ニチアサの話がしたい vol,102
■今週のリバイス
・「悪」なき残酷な日常を生きる
「悪」のいない戦いって、なぜこんなに虚しくて、悲しくて、さみしいんだろうか。けど、理由はどうあれ誰かと「戦う」ということ自体、勝敗の高揚や熱気の裏に、虚しさや、悲しさや、さみしさをはらんでいるものなのかもしれず、そしてそれは同時に、人というものの根本がそうであるからかもしれず、「悪」という存在の不在こそが、そのことを色濃く浮かび上がらせているのだとしたら、一輝たちは一体何を倒したと言えるのだろう。例えそれが戦いの勝者であっても、戦いを経た者たちは、確実に何かを奪われ、失い、心と体にうんと傷とつけたまま、その後の「大切なものに置いていかれた日々」を生きていかなければいけない。『リバイス』に残された残りの話数は、もしかしたら、迫りくる家族の死や思い出の消失という現実そのものに「置いていかれた者」たちによる物語といえるのかもしれない。そうして最も残酷なのは、失ったものを数えずにはいられない日々は、血を汗を流して戦っていた日々よりも、もっとずっと長く続くということである。今週第47話「狩崎の反乱、変身の代償」を観ながら、私が考えていたのはそのようなことだった。
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