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【感覚の整理】「ニュートラル」を大切にしたい

「みかんちゃんってホント、にくめない人だよね。」

夫が、柔らかい笑顔で私に言う。

私にとって、それは最高のホメ言葉。


何かがスゴイって言われるよりも、にくめないってめちゃくちゃ嬉しい。

私はやらかすタイプだけど、決して人を傷つけたいわけじゃないから。

夫はよくわかってるなぁと思う。

でもわかってるというより、それが私そのものなのかな。

「にくめない」キャラが私のニュートラル?

嫌われちゃうかも?って不安にならなくても、大丈夫?


「ニュートラル」を目指したい

最近、うのちゃんがナイトブラをプロデュースしたの、知ってる?

これのコンセプトがいいんだよね。

「ボディニュートラル」


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自分であることが心地よい状態。

これ。

今、めっちゃ欲しい感覚だと思ってる。


よくない?

もうまさに、なんだよね、私にとっては。


ここ数年、ずっと私は「ニュートラル」という感覚を大切にしたいと思っていて。

だけど、最上思考っていうのかな。

より良いとか、この選択がベストとか、どうしても優劣をつけて何かを選んでしまうところはまだまだあって。

より良い自分でいたいし、より良い選択をしたいと思ってしまうのよね。

だから、ありのままの自分とめちゃくちゃ向き合ってきたの。

その中で、ありのままが基本という感覚を腑に落としたいと願っていて。


でもさ、長らく「世間的にいい」とか「将来的に安心」とか「こうすべきな社会」に影響されまくってきていて、私は「自分らしい」がよくわからなくてね。


だからこのコンセプト、めちゃくちゃひかれる。

うのちゃんってすごい。

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自己肯定感の高い低い

夫からすれば、私は

「揺るぎない自分を持っている強い人」

に見えたようだし、それは今も健在だと言う。


例えば、それでいえば、私は職業人としての「私」に関しては揺るぎないと思ってる。

もちろん、周りとの調和だったり、折り合いの付け方は、職場が違えば全然違うし、いつでもさぐりさぐりの状態ではあるのよ。

だけど、対患者さんや利用者さんに対しては揺るぎないものを持っていて、そこそこの自信とともに仕事ができてる。

それは効果や結果はちゃんと体や動作に現れるし、それがいい変化を起こしていたらそれで十分で、良くなかったら再検討、と至ってシンプルだからね。


だけど、それ以外が今はぐらんぐらんよ。

なんていうか、私は学生時代、実習で失敗するまではかなり揺るぎない自信を自分にも持っていて。

何でも挑戦したし、やればそれなりにできることも多かったから、そういう結果も手伝って、私はかなり自信満々な日々を送ってたのね。

何でそんな日々を送れたかと言ったら、

「状況理解」

「自己認知の弱さ」

「自他の境界が不明瞭」

といった私の特性が、まぁ悪くはない方に働いてたのだと思う。

若いうちに周りの目を気にせず、いろいろと挑戦できるのは良かったんだよね。

少しは気にしていたら、今ほどトンチンカンじゃなかったかな、とは思うけどね。


なんかね、「できる私」と自己認知してしまうと、周りの目って気にならなくなるのよ。

周りもよく見ないし、まぁ私がこう思ってるから相手もそうなんじゃないかな、って楽観的にもなって。

次男を見ていると認知がズレていて一直線で、当時の私とかぶるの。

私はきっと「自分って、結構スゴイよね」っていう歪んだ認知の世界に住んでたと思う。

それはとてもハッピーなように思えるけれど、実は訳の分からない周りの空気感と自分の感覚の温度差に悩むことは多かったよ。


自己肯定感を高めるってよく言うけど、高けりゃいいってもんじゃないと思う。

高すぎたら周りをよく見なくなるし、慎重さが欠けたり、周りとの不調和だって起こりうるもの。

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自信がない正体

私は今、かなりの自信喪失感に悩まされてるのね。

何やってもいいと思えない感覚ばかり。

これは今までになかった感覚で。

今まで自信いっぱいでやってきたことのひとつひとつに、何だかなぁ、恥ずかしいなぁ、という思いで、振り返ってしまうのよ。

今まで通りに動いても、それって見方を変えたらこうともとれるよね…と思うと悩んだり。

視野が広がった、とか、考えられる幅が広がった、と思えば、成長でもあるのだけど、そこから得られる感覚は自信喪失感へつながってしまっててね。


それって何かってさ、今までは自信満々でやってきてたそのバランスがあんまり良くなかった、とどこかで結論づけているから、今は何やっても自信がない方へ自分を持っていきたくなってるような気がする。

