自分なんていなくなればいいのに、と思ったら読むnote
今日はまるで何もしていない。
図書館で借りた『かがみの孤城』を読み、メルカリで売れた服を2着梱包してローソンに持ち込む。
クラウドソーシングでの連絡に返信をした後、夕方には昨日から打診されてた元彼とのカラオケに1時間付き合い、実家に帰る。
こうして、noteに向き合う。
昨日から、というかここ3日ほど、暗闇の日が続いている。
心が底まで沈み切っている。
この状況を誰かに話すと、「病んでるんだね」とか「あいつ病んでるらしいよ」とか言われる。
私は、「病んでる」という表現が嫌いです。
なぜなら、私は病気じゃないから。
あと、自分にとっては深い問題にもがいて苦しんでいるのに、「病んでる」だと軽んじられている気持ちになる。
言葉を選ばずに言えば、私の心情を病んでるなんて言葉で片付けんなくそったれ、です。
いけない。こんな汚い言葉遣いじゃ、お嫁にいけないわ。
これまでの、心が底まで沈んだときの対処法
前職を辞める前の自分も相当沈んでいたが、当時募った対処法の結果はこちら。
「どこか旅行にでも行ったら? 」
これは失敗だった。メンタルが壊れているときの旅ほど、楽しめないものはない。
「海外に行きな。いろいろ刺激があっていいよ」
少なくともあなたよりかは海外に行っている自信がある、と思ってしまった私は末期。
「エビアンも行ってみたら? パチンコ」
まずはやり方をご教授願いたい。
自分への過剰な期待が、自分を苦しめている
信頼できる大好きな人たちは、みんな今忙しい。
きっと連絡を取れば「とりあえず、飲む? 」と言ってくれるだろうが、面倒だと思われるのが怖くて言い出せなかった。
そのくせ、インスタのストーリーで「心がダメになったときの対処法」を募るという、よりめんどくさい手段に出てしまう。
体感1分でDMをくれた元上司は、このリンクを送ってくれた。
落ち込むのは、自分は特別だとか、自分はできるに違いないと思う慢心からくる。
だったら、自分はこんなもんか、と思う方が落ち込まないし成長する、とのことだった。
底まで沈んでいる私にとっては、素直に受け取れない。
だって、その通りだから。
実力が伴わないくせにプライドだけは高い。
自分はできる、と思っている。だから、できなかったときに自分をひどく責める。
一時的な対処法は知っているけれど
他にも、「勉強などの自己投資」「趣味に没頭する」などの回答をいただいた。
確かに、何かに夢中になれば落ち込んでいることも忘れる。
実際今日、読書をしているときそうだった。
でもそれは一時的なもの。
例えるならば、自分が沈んでいる原因を、上から真っ黒なペンキで塗りつぶしているような、そんな感じ。
原因はもう見えない、でも確かにまだペンキの下には「在る」。
沈めばまた浮き上がる
最近は特に、感情の浮き沈みが激しい。
今は沈み切っている私の心も、きっとあと何日か経てばまた浮き上がってくるでしょう。
それまではまあ、好きな本でも読んで、コーヒーでも飲んで、せいぜい周りに危害を加えないように何もしないでおこうと思う。
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