週末はキャンプで強制デジタルデトックス

この週末はキャンプに行って、デジタルデトックス。

帰ってきて、ケータイからnoteを開くとベルのマークの上にある数字にビックリしたよ。

そうか、2日開かないとそうなんだ。

それで気づいたよね。

最近、ちょっと心がめげるとnoteをよく開いてたって。

だって、なんかあったかい気持ちがもらえる気がして。


週末はキャンプへ

この週末はキャンプを予定していて。

実はテントキャンプ、2回目。

キャンプ用品を車に詰め込むのも、到着したら家族でテントを設営するのも、帰る前には片付けが必要なのも、新鮮。

2回目にして、今までのコテージキャンプとの違いを実感してる。

それは、やることが多いこと。


やることが明確ではない日常では、いつの間にかそれぞれがパソコンやケータイ、タブレット、ゲームに吸い寄せられてるのよね。

日常を生活するための負荷は家族みんながそれぞれ大きくて、何かでリフレッシュする時間が必要になっている…というのは理解してる。

だから必要以上にデジタルな時間はダメ!とは言えないなぁと。

だけどね、ケータイやゲームでリフレッシュできるから、そればっかりに頼るっていうのは、世界が狭くなりがちだし、いただけないと思っていて。

いろんなリフレッシュ方法があるし、たまには自然を五感で感じる時間だって必要なんだと、この歳になって感じているところで。


キャンプだと、テントを立てないとひと息つけないし、トイレに行くにも勇気が必要だったりするし、ご飯も計画的に考えておかなきゃいけなかったりする。

しかも、今回は雨で。

どうしたらいいかめちゃくちゃ頭を使ったし、「雨だから大変そう」というシンプルでわかりやすい状況に、いつも以上に子どもたちもよく動いてくれたのよね。

到着する前にそれぞれの役割を確認したり、朝も雨がひどかったから、何から手をつけたらいいかをみんなで考えたり。


キャンプ用品は泥まみれ。

自分たちも雨に打たれて、早くお風呂に入りたい。

そんな中で立ち寄ったスーパー銭湯では、お風呂のありがたみをすごく感じたし。


帰る車の中では、家に帰ってからの片付けの手順を確認したりして。

みんなで考えたり実行するってこういうことかぁーって、面白い経験だった。


今ってさ、毎日生きるためのハードルってそんなに高くなくて。

当たり前に生きていられてるし、時間だってある。

だけど本来は生きるってめちゃくちゃ大変なことで、お互いに協力し合わないと難しいことだったんじゃないかな。

私が生まれた昭和の後期はもう、生活家電もそこそこ充実していたし、二層式の洗濯機やボットン便所があるくらいで、生活の大変さはそこまで感じなくて過ごしていられたもの。


大変じゃないから、子どもの家庭での役割って減っていって、家族で協力し合うことも少なくなって、ただなんとなく日々が過ぎていくような感じで。

でも私は家族5人の今の生活って大変だったのよ、毎日が。

子ども3人のスケジュール管理や書類管理、食事に洗濯に掃除!

自分の仕事や子どもの受診だってあるし、熱や学校に行きたくないっていうイレギュラーな出来事も頻繁に起こるし。


もっとみんなで「生きる」ってこと、感じる時間があってもいいよなぁって思ってて、それがキャンプの醍醐味だなって。

でも、そんな難しいこと考えてなくても、なんか楽しいのよね。

非日常ってワクワクするもの。

私は家族の団結を感じるのが嬉しいけど、家族それぞれに楽しみを感じるものは違ってて、それぞれの楽しみ方があるのよ。

夫は汚れた心を洗濯できるのが自然の中なんだって。

次男は虫やキノコが好きだから、サイコーだろうし。

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強制デジタルデトックス

あ、ちなみに強制デジタルデトックスって私だけ。

子どもたちは、暇があればゲームしてたわ、やっぱり。

暇が家よりも少なかったってだけで。

でもそれでいいんじゃないかな、この時代、なかなかデジタルデトックスって難しいもの。


私は、多分2日くらい充電もつよねって思ってたら、行きの道でトラブルがあり、Googleマップ大活躍で、思いの外残りの充電が半分以下になってしまい、翌日のことを考えると電源を切っておくしかできなかったっていうだけ。

でもね、そうでもなかったら、どこかでやっぱり noteとか開いちゃってたと思う。

それくらい、なんかフツーにちょっと時間があったら開いてたんだよね。

あー、夕飯作るの面倒くさいな、冷蔵庫の残りで作れるレシピ検索してみようかなってケータイ取って、ついでにチラ見とかね。


なんか何にも見ないで過ぎていく時間って気持ちよかったなぁ。

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大切なのは「すること」よりも「する意味」

ただ「キャンプに行く」でもいいんだけど、キャンプに行って自分は何を感じたいのか、やりたいのか、楽しみたいのかっていう「意味づけ」って大事だと思う。


意識がそこに向くから、深く感じられたり、そこからの発見があったりして。

生きてる実感にもつながる気がするし。

ついつい何かを「すること」に意味があるように感じてしまうけど、することによって「自分にとってどんな意味があるか」の方が大事なんじゃないかな。


例えば100人キャンプに行くとしても、その楽しみ方って100通りあっていいし、あるんだと思う。

私にとっては「家族を感じる時間」と「当たり前を振り返る時間」なんだよね。

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自然を感じる時間

今回は雨を感じたよ。

雨に濡れるなんて久しぶりだった。


テントの片付けは雨に濡れないように、アメダスで雨雲がなくなる時間を調べて、その時間に合わせて進めてたのに、雨は全然止まなくて。

結局雨の中、必死にテントをたたんだの。

子どもたちにも役割を渡して、みんなで。

家族で必死に何かをやるっていいよね。

なんか、そういう時間が貴重に感じたよ。


それだけ今の世の中って便利だし、いろんな困ることを避けられる環境が揃ってるんだね。

不便を感じる時間が少なくなってるんだなぁって、雨に打たれてすごく感じた。

全て便利なものにする必要はないよね。

必要な便利と必要な不便の中で、程よくバランスをとって生きていきたいなぁ。

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