パリ・アパルトマン物語 南仏の坂道の上のアパルトマン
パリには、日本から行ったのではなかった。イギリスのロンドンからのお引越し。しかも、ロンドンからは、まず南仏の語学学校へ。南仏なんて、勉強しに行く感じじゃないけれど、ここは、フランス政府機関の学校で、各国の外交官やこれからフランスのMBAに行く人などが来るようなちゃんとした学校。私も、外務省に入った同級生から、この学校を教えてもらった。
学校は、朝からあって、ランチは先生といただくスタイル。ビジネスや社交など、食卓で必要な表現や単語を実践的に学ぶのです。
鷹ノ巣村ということは、サラセン人からの攻撃を避けるために、切り立った高台にある事がほとんど。暑い中、急な坂道や階段を登る。それも、自炊のための食品など重い荷物持って。すっかり疲れてしまった。
私は、1人じゃなくて、アパルトマンシェアを選んだので、50代のアメリカ人女性とシェアだった。言葉が通じない環境の経験がないアメリカ人の彼女は、このフランス語しか通じない学校の環境にストレスいっぱい!ある日アパルトマンで泣き出してしまって、まだ20代の私はビックリ!
この学校のことだけで、小説一つ書けそうだけれども、それはまたの機会に。
日本人は数名いて、外務省から2名。1人は同窓生、もう1人は慶應出身。それにアメリカ在住の同じ地方出身の女性がいて、既婚者だけど、1人で来ていた。自然に一緒に行動するようになった。
一緒にブイヤベースを食べに行ったりしていろんな話をしているうちに、私がこの学校終了後パリに行き、9月からのアートの学校の面接を受けること、パリでも語学学校に行くけど、その学校にホームステイの紹介そてもらうまで、どうしよう?安いホテルないかしら、などと話してたら、自分のアパルトマンを使っていいよ、と言ってくれた!夏の間は戻らないから、と。助かる!ありがたい申し出に感謝して、またいつかの再会を、と一時お別れ。いよいよ、大学でフランス語を一回落とした私が、パリへ!
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