職歴その③テレビ番組AD
専門学校を卒業後。私は情報系バラエティー番組のADになった。
お笑いが好きだったで、地元北海道で、全国区の芸人さんがMCの番組に関われるのはラッキーだと思った。
しかし。ここで気づいたのが「テレビって面白くないかも・・・」
とりあえず、私がどんな仕事をしていたのか聞いてほしい。
まず、ADはとにかく、仕事量が尋常じゃない。
D(ディレクター)の企画に合わせて、取材先へアポ取り。
取材が決まれば、ロケスケジュールを組む。カメラからロケ車の手配まで全て。
カメラに入れるテープの準備(だだ用意すれば良いだけじゃなく、60分テープだとすると、60分間空回し続けてタイムを入れなければいけない作業がある)
衣装。小道具の手配。必要なものの買い出し。
ロケ当日。(ADとしてリポーターになることもあった)
ロケが終われば、VTR編集作業の付き添い。
必要なテロップを1枚1枚書き出し、CGセンターというところで作ってもらうので、一枚ずつ説明。
番組中に使いたい素材(タレントの写真、漫画の一コマ等)があったら、著作権確認の為に各方面に問い合わせ。
その間に打ち合わせが頻繁にあり、打ち合わせの準備も。
本番前の日は徹夜。深夜に台本が出来上がり。
その台本を刷って仕上がるのが朝方まで。その数時間後にはスタジオに入らなければいけない。スタジオに持っていくものの準備で追われる。
本番はあっという間に終わるもの。
後片付けに追われ、それが終わったら、やっと帰れる。
とにかく、ずっと頭をフル回転の、場面によって状況を把握して、動かなきゃ行けない。
という中々ハードな仕事で、やりがいのある仕事ではあります。
終わったらクタクタで、死んだように寝る生活。
なにより、私はどこでも寝れるタイプではないというのが大変でした。
私は仕事を一気に片付けて、早く帰りたいタイプなのに、上司や同僚が寝出すんですね。そうすると帰れないという😭
番組の企画も、タレントさんがCMをしている商品関連の取材や企画はNG。
取材したのにお蔵入りは普通にありました。
情報番組でもあったので、スポンサーがありきの演出で構成していたり。とにかく、「本当に面白いこと」よりも、ある程度の規制の中で面白いかなという番組を作っているという事実を目の当たりにするんですね。そりゃ。そうですよね。会社なのですから。
何事も演出が入るので、テレビの情報が、全て正しいわけじゃないんですね。
でも、お笑いライブの裏方をやっていた私からすると。こんなに自由にじゃない「笑い」は面白いのかと疑問に思ってくるわけです。
もちろん。電波に乗って、たくさんの人に自分の関わったモノを見てもらえることにはなるんですが。それは視聴率という数字で判断されるし。
笑い声も返ってこない。いくら自分がテレビに出ても、喜んでいるのは親ぐらいで、友達から連絡が入るワケでもなく。意外とテレビって反響ないと知る。(今、考えたら友達が少なかっただけかもw)
そんなことも感じながら、一番キツかったのは人間関係。
余裕のないDがいて、とにかく、怒るんです。
怒る理由が理解できないことも多々ありました💦
私もADとして新人で右も左もわからないので、試行錯誤して時間がかかったりするのですが。皆、自分の仕事でいっぱいいっぱいなので、誰も助けてくれない訳です。この状況がかなりキツかったです。
あと。要領の悪い先輩ADがいて。彼が私に指示するのですが、その指示が違って、結果、私が怒られるんですね。さらにその先輩ADが、後輩の私を可愛がりたい気持ちだけはあるので、頭ポンポンしてくるんですね。(ウザイの極み)
というので、仕事の内容的な問題より、人間関係が嫌で。自分のデスクに戻りたくなくて、トイレでご飯食べてました。
人に恵まれていたら。もう少し続いていた気もしますが。当時の私は、同期もおらず、相談できる相手もおらず。
体がストレスで、何かを飲み込む度に喉に激痛が走るようになりまして。
4ヶ月ほどで辞めました。
だけど、辞めるというと、間違いなく止められそうだったので。
「大阪で本当にやりたい仕事から連絡がきて、働けるとのこで、条件も良いし、大阪に行くのが夢だったので辞めます」と決意が硬いかのように見える嘘をつきました。(仕事辞めたい人にはおすすめの良い訳です)
結果として、辞めたけど、こんなに頭を使って、ずっとハードな仕事はなかなかないので。
この後にどんな仕事をしても内容的に楽に思えます。
覚えれば出来る仕事は楽すぎて、楽しくないとも思ってしまいます。
この仕事をして1番良かったのは、色んな角度から世の中を見れるようになったことです。
大変だったけど、人生経験としてやってよかった仕事です。
テレビっ子でしたが、テレビの世界を知って、テレビ無しでも生きていけるっ子になりました。
(その番組の構成とかを気にしちゃうようになったので)
次は実際に大阪に住み始めて、職探しをして、お笑い劇場の進行係になった話です。
ちなみに札幌で進行係だった話は
軽く自己紹介の記事は
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