでいっぱいになって、おかしくなりそうだったんだよね。
もちろんことに及ぶまでには結構ズケズケいろんな話をしたし、わかってくれる人を私なりには選んでいたの。
行為には人となりがすごく出ると思う。
出ない人は出ないなりの人が出る。
私は気持ちダダ漏れで意志も負けん気も強くて、そんな私を相手にしてくれる人たちだったから、みんな優しかったな、と思う。
私はこの経験で、いろんな人がいるけれど優しさがあふれてるって思ったし、救われた。
私は小さいときから自分のからだを「太っていてダメだ」というコンプレックスを持っていたのね。
だから裸をさらすってホントはすごく怖かったのだけど、意外と気にされなかったのもいい経験だったよね。
全然別のからだのコンプレックスを持ってる男の人がいたけれど、私にはそれを悪くないと思えたし、嫌いじゃなかったなぁ。
そんなものなのかもしれないって思えて、気が楽になった。
この頃の私は貪欲にいろんな人と出会って、無意識に自分を大切にしてくれる人を探してたと思う。
夫に出会ったのも、そんなとき。
夫との出会い
結婚しようと思える人に出会って、結婚して。
正直、そんなにそっちの相性はいいとは思えなかったんだけど、私を丸ごと受けとめてくれた人で、私が大切にしたいと思った存在で。
一緒にいると心から安心できる存在で。
ただ、体を合わせるとちょっと違和感があった。
求めてもらえてないなって。
欲望はあるんだろうけど、この行為と私を楽しんでないなって。
仕方なく付き合ってくれてるんじゃないかなって。
それなのに結婚したって不思議でしょう?
私も不思議。
でもお互いに限りなく不器用で、だけど信じられる、そんな感じだったと思うな。
普段夫は口数が少なくて、自分の思っていることを口にすることもあんまりなくてね、何を考えてるんだろうっていつも思ってた。
なんで私と結婚したんだろうとも思ってた。
私のことを大切に思う気持ちがあるのは伝わるの。
でも一緒にいて楽しいの?ドキドキするの?ギュッてしたいと思ってくれてるの?
表現してくれなかったから、不安だったな。
お互いに未熟で、人との深い関係の築き方を知らなくて、私は近づきたかったし、夫は近づかれるのをちょっと警戒してた。
そのうちに私ね、家事や子育てがしんどくなっちゃって。
夫にいっぱい助けて欲しかったんだけど、助けてもらい方もわからなくて、イライラぶつけちゃったりして。
うまくバランスを取れない中でも一緒に家事をして、育児をして、大変なことを一緒に乗り越えてきて少しずつ距離が縮まって。
その中でやっと気づいたのが、
「あ、私は自分で自分のこと大切にできてなかった」
ってこと。
自分を大切にできてから出会った「性」
不思議なんだけど、私が自分のことを大切にしようって決めてから、夫の「愛おしい」が炸裂したの。
夫がずっと押し込めていた気持ちをやっと表現できた、という感覚に近いかもしれない。
ホントは伝えたかった、言いたかった、表したかった。
でもそれをさせてなかったのは私だったみたい。
余裕なくて、イライラして、ピリピリしてたかもしれない。
そういうのに敏感だからね、私のことはそっとしておこうって思ってたみたいなの。
自分が関わることで、何か自分にとって良くないことが起こる方がイヤだからって。
とっても繊細でリスク回避する思考が強いのよ。
私にはリスク回避ってあんまりない考えで、だから夫のことを理解するのに時間がかかった。
私のこと好きじゃないのかなーって夫を試すようなことも何回かあったな。
だってね、私はさ、逆じゃんって思ってたのよ。
イライラしてても、大好きだよって言われたら私もーってなって、すぐラブラブになれちゃうのになって。
ケンカしても、そのあとでギュッてしてもらったらそのまま仲直りしちゃうもんじゃないのって。
そういうのがうまくいかなかったんだよね。
私は自分を大切にできるようになって、私がやってもらうと嬉しいこと、好きなこと、たくさん伝えられるようになったの。
夫はわからなかったのかもしれない、私がされると嬉しいこと、好きなこと。
そんなの自分からどんどん行動して理解していくんじゃないの?っていうのは私の感覚で、夫は私が言葉で伝えてくれるのが良かったみたい。
知ると喜んでしてくれた。
こうされるとジュンとくる、そういう言葉にどんどん反応してくれた。
嬉しい。
気持ちがいい。
それをたくさん夫に伝わるように表現したのね。
そこから少しずつ変化していって、夫は夫なりに私のいいとこを探してくれるようになって。
それまで夫はあまりいろんなところを触られたりするのを嫌がってたんだけど、触っていい場所がいっぱい増えて、私はもっと触ることで愛おしいを伝えることができるようになって。
他の夫婦が、その行為を楽しみ続けるためにどんな工夫をしてるかは知らないけど、プレイの幅を広げても、なんかむなしくなるだけだったりすることもあるじゃない?
刺激の強さや種類を変えるよりも、もっと手前の本質の部分を見つめ直すって大事な気がする。
私は自分を大切にする視点が持てたことと、夫の理解が深まることで、行為自体の深みが増したと思ってる。
自然と出てくる言葉や相手の反応から愛おしい気持ちが爆発すると、無我夢中になれるのよね。
どうやったら喜ぶかなーって思ってるときってちょっと冷静な感じじゃない?
もっとこうして欲しいのにって思ってる時も結構冷静。
したいことをする、されたいことを正直に伝える、これの積み重ねが愛おしさを生んで、相乗効果で高まり合うの。
愛おしさの爆発が起こると考えてる暇がなくて、無我夢中なの。
そういうのがすごく良かったし、一体感を感じた気がする。
今の夫婦の「性のカタチ」
お互いがお互いのものを大切にし合う、そのカタチがどんどん変化していって、今あるカタチはお互いにしっくりきたカタチだって思う。
姿勢とかシチュエーションとかお互いの心に響くカタチってあるじゃない?
ちょっとの違いが大きな違いだったり、実際に試してみると思っていたより…な感じなこともある。
2人でああだよね、こうだよねってちょっと話しながら、次を楽しみにできるって私はすごく好き。
あとね、捉え方次第でそういうこととも取れるような内容の話をしたときとか、ニヤリと隠れ下ネタで返せる普段の会話とかも楽しい。
お風呂で感じる視線とかもヤラシイ。
そういうのをマジメにとらずに転がして楽しんじゃうのがツボ。
そう、楽しいものよね。
お互いに楽しめるようなカタチを模索して、今の2人があるんだよね。
不器用で、私なんか涙ながらに訴えた日もあったし、夫は言われながらもグッとこらえて日常を見つめ直してくれた日々がある。
それの積み重ねが夫婦のカタチであり、「優しい性」につながるんじゃないかなぁ。
以上、みかんの思う「優しい性」でした♪
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