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ピカの死

あまり外出したくないようなお天気が続いていたが、その朝はふと「公園でも行くか」という気分になった。
「ピカ公園行こう」と老犬ピカを誘い、彼女が大好きな公園へ行った。
それがピカとの最後の散歩になるなんて思いもせず、久しぶりの青空を一緒に楽しんだ。

日が落ちかけた夕方、パートナーのまるちゃんが帰ってくる頃だった。
その時刻になるとピカは決まって大好きなまるちゃんをお迎えすべく、土地の上まで走って待つ。
やがてまるちゃんの車の音がしてピカは喜びながらワンワンと吠え車のすぐ側を走りながら家へ向かう。
夕飯の支度をしていたわたしが「ギャン」というピカの悲鳴を聞いたような気がして外を見た。
まるちゃんはもう家に入ってきて、遠くの暗がりにピカが走ってくるのが見えた。
空耳だったか… そう思い、作業に戻ったが、ふとドアの方をもう一度見た時、走って戻ったピカの半身の皮がヒラヒラとはためいているのに気づいた。
思わずわたしの口から大きな悲鳴が出た。
驚いたまるちゃんがピカを見た途端そばにあったタオルで彼女を包んだ。
ピカは何が起こっているのか見当もつかないような目でわたし達を見ながら、でも静かにタオルに包まれ、まるちゃんに抱かれた。

ピカに何が起こったのか、正確にはわからない。
でも多分まるちゃんの車に並んで走りながら何かの拍子にタイヤに触れたのだと思う。
わたし達は常々、走ってくるピカを見ると車を停めてドアを開き中へ入れたていたが、
最近は本人が嫌がっていたので、仕方なく速度を緩め注意して走るようにしていた。
まるちゃんはピカを抱きながら大粒の涙を流し「ごめん ごめん!」と繰り返す。
そんなまるちゃんを愛いっぱいの目でいつものように見つめているピカ。

「病院へ!」
わたし達は車に飛び乗り、まずは土地の上に住む妹夫婦の家へ行き事情を説明した。
ピカはこの農園に元々住んでいたまるちゃん母の犬で、母亡き後我々がピカに選ばれて一緒に暮らし始めた。なのでまるちゃん父、妹夫婦といわば全員がピカの家族であり、この農園はピカが守ってきた土地であった。
妹夫婦は昔から犬を飼い続けていて病院など詳しく、すぐあちこちに電話をしてくれたが、
もう動物病院は閉まっている時刻で、電話はコールセンターに繋がり、誰からも折り返しの電話は無く、わたし達はピカを抱いたまま胸が張り裂けそうな時間を過ごしていた。

妹の友人で動物病院で働く人が唯一「僕でよければ状況だけ診てあげられる」と言ってくれ、タオルを開いてピカの半身をテレビ電話で見せた時、「残念だけど期待はしない方がいい」と告げられた。
ピカは静かに抱かれていたし、時々ピクッと動くくらいで、その時点ではとても信じられなかった。
痛そうにも見えないほど、ほんとうに静かに抱かれていたのだ。

事故が起こってから3時間以上も経った頃、やっと1人の獣医から連絡があった。
彼はピカの傷の写真を送るようにと言い、それを見た後に「明日朝1番で病院に連れてきて。縫合手術をしましょう。これよりもっと酷い傷でも治った例はありますから大丈夫」と言い、わたし達は安堵した。
妹夫婦が傷口に雑菌が入らないように軟膏としっかりした包帯で処置をしてくれた。
わたし達は妹夫婦の家でピカと一緒に一睡もできない長い夜を過ごした。
ピカが小さく鳴くたびに声を掛け続けた。

翌朝病院へ向かった。
妹も仕事場からやってきて3人でピカを獣医に預けた。
わたし達は「これでピカは助かる!」とすっかり信じていた。
ピカが帰ってきたら柔らかいご飯がいいよね、などと術後に必要ないろんなものを買いに走った。
昨夜の長い絶望的な緊張の後だったから、本当にウキウキと買い物に走った気分を今も覚えている。

午後手術は無事終わってピカを迎えに行った。
ピカは看護師に抱かれてやってきた。
首にはエリザベスカラーが付けられ、薬が効いているのかボーっとした様子だったが、でもわたし達を見た瞬間安堵したように感じた。「手術中、一度危なかった時があったんですが、彼女は持ち直しましたよ」若い獣医は常にポジティブで、我々の心配する気持ちを楽にした。

ピカは農園に帰ってきた。
家族みんな喜んでピカを迎えた。
たくさんの薬を処方されて、わたしは間違いのないように、そしてピカが痛がらない為にはちゃんと摂ってもらうよう柔らかいご飯に混ぜた。
ピカはグッタリしているものの、ご飯を口元に持っていくと少しだけ食べた。
お水も飲んでいる。
順調だと思った。

その夜はまるちゃんがピカのベットと並んで寝た。ちょうどお互いの顔が目の前の位置だ。
ピカは嬉しかっただろうと思う。
夜中時々ピカが鳴いた。
その度にわたし達はピカに声を掛けた。
早朝3時頃、ピカはひときわ大きく鳴いた。
その後まるちゃんが大泣きしながら「ピカが息をしていない」と叫んだ。
ピカはうっすらと目を開いたまま旅立っていった。
最後は大好きなまるちゃんの顔を見ながら幸せだったろうと思う。

飼い主の母が亡くなったり、住む場所が変わったりと、ピカの犬生は波瀾万丈だったろうに、彼女は強い意志と的確な判断力で苦境を乗り越えてきた。
3年という短い時間一緒に暮らしたわたし達に無償の愛を教えてくれたピカ。
あっという間にいなくなっちゃったから、残されたわたし達のダメージは大きい。
でも年老いて身体の自由が利かなくなるよりはピカらしい最後だったかもしれない。
最後まで農園中を駆け回り吠え続けて、犬らしい生き方を貫いたなぁと思う。

彼女は今、亡き母が愛した木の隣に眠っている。埋葬の時、妹夫婦の提案で、わたし達の普段着ていた物を一緒に入れた。
わたし達の匂いがあればピカは嬉しいだろうと。

やっとこうしてピカの最後を書き残す気持ちになれたが、最後に一緒に散歩した公園にはまだ行けてない。

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