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舞踏会?パーティー?主宰者は?

テーブルに着いて、同じテーブルの人達と挨拶する。みんな簡単な英語なら話せるので、ホッと一安心。それに、フランス語が簡単に聞こえる❣️ 
18世紀の金メッキの方法とか、軟質磁器とか、教会建築の部位の名前とか、およそ一般的な会話では使われない、日本語ですら聞いたこともないような単語ではなく、どこ出身、何をしてるか、どこそこに行ったことあるか、などの社交会話ばかり。私のフランス語でも十分に会話できる内容ばかりだった。すっかり楽しい気分になっていると、ワルツが聴こえてきた。これが舞踏会の始まりの正式な合図。主宰者の公爵令嬢Rixa(リクサ)と彼女のパートナーが、ワルツを一曲踊る。その後は、私達お馴染みのディスコやクラブで耳にする音楽に変わり、ダンスパーティー❣️日本では、カラオケが主だけれども、西洋では、ダンスが主。老いも若きもみんなダンス❣️ 年をとっても元気にダンス♪ 夜遅いディナー、踊り出すのはもう真夜中近く。老人という年齢の方々も元気に踊っていらっしゃって、西洋人のバイタリティーに驚くのは、こういうとき‼️
途中で、ファッションショーなどもあり、ソワレは明け方まで続くのでした。夢のような一夜が終わり、翌日にはフェアウエルブランチ。ヨーロッパ中、世界中から集まってる参加者は、必ずしもパリの人ではないから、そういう方達と名刺や連絡先を交換しあって再会を約束したり、バカンスを一緒に過ごす約束をしたり。こうして国をまたいだ交流が続いていくのです。国籍よりも階級の方がお付き合いには大切ですから。
私は、このときフィレンツェから来てた2人組の男性と仲良くなった。ロレンツォとロベルト。彼らは、フランス語はちょっとできるけど、メインは英語。やっぱり私には英語の方がラク。ロレンツォとは特に仲良くなって、後日フィレンツェに遊びに行くことになった。私の顔は、なぜかイタリア人好きするので、これ以降も、舞踏会パーティーに行く度に、イタリア人とは仲良くなった。他にも、その後長く交流が続いた人が男女数人いる。この頃は、まだSNSはなく、メールも今のような状態でははなかったから、参加者の質がはるかによかった。とにかく、私のヨーロッパ舞踏会ライフはこれが始まり。長らく唯一の日本人、どころか唯一のアジア人として、いろんなお声がかかって、ヨーロッパ文化を堪能しました。

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