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第六話 萱草

※寺から連れ出された小春を助けに行くまでのお話。本編、紫苑の才四郎視点です。


 朝起きると、小春の姿が無かった。

「最低です、譲二! あなたのおふざけで、小春ちゃんが……、小春ちゃんが、どれだけ追い詰められと思っているんですか!」

 小春と親しくしていた、ひなという娘が取り乱し、師匠にやつ当たっている声で目が覚めた。夜明け前に起きるつもりであったのに。自分が置かれた情況に血の気が引き、傷の痛みもそのままに、小春の部屋に走った。部屋は綺麗に片付けられている。そこに泣き崩れる彼女と、憮然とした表情の師匠がいた。

 俺に気付いたひなが、何かを差し出した。受け取る。
 それは小春が俺のためにと縫ってくれた着物と下着。そして文と之定だった。

 前回の一件で着物を駄目にしてしまった。出立に合わせて仕立てようと思っていた矢先だ。元々姫という身分であった彼女だからこそ、だろう。よい柄の布地を選んでくれ、店で仕立てたかのような几帳面な縫製で繕われている。百姓出で、兄貴たちのお下がりしか着せられたことのない自分が、このように誰かに着物を仕立ててもらうなど、初めてのことだ。何もなければ手放しに喜んでいた筈なのだが。

 震える手で文を開く。

ーー今までの感謝の気持ちを込めて。宜しければお召しください。

小春の字だ。たおやかな達筆。そして一輪の花が挟んである。萱草。別名、忘れ草。自分のことを忘れるように、という、彼女なりの書き置きなのだろう。
 それに気づいた時、込み上げる感情を抑えきれず、吐き気を催して、思わず障子に手をついた。人がいなければ、ここで、声を張り上げ泣き叫び、狂っていたかもしれない。

ーーあの時、お前を守るには、ああするしかなかったのだ。許してくれ、許してくれ小春。

 昨晩、小春の様子がおかしかった。
 声をかけたが案の定、強い拒絶に会い、様子を伺うことができなかった。心配で早めに起きて部屋の前で張ってようとしたが、気づくと眠っていた。あの日から俺が酷く憔悴し、不眠であるのを見かねたひなが、眠り薬を煎じいつもの薬にまぜておたらしい。余計なことを思ったが、彼女なりの気遣いだ。責めるべくは、無力な自分自身であろう。

 言い訳と、取られるだろうが。……夕顔の一件、あれは小春を守るためだった。

 師匠と、夕顔と三人で食事をとり、俺は小春が来るからと先に部屋に戻ったのだがそれがまずかった。奴は部屋まで追ってきて、俺に自分を抱いてくれとせがんできた。そんなこと出来るはずがない。小春も来る。冗談交じりにかわして、さっさと出て行ってもらうつもりだった。その態度が癪に障ったらしく、突如彼女が口走ったのだ。

ーー吉乃を外ではってる石打ちの忍隊に差し出されたいのか、と。

 夕顔は全て知っていた。小春の正体が吉乃姫であることを。同期の中では一番勘のいい忍だった。同時に、性格の悪さは随一であった。兎に角、自分より幸せな者、特にか弱い女に容赦がない。自分が小さい頃、実の父親に乱暴され、そのまま遊郭に売られたという過去が、夕顔をその狂気に駆り立てているようだった。師匠のところを出たら、まず手始めに父親を無様に殺すのだと、薄笑いを浮かべていたのを思い出す。小春が俺に懐き、俺があいつを大切に扱っているのが気に入らなかったのだろう。

ーーあの娘を完膚なく傷つけ部屋から叩き出せ。そして彼女の前で自分を抱けと。

 狂っている。俺は拒絶し、言い合いとなった。しかし十日以上寝たきりで、体の自由が利かない。得物を持っていないことも、彼女は気づいていた。そうであるなら、これから部屋を訪れる吉乃を、目の前で無惨に殺すと言い始めた。確かに夕顔はくノ一だったが、体術までも師匠にせがみ身につけている。普段の自分であれば、絶対に負けることなどない。しかし今の状況では……。

 小春の命を最優先に考え、従うしかなかった。彼女を傷つけ、その目の前で夕顔を抱くしかなかったのだ。おそらく夕顔をけしかけたのは師匠だろう。どう言う理由だが知らないが、あの馬鹿、面白がってやったに違いない。結果、彼女を酷く傷つけ、追い詰めてしまった。その様子を気取った外の頭に唆されて、寺を出て、高山の領地に連れ去られたに違いない。
 昨晩の様子だと、誰にも相談できず、一人恐怖に震えていたのだろう。俺のことを、憎み、打ち据え、罵倒してくれた方がよっぽどましだ。あんな目に合わせてしまったのに、俺の着物を仕立て、之定をとらせ。ひなのために肩身の着物まで置いて。彼女は全て失い、身一つで死地へ向かったのだ。その彼女の気持ちを思い図ると、胸が切り裂かれるよな痛みが走る。
 もっと早く小春に本当のことを打ち明けるべきだったのかもしれない。しかし、あの夜、初めて小春から向けられた……寒々しい、強烈なまでの、軽蔑の眼差しに、自分で驚くほど打ちのめされてしまったのだ。今までの所業を、暗に責められ、蔑まされたようで。愛しい彼女に、またあの瞳で睨まれたらと思うと……踏ん切りがつかなかったのだ。

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