「殺人者になりたくない」高齢ドライバー側の声
平日、お昼過ぎのファミレス。
最寄駅から程よく離れているおかげで、平日は常に空席が目立つ。最近のファミレスはWi-Fiもコンセントも完備しているところが多い。私はよくここに5、6時間こもって執筆する。カフェより混雑しておらず、ドリンクバーで飲み物を調達できるこのファミレスは、私のお気に入りの作業場だ。
「お好きな席へどうぞ」と声をかけられ、2名がけテーブルに座る。隣の4名がけテーブルには年配の男性1名とと女性2名が、テーブルの端に大量のグラスを寄せたまま会話に花を咲かせていた。
隅に置かれたタッチパネルに人数を入力してメニューを開くと同時に、アプリでクーポンを探す。隣の席ではどうやら、車の運転について話しているらしい。
男性は、買い物に行くときに車は欠かせないと言う。危ないのはわかっている。けれど、気をつけながら運転している。そのために免許更新も続けているようだった。1人の女性も、それに同情しながら相槌を打っていた。
もうひとりの女性は、かつて免許を持っていたが最近返納したようだ。
「だって私、殺人者になりたくないもん」
メニューを選択しながら耳だけ傾けていても、その言葉がひどく印象に残った。
高齢ドライバーの事故は、昨今よく問題にあがる。アクセルとブレーキを踏み間違えた、道路を逆走してしまった、それによる死亡事故もきっと少なくない。そんな痛ましい報道に触れては、「だから運転するなよ」と毒づいたものだった。亡くなってからでは遅い。実際に高齢者に対して免許返納を促す動きがあるし、更新する際のテストも厳しくなっているという。
それでも、車がないと生活できない人はいる。近くに頼れる人がいなくて、仕方なく自分で運転して買い物する他ない人もいる。
高齢者だって、人を殺したくて車に乗るわけじゃない。なりたくて高齢ドライバーになったわけじゃない。
その高齢ドライバーたちを、世の中は排除するだけでいいのか。「危ないから運転するな、免許返せ」で終われる問題じゃないのではないか。
初めて“高齢ドライバー側”の声を突きつけられた、昼下がりだった。