見出し画像

東日本大震災から10年

本日2021年3月11日で、東日本大震災から10年になりました。

きっと今日は色んな人が、当時のことを振り返っているんだろうな……。

ということで私も当時のことを振り返ってみたいと思います。
さすがに10年前の記憶なので、曖昧な点もありますがご了承ください。

恐怖心<使命感

あの頃の私は大学1年生の春休み中。

2011年3月11日の午後に私は、重い認知症の祖母と親戚から預かった小型犬の面倒をみていました。
他の家族は仕事や遊びなど、それぞれの予定で外出中。

そして迎えた14時46分。

経験したことのない地震が襲ってきます。
私の暮らしていた地域は震度5弱でしたが、このままじゃピアノや棚が全部倒れるかも!?と思うくらいの揺れです。

パニックに陥る祖母と犬。

祖母は犬を抱えて外に飛び出そうとしました。
しかし家は瓦屋根なので、万が一のことがあってはいけません。
だから私は祖母を静止して低い姿勢を取らせつつ、出口の確保を行いました。

我ながら一瞬でこの判断が出来たのは褒めてあげたい。

この時の心境としては、怖い!というよりも、私がしっかりしないと!という感覚でした。
だって今この家で頼れるのは自分だけですから。

揺れがおさまった後は外へ出て、近所の方の安否の確認をしました。
その後自宅に戻ると、祖母はもう地震があったことを忘れていました。

一通り家の中を見回り、おかしなところがないかをチェック。
自室の本棚の本が飛び出していたこと以外は、特に問題がなかったので一安心。

しばらくしたらテレビで津波の中継をしていましたが、この時はまだここまで被害が拡大すると思っていませんでした。
ちなみに祖母は他人事のように「あらあ〜大変だったのねえ〜」と言っていました。
この時ばかりは認知症の祖母が少し羨ましかったです。

あとからやってくる不安・恐怖心…からの安心感

飼い犬の散歩に出かけていた祖父が帰ってきたので、ずっと張り詰めていた気持ちが少しだけ緩みました。

しかし少し緊張がとけると、急に不安と恐怖心が襲ってきます。

お父さんとお母さんは帰ってこられるのかな?
妹は海の方に遊びに行ってなかったっけ?

電話も通じないし、メールも返ってこない。
万が一のことを想像してしまい、不安で不安で仕方ありません。

そこからしばらくして母は無事帰宅。
パートが終わり、スーパーで買い物をしている最中だったそうです。
母に会えたことでホッとして少し泣いてしまいました。

その後妹も無事帰宅。

あとは都内で働いている父だけ。
テレビでは電車ストップ、車は大渋滞で、帰宅難民が多数いることが告げられています。
今日帰ってくるのは難しいんじゃないか?
そう思っていたところ……22時頃に普通に帰ってきました。
そういえばうちの父、首都圏のあらゆる裏道に精通していたんでした。強い。

これでようやく一安心。

2011年3月11日の、長い長い1日が終わりました。

津波の映像が見られない

その後は連日のように地震と津波被害についての報道ラッシュ。

テレビでは繰り返し、津波の映像が流れていました。

正直私は、今も津波の映像がまともに見られません。

その大きな原因になったのが、F局のとある朝のワイドショーで放送された、「行方不明の母を探す女性」を追った取材映像でした。

その映像は次のような内容でした。

津波が引いた数日後、行方不明の母親を探している女性。
街を歩き回ると、見覚えのある車を見つけます。
その車に駆け寄り中を覗くと、そこには母親の遺体があったのです。

窓に張り付き泣き叫ぶ女性。
それを撮り続ける取材班。

その様子がトドメとなり、私は津波の映像が一切見られなくなりました。

10年経った今は少しなら見ることが出来ますが、見続けると動機が激しくなってくるので、やはりちゃんと見るのは厳しいです。

私の家族はそのことを理解してくれて、毎年この時期に放送される3.11特集では、津波の映像が流れると必ずチャンネルを変えてくれるようになりました。

実際に津波を体験したわけではありませんが、私にとっては完全なトラウマなんです。

それなりに楽しんだ計画停電

私の暮らしていた地域は計画停電の対象地域。
少しの時間、電気を全く使えずに過ごすことになります。

私の実家ではこの計画停電中、色々な照明を試して楽しんでいました。

ある日はキャンドルに火を灯し、ある日は100均のライトをいくつか買ってきて、どれが一番明るいかを試し……。
こんな時でしか出来ない、ちょっとした楽しみを満喫。

またテレビなどが一切使えないので、家族と会話する時間が出来ました。

特に父とは当時ほとんど会話がなかったのですが、これを機に少しづつ話す機会が増え、今ではLINEのやりとりをできるくらいの仲です。

不謹慎かもしれないけど、この期間はあって良かったと思います。

もう二度と体験したくない

ここまで色々振り返ってきましたが、改めて強く思うのが、もう二度とこんな体験をしたくないということです。

日本に住んでいる以上、いつどんな規模の地震が起きてもおかしくありません。
だから「二度と」というのはほぼ不可能だろうなと思っています。

それでも対策をすることは出来ます。

いつ起きるかわからないからこそ、そんなリスクに備えておくことが大切です。

常日頃から意識することが一番ですが、それはなかなか難しいですよね。
だから私の場合は3月11日が、意識をする日になっています。

きっかけになる日は人によって違うかもしれませんが、年に1日でも防災意識を高める日があることで、いざという時の備えになるかもしれません。

自分だけでできることは限られているけれど、少しでも自分の身を守れるように、できる範囲の自己防衛をしていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?