自信満々な態度より、少し控えめで謙虚に。

その方が無難って。


それってきっとさ、今までとは真逆のやり方で、自分らしく生きられるようなさじ加減を学んでるのよね。

そうやって、自分なりのバランスを常に意識してるんだ。

今は自信をなくす方に物事を捉えて、慎重に判断したり、見切り発車的な行動を控えることで、自分の不安やショックから守ろうとしてる。


上手くいかない、私ってダメ、ってすぐに思いがちなんだけどさ、私ちゃんと生きてるね。

ちゃんと模索してるね。

あらゆる捉え方をして、あらゆる経験をすることで、自分にとっての「ちょうどいい」を探ってる。


ま、正直これはこれでキツいのよ。

常に落ち込むような解釈しちゃうからね。


そこはやっぱり、

見切り発車でも大丈夫、

ちょっとくらい図々しくっても大丈夫、

だって私だから、

にくめない人だから、

でいいのかもしれない。


↑ 書いてて、いやいや絶対そんなの迷惑かけるに違いないとか思っちゃう私。

ニュートラルとか、そのままを受けとめるにはまだまだ遠いね。

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「ニュートラル」の感覚

今までは、私、「頑張る」に振り切った生活をしてて。

頑張るから頑張れなくなる、それが大きな波になって、自分が自分に振り回されるような状況に陥ったのね。

頑張れなくなったとき、また頑張るところまで持ち上げたいから、何かを食べたり、人と話したり、本を読んだり、何かの影響に頼って無理やり自分を持ち上げようとした。

生きるスピードが落ちてくると、自分に鞭打ってまたスピードを出す、そんな感じ。


それに気づいて、「もっとベースはゆるくて大丈夫!」と言えるようになった今は、だいぶスピードダウンして。

ちょっとずつ周りが見えるようになった。


少しずつ自分をニュートラルに戻していく。

今までは受けとめられなかった、自分のイヤな部分も見えてくるけど、そのままで大丈夫なんだよ。

ダメじゃない、怖くない、大丈夫。

デキてる自分じゃなくていい。


私が私でいることで、何か不都合が起きた場合は

「ああ、こんな部分は不都合になるんだな。

 残念だけど、仕方ないか。」

と受けとめよう。


今、ストレスで太ってしまった自分。

仕事で周りとなじめない自分←夫に話すと、それは十分なじめてるのでは?と言われるけれど、私の感覚は違うみたい。


そのまんまでいい、と決めて、その中でできることをこなそう。

そうやって決めてたって、私、その時が来たら動きたくて仕方なくなっちゃうし。


今の私に必要だと思うこと、

欲しいと思う感覚、

大切にしたいと思うこと、

そういうことをいちばんに考えていこう。

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必要なのは「満たす」こと

いろいろ考えてきて、それから実践もしてみて、今、私に必要なのは「満たす」こと。

現状に落ち込んで、今のままじゃダメだ!と思っちゃうと、焦燥感や無力感とともに強烈な飢餓感がやってくるから。

今のままでいいの。

今のままでいい、を前提に全体を大きく眺めてみたら、自分が頑張らなくてもいい方法ってある気がする。


今日からね、自分軸手帳で自分と向き合いながら、来年の私をイメージしていこうって思ってる。

それはいい感覚なの。

去年よりも随分と落ち着いたの、自分でわかるから。

去年も同じ時期、同じように手帳を書きながら今年の自分をイメージしてた。

あのときの私をよく覚えてるから。


ダイエットに挑戦したときも感じたんだよね。

自分をいかに満たすか。

食べ物以外でね。

それが私にはまだまだ苦手。

だけど、今回それに挑戦できたのは良かったんだ。


自分を自分で満たす。

それができたら、環境や人に依存せずに、地に足をつけて生きていける気がする。

今日の独り言。

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